世界中の素晴らしいプログレッシヴ・ロック・バンドのベスト20組【UK以外】
プログレッシヴ・ロックはさまざまな理由から、英国がイニシアティヴを握っていると一般に見なされている。その慎重さ、その真剣さ、その馬鹿らしさ、その夢心地なところ、これら全ては間違いなく典型的イギリス像に当て嵌まり、その結果プログレッシヴ・ロックは、西洋のロック・ミュージックを占めていたアメリカのR&Bとソウルの影響とは対照的に、ヨーロッパの古典的伝統からインスパイアされたものと考えられるようになった。
プログレッシヴ・ロックの巨大なキャンバスを用いて作られた重要な芸術作品のほぼ全てが英国産だったのは、既知の事実だ(ムーディー・ブルースの『Days Of Future Passed』、キング・クリムゾンの『In The Court Of The Crimson King』、ザ・ナイスの『Five Bridges』、そしてこれ等に加え、ロングフォームの形態を追求したジェネシス、イエス、ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター、ELP、ピンク・フロイド、ジェスロ・タル等々)。
しかしその一方で、他の多くの地域も活発なプログレッシヴ・ロック・シーンを独自に持っていた。このリストで我々は、UK以外のプログレッシヴ・ロック・アーティスト達に敬意を表する。彼等のメロトロンが幾年も先まで響き渡りますように。
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1. アリエル / Ariel(オーストラリア)
生まれ故郷ではもっぱら、1974年にオーストラリア・チャート・トップ10の一歩手間で止まってしまったデビュー・アルバム『A Strange Fantastic Dream』で知られるアリエルは、より放縦なスーパートランプのような、メロディアスで、皮肉的で面白おかしなプログレッシブ・ポップへの素晴らしい道筋を提供した(「Garden Of The Frenzied Cortinas」「Confessions Of A Psychopathic Cowpoke」)。
彼等の名誉の為に言うが、バンドはデビュー・アルバムに続く作品として、サイエンス・フィクションがコンセプトの『The Jellabad Mutant』を発表しようとしたものの、あまりにも分かり難かった為に、EMIからきっぱりと拒絶され、晴れてリリースすることが出来たのは2002年のことだった。
2. イーラ・クレイグ / Eela Craig(オーストリア)
フーベルト・ボグネルマイヤーの幾層ものキーボードをベースにしたサウンドを誇るイーラ・クレイグは、1978年にクリスチャンがコンセプトの作品『Missa Universalis』で、オーストリア・アルバム・チャートで映画『グリース』のサウンドトラックに対して善戦した。
しかし、彼等の特徴的で心動かされるエレメンタル・シンフォニック・ロックが披露されているベストな作品といったら、ほぼ間違いなく1976年の『One Niter』だろう。エレクトロニック・ミュージックの熱心な支持者であるフーベルト・ボグネルマイヤーは、80年代初期にフェアライトCMIサンプリング・シンセを他に先駆けて使用した人物だ。
3. ワールテロー / Waterloo(ベルギー)
1970年発表の唯一のアルバム『First Battle』でウォータールーは本領を発揮した。その手強いフルートを携えたへヴィなプログレッシヴ・ロックの溶鉱炉は、まるで生トウガラシを口にしながら猛々しいハモンドを中心にした初期ジェスロ・タルのようだ(「Why May I Not Know」「Life」)。
宇宙に思いを馳せるタイプではなかったが、その短い活動期間中に彼等を迎える幸運に恵まれた会場は、みんな間違いなく天井が吹き飛ばされるくらい楽しめただろう。
4. ムタンチス / Os Mutantes(ブラジル)
元々は権力者が仕掛けたブラジルのトロピカリア・ムーヴメントの中心的存在で重要な扇動者であったが、1973年にレコーディングされ、そして残念なことに1992年までリリースされなかった『OaeOZ』の頃になると、成熟したプログレ・グループに成長していた。
唸るようなハモンドと威嚇的なベースから想起されるように彼等がイエスの初期に夢中だったのは疑うべくもないが、彼等のいたずら心がフォルムを歪んだ魅惑的なものに変えてしまった。
5. ラッシュ / Rush(カナダ)
そう、言うまでもなく。しかしそのプログレッシヴ・ロックへの生涯に渡る情熱により、ラッシュのゲディ・リー、アレックス・ライフソン、ニール・パートはそれぞれナイトの爵位を与えられた。
プログレッシヴ・ロックが『2112』『A Farewell To Kings』、そして『Hemispheres(神々の戦い)』ほどに明るく生き生きとしたサウンドだったことはなく、その一方、「La Villa Strangiato」や「Xanadu」といった曲をプレイする為の気力と記憶力はどうなっていたのか、それは今でも謎のままだ。
6. バーニン・レッド・アイヴァンホー / Burnin Red Ivanhoe(デンマーク)
