過激な歌詞と検閲:“Parental Advisory”が生まれる切っ掛けとなった“汚らわしい15曲”とミュージシャンの反応

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有害な内容の音楽を排除することを目指していたティッパー・ゴア率いるペアレンツ・ミュージック・リソース・センターは、「汚らわしい15曲 / Filthy 15」をリストアップし、アメリカ上院議会で議論を巻き起こした。


今から30年以上前、アメリカでは、15の曲が公序良俗を乱す曲として名指しされた。政治家の妻たちによる過激になっていった歌詞への反動的な運動の中で、これら15曲が「汚らわしい15曲 / Filthy 15」として槍玉に挙げられ、その結果、彼らの圧力によって「露骨な歌詞」が含まれていることを警告するステッカー「Parental Advisory」がレコードやCDのジャケットに貼られるようになった。それからかなり年月は過ぎたが、槍玉に挙げられた曲に関する議論は今でも語り草となっている。2018年には、作曲家のニコール・リジーがこの問題をテーマとした作品「汚らわしい15曲」を発表し、有名なバービカン・シアターを含む各地の演劇会場で上演されている。

「初めのころ、私は驚いて呆然としていた。けれど、じきに怒りが爆発した」

作品で発表する表現がどこまで許容されるのか……それをめぐる議論は昔からあった。たとえばコール・ポーターは、1934年に発表した「Anything Goes」の中で「四文字言葉しか使わない」ライターについて冗談を飛ばしていた。とはいえ、有害な歌詞をめぐる全国的な論争は1984年に始まった。

そもそものきっかけは、上院議員アル・ゴアの妻ティッパー・ゴアが当時11歳の娘にプリンスのレコードに買い与えたことにあった。彼女は、自らの著書『Raising PG Kids In An X-Rated Society』の中で、そのレコードに収められていた曲「Darling Nikki」を聴いた時の様子を振り返っている。この曲の歌詞には「セックス中毒の女の子が雑誌で自慰行為をしている」という一節が含まれていた。ティッパーは次のように書いている。「この下品な歌詞を聞いて、私も娘も気まずい思いをした。最初のうち私は驚いて呆然としていた。けれど、じきに怒りが爆発した」

ティッパーは、他の保守的な有力者の妻3人と共にペアレンツ・ミュージック・リソース・センター(PMRC)を設立した。他の3人は、スーザン・ベイカー(財務長官ジェームズ・ベイカーの妻)、パム・ハワー(米共和党の有力支持者だった不動産業者レイモンド・ハワーの妻)、サリー・ネビアス(ニクソン大統領がワシントン市議会議長に任命したジョン・ネビアスの妻)という顔ぶれだった。PMRCは、特に不快な曲のリスト、通称「汚らわしい15曲」を公表した。その筆頭に挙げられていたのはプリンスだった。

PMRCは強力なロビー活動を繰り広げ、各地のPTA から支持を集めた。1985年8月、19のレコード会社が「Parental Guidance: Explicit Lyrics」(親への勧告: 露骨な歌詞)のステッカーを一部のアルバムに貼り付けることに同意。さらにPMRCは、「ポルノ・ロック」の独自のレーティング・システムを考案した。このシステムでは、「X」は「下品または性的に露骨な歌詞」、「O」は「オカルトにちなんだ内容」、「D/A」は「ドラッグやアルコールに関する歌詞」、「V」は「暴力的な内容」を示す頭文字となっていた。シンディ・ローパーの「She Bop」には「いいバイブレーションを感じる」という歌詞が含まれていたが、PMRCはこの部分が劣情を催させる思わせぶりな内容であり、それゆえ問題だと主張していた。

