BBCで初めてロックン・ロールを取り扱った大物プロデューサー、ジャック・グッド死去
もしジャック・グッドが存在していなければ、誰も彼のような人物を作り上げる厚かましさは持ち合わせていなかったであろう。完全にブリティッシュでオックスフォード卒のテレビ/ミュージック・プロデューサーであり俳優だった彼は、決してロックン・ロールなライフ・スタイルを送ってはいなかったものの、彼がいなければロックン・ロールというジャンルは今のようにはならなかっただろう。
ジャック・グッドは転倒したことによる合併症で2017年9月24日に享年86歳で亡くなり、本物の人物がこの世から去ってしまった。常に自らの意見を発信し続け、いつまでも独創的だったジャック・グッドは、音楽においてもテレビにおいても画期的だった3つのライヴ・パフォーマンス番組で大きな役割を果たした。その番組とはイギリスの『Six Five Special』と『Oh Boy!』、そしてアメリカの『Shindig!』た。
ジャック・グッドはBBCの研修生から急速に成長し、1957年に『Six Five Special』のプロデューサーに就任。BBCはこの番組でロックン・ロールの世界に初めて足を踏み入れた。『Top Of The Pops』や『Ready Steady Go』が始める何年も前の話だ。彼の革新的なアイディアは、テレビ局のスタジオを10代の若者で埋め尽くし、彼らがイギリスで人気のロニー・ドネガン、ジム・デイル、ペトゥラ・クラークなどのパフォーマーの音楽に合わせて踊ることだった。
その後、ジャック・グッドは『Boy Meets Girl』や『Wham!』などのシリーズを続けて制作した。また今ではよく知られているジーン・ヴィンセントの黒のレザーのルックを提案したのもジャック・グッドだった。ミュージシャンとしては、ロード・ロッキンガム・XIと「Hoots Mon!」を制作し、レコード・プロデューサーとしてはビリー・フューリーの高く称賛された1962年のLP『The Sound Of Fury』で指揮をとった。
ジャック・グッドの多岐にわたる経歴にはミュージカルも含まれており、シェークスピアの『オセロ』のロック版『Catch My Soul』もそのひとつだ。オリジナルのアメリカ版ではジェリー・リー・ルイスをイアーゴに配役し、イギリス版ではP.J.プロビーやP.P.アーノルドが出演。1974年にはその映画も制作された。
さらに1977年にプレスリーの人生を描いたジュークボックス・ミュージカル『Elvis – The Musical』を発案、監督し、その舞台ではウェールズ出身のシェイキン・スティーヴンスがロンドンの観客の前でパフォーマンスした。のちに1980年代イギリスにおいて、シングルで最も成功したアーティストになる彼がレコード契約を結ぶきっかけとなったのだ。1992年の人気ミュージカル『Good Rockin’ Tonight』はそんなジャック・グッドの人生に大まかに基づいた物語である。晩年、ジャック・グッドはローマ・カトリック教徒となって肖像画を描くことに時間を費やし、ニュー・メキシコで生活し、その後オックスフォードシャーに戻り、その地で亡くなった。
常に確固たる意見を持ち、周りに逆らうことを恐れなかったジャック・グッドは、自身がテレビを改革して10年後の1968年のテレビ・シーンについてディスク&ミュージック・エコー誌に「イギリスには才能あふれる人がいるが正しい見せ方をしてないだけだ」と語った。
「冒険心あるプロデューサーが番組を自身の手でやりたい放題やらないと、今後もっとひどい状況になるとしか思えない。テレビの音楽番組は完全にレコード業界にあわせており、レコード業界は彼ら自分たちに合わせているから、結果的に弱いものしか育たないんだ」。
Written by Paul Sexton
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