UKでジョン・ピールに支持されたバーニン・レッド・アイヴァンホーは、呪文風のヴォーカルとジャズ調のソロ(アルトとソプラノ・サクソフォン、フルートとバスーン)が、渦巻く直感的でリズミカルなベースの上に乗ったサウンドで知られるが、それが最大限に聴けるのは、1971年の『W.W.W』に収録された「Cucumber Porcupine」「2nd Floor」「Croydon」だ。
7. ウィグワム / Wigwam(フィンランド)
予測不可能で、感動的なコード進行と一転するテクスチャーに、力強くかつエレガントに取り組む見事なアンサンブルのウィグワムは、同国に住む英国人のジム・ペンブロークが率い、ヴァージンが1975年に『Nuclear Nightclub』を発表した時、イギリスで少しばかり評判になった。
しかしながら、彼等の比類ない、本当の絶頂期に触れるには、1971年の『Fairyport』と1974年の『Being』まで遡らなければならない。
8. ゴング / Gong(フランス)
彼等はオーストラリア人で茶目っ気たっぷりのデヴィッド・アレンによって率いられ、長年に渡ってそうとう国際色豊かなラインナップを誇っていたが、結成されたのはフランスだった。
『Radio Gnome Invisible』トリロジー(『Flying Teapot』『Angel’ s Egg』『You』)は、彼等のサイケデリアに深く根を下ろしたプログレッシヴ・ロックが好きな人、そして、ハイになった時の笑いによる感染し易いインタールードで調節された彼等の超越性を好む人に必須の内容だ。
9. マグマ / Magma(フランス)
ドラマー兼扇動者のクリスチャン・ヴァンデが1969年に結成したマグマは、快い罵り、非常にダークな合唱付プログレッシヴ・ロック、最もワーグナー調でありながら最も愛想のないサウンドを誇るバンドだ。
熱狂的であるが故に、自分達の言語(コバイア語)を考案することまでしたマグマの、比類のない騒音は激しく情け容赦ないが、究極的には贖いの創造物だ。1976年の『Üdü Ẁüdü(未来からの鼓動~ウドゥ・ウドゥ)』収録17分に及ぶ「De Futura」は、彼等の邪悪な荘厳さを示した良例だ。
10. エロイ/ Eloy(ドイツ)
70年代で最も有名だったドイツ・バンド(カン、ファウスト、ノイ!、クラフトワーク等々)は紛れもなくプログレッシヴ(先進的)だったが、“プログレ”ではなかった。それでも、例えばエロイは、そのメロディアスで厳粛な流れと、巧妙に展開されるダイナミックスで、後者のリストにぴったり合っていた。『Inside』(1973年)と『Floating』(1974年)は、キャメル、ピンク・フロイド、それからディープ・パープルのファンの心にも、いざとなれば訴えるものがあるだろう。
11. ジェーン / Jane(ドイツ)
プログレッシヴ・ロックのロック側に属するジェーンだが、それでも1976年の『Fire, Water, Earth And Air』ではプログレッシヴ・ロックに徹底的に取り組んだ。このアルバムはそれぞれのトラックがエレメンツに細分され、最初と最後に序曲とクライマックスのファンファーレが加えられた33分間の組曲だ。
12. アフロディーテズ・チャイルド / Aphrodite’s Child(ギリシャ)
主にその悲しげなバラードで最もよく知られるアフロディーテズ・チャイルドは、深刻なコンセプト作品『666』(バンド解散のずっと後の1972年にリリースされた2枚組アルバム)で深く入り込んでいった。
キーボーディストのヴァンゲリス・パパサナシューはその後、ご存じの通り、ヴァンゲリスとして知られるようになり、一方のヴォーカリスト/ベーシストのデミス・ルソスは、非常に刺激的な「Forever And Ever(果てしなき世界)」で70年代半ばのヨーロッパで大ヒットを収めた。それでも、『666』の「The Four Horsemen(4人の騎手)」の心につきまとうヘヴィーさは、両者のギリシャでの頂点を表わしている。
13. アレア / Area(イタリア)
あらゆるレヴェルに於いて本当に見事なアレアは、手強いジャズ・ロックの優れたセンスを、無秩序なエキスペリメンタリズムと革命的社会主義のレトリックとで組み合わせた。
ヴォーカリストのデメトリオ・ストラトスは、驚くべき半抽象的なアプローチを展開、1979年に34歳という衝撃的な若さで死去していなければ、世界的アート・ロック・プロジェクトのコラボレーターとして引っ張りだこになっていたに違いない。入門編としてはまず1974年の『Caution Radiation Area』をどうぞ。
14. プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ / Premiata Forneria Marconi(PFM)(イタリア)
情熱的でありながら悠々とした、間違いなく最も有名なイタリア出身のプログレッシヴ・ロック・バンドPFMは、エマーソン、レイク&パーマーのマンティコア・レーベルが先を争って獲得し、次のような名のアルバムをリリースした。
