写真で振り返るフレディ・マーキュリー:没後30年を迎える彼のヴィジュアル&ファッション遍歴
今から30年前の1991年11月24日に亡くなったクイーンのヴォーカリスト、フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)。彼はこの記事の中で紹介する写真の数々が明らかにしているように、あらゆる形での創造性を追求し、その歌による表現と同じくらいファッションで自分自身を表現した。
その派手なコスチュームやステージを完全に掌握するような存在感で、フレディ・マーキュリーは20世紀における最も偉大なショウマンの一人となった。それを如実に物語る一連の写真を通じて、いかにしてシャイなティーンエイジャーが、史上最も記憶に残るステージ衣装を身につけたロックスターに変貌していったかをたどっていく。
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フレディのシャイな若者時代
内省的だった少年、ファルーク・バルサラは世界的なスター、フレディ・マーキュリーに成長していったが、若者らしい不安を抱えて寡黙だった若者時代の自分を決して忘れなかった。フレディはこう語る。
「表面的にはとても派手に見えるけど、僕はとてもシャイなんだ。僕の本当の性格を知っている人はほとんどいないけどね。自分の前歯が出っ張ってるのが気にいらなかったね」
ピアノを弾くこと
全寮制の寄宿学校時代のフレディは音楽にそのはけ口を求めた。そして音楽は彼の人生を変えていった。彼はこう言う。
「学校ではピアノのレッスンを受けて、とても楽しんでやった。あれは母の影響だったね。母は僕がピアノを続けるよう手を尽くしてくれて、ピアノは4級のクラシック、実技と理論を習得するところまで進んだよ。最初の頃は、母が望んでいるのがわかっていたからレッスンを受け続けてたけど、自分でも本当にピアノを弾くのが好きになっていった。基本的に僕はそらで聴いて演奏してて、楽譜は読めなかった。いつも歌うことが好きだったんだ。演奏される曲に合わせて歌うことが多くて、それがすべての始まりだった」
アートスクール時代
フレディは英イーリング・アート・カレッジ卒業後、すぐにはグラフィック・デザイナーのキャリアには進まないと決めていたが、「アートスクールでは、よりファッションを意識して常に一歩先を行くことを学んだよ」とミュージシャンになった時にとても役に立ったと語る。
彼が1970年代初期に、当時まだ学生でその後ミュージシャンとなる、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラーそしてジョン・ディーコンとクイーンを結成した時、ルックスや外見は彼らの戦略の重要な一部だったとこう言っている。
「クイーンのコンセプトは、威厳を持って堂々としていることだった。外見の魅力もその一部だし、僕らはダンディーでいたかった。見る者にショックを与えて、とんでもない存在になりたかったんだ」
白いウェディング・ドレス風のケープ
フレディによると、衣装に関しては「誰の真似もしたことはなかった」。そして最初期はグラム・ロックに傾倒しており、フレディは以前、ケンジントンの洋服店で働いていて、自分自身の明確なファッションについての考えを持っていた。
そんな1974年、フレディはファッション・デザイナーのザンドラ・ローズに出会い、彼女が着ていた刺繍付きのベストとプリーツになったバタフライ・スリーブ付の、重厚なアイボリー色のシルクで織られたケープ付のシャツの虜になってしまい、彼女はフレディが1974年にステージで着用した白いサテンのステージ衣装を作ることになった。
「あれはウェディングドレスのトップス用のアイデアとして持っていたものですね」とザンドラは当時を思い返している。ちなみに2019年に公開された伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』では、フレディを演じたラミ・マレックが、ザンドラが作ったこの時の衣装の複製を着用している。
日本的スタイルがお気に入り
「日本をツアーするのはいつも大好きだった。特にあのゲイシャ・ガールたちや男の子たちは最高だった。あの国が好きだったんだ。ライフスタイルや日本の人たち、そして芸術も」
と、フレディは過去語っていた。クイーンが1976年に日本武道館で演奏した時など、フレディはステージで日本の伝統的な着物をまとって登場したものだ。
半ズボンルック
フレディはいつでも自分のことを必要以上にシリアスにとらえるようなたちではなかった。例えば1976年には、紅白のストライプのタイトな半ズボンと同じ柄のサスペンダーという、一風変わった格好をしてみせ、そういったスタイルについてこう語っている。
「自分のパワーの原動力になってるのは、自分自身を笑い飛ばせるようでありたい、という気持ちなんだ。もし僕らがメッセージや政治的なテーマを訴えるような、違うタイプのバンドだったら全く違うと思うけど。こういうバンドだから、僕はステージではふざけた半ズボンを着て、大げさな演技ができるんだ」
スパンコールのジャンプスーツ
