グランド・ファンク・レイルロードがザ・ビートルズの記録を凌いた1971年シェイ・スタジアムでのコンサート
ヒット・シングル、ヒット・アルバムを次々に放ったグランド・ファンク・レイルロード(以下GFR)だが、1960年代終盤からはライヴ・バンドとしても絶大な人気を誇っていた。1969年12月には、ニューヨークのフィルモア・イーストに出演し。1970年にはシンシナティ・ポップ・フェスティヴァルやニューヨーク・ポップ・フェスティヴァルにも出演し、後者ではジミ・ヘンドリックスと競演している。
今から約50数年前、ハード・ロック嫌いの批評家でさえGFRが世代を代表するグループであることは認めざるを得なくなっていた。それは数字を見ても明らかだ。1971年6月5日、ニューヨークのシェイ・スタジアムでのコンサートのチケット事前売り上げで彼らはザ・ビートルズをしのぐ歴代最高記録を作ったのである。
リヴァプールからやってきたザ・ビートルズがシェイ・スタジアムでコンサートを行ったのは1965年8月のことで、観客の動員数は55,600人だった。しかし、ハンブル・パイをサポート・アクトに迎えたGFRのコンサートではザ・ビートルズと同等のチケット枚数を、わずか72時間で完売。金曜日の10時に販売開始となった55,000枚のチケット(価格は4ドル、5ドル、6ドルの3種類あった)は月曜日の朝には既に完全にソールド・アウトという具合だった。
このチケットの売り上げを反映してか、デビュー・アルバムから2年後の1971年にリリースされた5枚目のアルバム『Survival』は全米6位の大ヒットを記録した。同作は彼らにとって3作連続となるトップ10入りを果たし、プラチナ・ディスクも獲得している。一方、シングル・カットされた「Feelin’ Alright」のカヴァー・ヴァージョンは全米シングル・チャートに辛うじてチャート・インするに留まっていた。ちなみにこれはデイヴ・メイスンの作品で、1968年にデイヴ・メイスンが在籍したトラフィックのデビュー・アルバムで初出となった。
シェイ・スタジアムでの公演は7月9日に行われた。彼らはその前に大規模な北アメリカ・ツアーと、ヨーロッパでの数公演(6日前にはロンドンのハイド・パークで演奏した)をこなしていた。セットリストにはグループのオリジナル・ナンバーだけでなく、アニマルズの「Inside Looking Out(邦題:孤独の叫び)」のカヴァー・ヴァージョンや、『Survival』のクロージング・ナンバーにもなっていたザ・ローリング・ストーンズの「Gimme Shelter」の同じくカヴァー・ヴァージョンも含まれていた。
GFRのマネージャー、テリー・ナイトは集まりの悪かった記者会見で、嘲笑的な態度の記者たちを前に、シェイ・スタジアム公演について以下のように話した。「この業界にいる人ならわかると思うが、シェイ・スタジアムでライヴをすること自体がニュースなんだ。その上アメリカのアーティストによる初めての試みだとなれば大ニュースになっていいはずだ」。
そしてテリー・ナイトは最後に会見をこう締めくくった。「我々の目的はチケットを完売することにあるわけじゃない。シェイ・スタジアムをグループのファンでいっぱいにするのが目標なんだ」。彼とバンドはその目標を見事に実現した。
Written By Paul Sexton