『Photos Of Ghosts(幻の映像)』(1973年)、『The World Became The World(甦る世界)』(1974年)、『Chocolate Kings』(1975年)、そして『Jet Lag』(1977年)。
この中では、ライバルのイタリア・プログレ・バンド、アクア・フラジーレの元メンバーであった新しいシンガーのベルナルド・ランゼッティの豊かなヴォーカルが特に印象的な『Chocolate Kings』が、入門編としてお勧めの作品だ。
15. アシッド・マザーズ・テンプル / Acid Mothers Temple(日本)
ギタリストの河端一が率いるアシッド・マザーズ・テンプルはザ・メルティング・パライソU.F.O.と、90年代半ばに合体し、アシッド・マザーズ・テンプル&ザ・メルティング・パライソ・U.F.O.となったり、酔わせるようなトリッピーでサイケなプログレッシヴ・カタルシスと過激な熱情を追求。彼等の2004年のアルバム『Acid Motherhood』でコラボレートした精神的盟友のゴング同様、さまざまな派生プロジェクトを生んだ。
サイド・プロジェクトを入れるとアルバム70枚を優に上回る膨大な長さのディスコグラフィは、少々近寄り難いかも知れないが、2008年の『Pink Lady Lemonade ~ You`re From Outer Space』(byアシッド・マザーズ・テンプル&ザ・コズミック・インフェルノ)は、この集団の音渦巻く世界に入る為の手頃な入門編だ。
16. フォーカス / Focus(オランダ)
簡潔に表現すると、1973年1月に『Hocus Pocus』がトップ20入りを果たしたことで、フォーカスは英国チャートにヨーデルを持ち込んだ。しかしながら、これに比べあまり知られてはいないのが、その前月に登場した『Old Grey Whistle Test』が与えたインパクトで、それは計り知れないものがあった。
伝えられるところによると、店に納品する『Moving Waves』の十分な枚数を生む為に、ポリドールのプレス工場は過熱状態になった。このアルバムと、1973年の『Focus 3』と1974年の『Hamburger Concerto』は、猛烈な意気揚々としたアンサンブル・パフォーマンスに溢れた一押しの作品。特にギタリストのヤン・アッカーマンは世界的インストゥルメンタリストだ。
17. スーパーシスター / Supersister(オランダ)
手掛けた物のほぼ全ての中央に流れる、広く暗く斜に構えたフランク・ザッパっぽいユーモアを生み出す破壊的天才達スーパーシスター。その専攻は代数的拍子記号、荒々しい息遣いのフルート・パッセージ、そしてヒュー・ホッパー(ソフト・マシーン)ばりのファズ・ベース演奏だった。
『A Present From Nancy』(1970年)、『To The Highest Bidder』(1971年)、それから『Pudding En Gisteren』(1972年)は手に入れて絶対に後悔しない作品。
18. ボ・ハンソン / Bo Hansson(スウェーデン)
1972年頃の一時期、UKの学生アパートと談話室の必須品だったのはキーボーディスト、ボ・ハンソンのインストゥルメンタル『Sagan Om Ringen』(カリスマ・レコードからリリースされた時は『Music Inspired By Lord Of The Rings』というタイトルでリリース)だったが、これが速いペースであらゆる場所へ広がっていったのは、単にその指輪物語の作者J.R.R.トールキン繋がりからではなく、ドリーミーで魅惑的なヴァイブによるものだった。
これに続くアルバム『Ur Trollkarlens Hatt』(UKでは1973年に『Magician’s Hat』としてリリース)も同様に、人々を夢中にさせる力を持った作品だ。
19. パブロフス・ドッグ / Pavlov’s Dog(アメリカ)
セントルイスで結成され、評価が両極端に分かれるデヴィッド・サーカンプのヴォーカルと、ジークフリート・カーヴァーの感動的なヴァイオリンから成るパブロフス・ドッグは、1975年のデビュー・アルバム『Pampered Menial(禁じられた掟)』のドラマティックな内容で白熱した議論を引き起こした。
これに続く1976年発表作品『At The Sound Of The Bell(条件反射)』では、引っ張りだこのプログレッシヴ・ロック・ドラマーのビル・ブルーフォード(イエス、キング・クリムゾン、ジェネシス)が徴集された。
20. ユートピア / Utopia(アメリカ)
トッド・ラングレンは、70年代を代表するような完璧なソウル・ポップ・ナンバーを書いたが、それに甘んじることなく、滑らかなポップ・ロック・アンサンブルへと徐々に変化していていき、その非常に優れたシンセとギターのセンスを生かした。
一方、彼等の濃厚なプログレッシヴ・ロックの過去は、『Todd Rundgren`s Utopia』(1974年)、『Another Live』(1975年)、そして『Ra(太陽神)』(1977年)で堪能することが出来る。
By Oregano Rathbone
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