全身を包むボディスーツ、特に胸元を露わにした白黒の喜劇の道化を模したデザインのボディースーツは、70年代を通じてフレディのおなじみのスタイルになった。その時期で最も有名だったのは、銀のスパンコールで覆われた、肌着スタイルのボディスーツだ。長袖付きのレオタードは、1977年5月のヨーロッパ・ツアーで初めてお目見えし、赤の短いパンツ丈のバージョンは1978年4月のヨーロッパ・ツアーで着用された。
銀のスパンコールのボディスーツと仮面の取り合わせは、フレディが常に自分のパフォーマンスに取り入れている、彼の劇場への愛を体現している。彼は実際1979年には、英国王立バレー団との共演も果たしている。
一度ならず自分自身のバージョンのスパンコールのボディスーツを着用しているレディ・ガガは、クイーンを「崇拝している」と言うほど、クイーンに影響を受けたアーティスト達の一人。彼女は当時フレディのファッションのトレンドを事細かにフォローしており、彼女はかつて「フレディ・マーキュリーが私のことをグレートだと思っていてくれたらよかったのだけど」と言ったこともある。
縦縞のバレー・レオタード
クイーンの大ファンであるプロのミュージシャンは星の数ほどいるが、先ほどあげたレディー・ガガ以外に、ザ・ダークネスのジャスティン・ホーキンズをあげたい(彼は手にクイーンのメンバーの顔のタトゥーを入れているほどのファンだ)。
ホーキンズはかつてフレディの最も代表的な衣装である、肌にピッチリした縦縞のボディスーツを、フレディに敬意を表して着用したことがある。「みんなが見てるのはコンサートじゃなくて、ファッション・ショーなんだ」と、彼はクイーンでのフレディのスタイルを評している。
革製の衣装を多用した時期
70年代後半には、フレディは赤い革のパンツなど、しょっちゅう革製の衣装を身に着けていたが、彼の最も有名な革製衣装は、イギリスのTVメロドラマ『コロネーション・ストリート』をパロディ化したビデオ用に着用したものだ。
そのビデオでは、女装したフレディが、黒い革のミニスカートと網タイツ、ピンクのイアリング、黒髪のボブ・ヘアーのかつら、ピンクのニットのトップスそしてハイヒールを身に着けて口ひげをたたえて床に掃除機をかけている様子が収録されていた。この1984年のシングル「I Want To Break Free」のビデオは物議を醸した。フレディはこのビデオについてこう語っている。
「僕があのビデオで見せたイメージは、特に計算して作り上げたものではなくて、長年の間に自然に出てきたものなんだ。あれは僕の生き方に沿ったもので、正真正銘の僕自身なんだ。無理にやれと言われてやったものではなくて、日頃の自分の中から自然に出てきたものだ。わざと物議を醸すためにやってるわけじゃないんだけど、多くの人がとんでもないと思ったことは、僕にとっては極めて自然なことだったんだよ!」
一見カジュアルなライヴ・エイドでのスタイル
1985年、ライヴ・エイドでフレディが世界を魅了する頃には、彼はそのスタイルを大きく変貌させていた。70年代に伸ばした長髪はなく、代わりにノースリーブの白いTシャツ、白いジーンズ、鋲付のベルトそして金属のアームバンドといった新しいスタイルで、ウェンブリー・スタジアムでの旋風を巻き起こしたのだ。
黄色のミリタリー・ジャケット
いくつもの金色のバックルと穴飾りと縁取りが付いていて、明るい黄色のミリタリー・ジャケットをフレディが初めて着用したのは1986年のマジック・ツアーの際、ウェンブリー・スタジアムでパフォーマンスを行った時だ。
フレディの黄色いジャケットを作り出したのは、彼の友人でコスチューム・デザイナーのダイアナ・モーズリーで、スペインのオペラ衣装からヒントを得て作られたものらしい。フレディはそのジャケットと両脚の横に金の装飾付きで赤いストライプの入ったパンツを合わせていた。「僕のファッションは派手だけどセンス抜群なのさ」とフレディは言った。
偉大なる模倣者、フレディ
80年代後半にアルバム『Mr. Bad Guy』で自らのソロでの創造性を追求していたフレディは、依然として自分のことを笑い飛ばすことを忘れていなかったことを証明した。彼の1987年の曲「The Great Pretender」のビデオでは、彼の長年にわたるクイーンでの様々なスタイルをパロディしているのを見ることができる。デイヴィッド・マレット監督によるこのビデオには、きれいにヒゲを剃ったフレディが登場する。
フォーマルに決める
晩年のフレディは風変わりなものを求める本能を、大胆な音楽スタイルへ向けていたが、その一つが伝説的オペラスターのモンセラート・カバリェとのデュエットだ。フレディがこのスペイン人のオペラ歌手とコラボした時は、黒のボウタイを締め、スタイリッシュなタキシードに身を包んでいた。
フレディによると、フォーマルな服装でライヴのパフォーマンスを行ったのはその時が初めてだったらしい。確かにピチピチの半ズボンや、革のパンツそしてジャンプスーツとは両極端だった。
Written By Martin Chilton
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