この年の9月19日、アメリカ上院議会の商業・科学・交通委員会が、アルバムへの警告ステッカーの貼付に関する公聴会を開催した。PMRCがステッカーの貼付の必要性を訴える一方で、3人のミュージシャンが証人として証言台に立った。まずフランク・ザッパは、「このステッカーの貼付という行為が検閲のように見え、検閲のような臭いがするのなら、それはまさしく検閲に他なりません。誰の妻の主張であろうと関係ありません」と主張した。ヘヴィーメタル・バンド、トゥイステッド・シスターのリード・ヴォーカリストであるディー・スナイダーは、これは紛れもない人権侵害だと訴えた。

証言台に立った3人目のミュージシャンはジョン・デンヴァーだった。スナイダーは次のように振り返っている。

「ジョン・デンヴァーは偉かった。彼の証言は、とりわけ痛烈に感じられた。というのもPMRCの側は、彼が検閲に賛成してくれるものだとばかり思っていたんだからね。ジョン・デンヴァーといえば、お母様方のお気に入りで、ご家庭でも安心して聴ける人畜無害な歌手だったから。でもいざ証言台に立った彼は、“私はこのステッカーの貼付を、ナチス・ドイツの焚書になぞらえたいと思います”と言い始めたんだ。PMRCのほうは、もう真っ青な顔になってたよ。ジョン・デンヴァーの証言は、いろんな意味で最高に強力だった」

そうしてデンヴァーが反対意見を述べたにも関わらず、PMRCは目標を達成し、アルバムにはステッカーが貼られるようになった。しかし必ずしも彼らの求めていた形で物事が推移したわけではなかった。例のリストで槍玉に挙げられたヘヴィ・メタル・バンドは、全米のキッズたちにとっては「過激な歌詞が入っている!」として、それらのレコードを購入して、軒並みレコードの販売枚数を伸ばし、知名度も上がった。そしてその後のロック、ラップ、カントリーで歌われるようになった歌詞を聞けば、PMRCは負け戦を戦っていたように思える。とはいえ、本人たちはそのように考えていないようだ。最近スーザン・ベイカーは、雑誌『TIME』のインタビューに答え、「ペアレンタル・アドヴァイザリー」のステッカーを目にすると、今でも笑顔になると語っている。

彼女は、あの運動がたくさんの良い結果をもたらしたと主張している。ことによるとそうなのかもしれない。あるいは、ティッパーとその仲間たちが成し遂げた功績というのは、1980年代後期の反抗的な若者たちのために最高のミックス・テープを選曲したことにあったのかもしれない。それでは「汚らわしい15曲 / Filthy 15」の全曲を紹介しよう。

 

1. プリンス「Darling Nikki」(1984年)

プリンスのアルバム『Purple Rain』に収められていたこの曲は、実のところ、男性の視点から描かれた歌詞になっていた。語り手は、自分のガールフレンドがライバルのために働き始めたので、そのガールフレンドに恥をかかせようとしていたのである。ティッパー・ゴアの逆鱗に触れたのは、少女が自慰行為をするという歌詞の一節だった。2004年に当時のことを振り返ったプリンスは、「あのころは今と違っていた」とそっけなく語っている。アルバム『Purple Rain』は13プラチナ・アルバムとなり、全世界での売り上げ枚数は2,500万枚を超えた。

 

2. シーナ・イーストン「Sugar Walls」(1984年)

「Sugar Walls」は、スコットランド出身の歌手シーナ・イーストンのアルバム『Private Heaven』に収められていた。「プライベートなスポットがドキドキする」や「私の甘い壁の中で一夜を過ごす」といった歌詞が何を指しているのか、特に議論の必要はないだろう。ちなみにこの曲の作者としてクレジットされているアレグザンダー・ネヴァーマインドはプリンスのペンネームだ。

このシングルには、PMRCの勘に触る要素がたくさん含まれていた。しかしイーストン本人は、次のような弁明をしている。

「女性がセクシーになりたい時にセクシーになることは別に恥ずかしいことじゃない。男性は、自分がセクシーであることについて謝罪する必要なんて全然ない。アートで大事なのは自由であること。この曲が気に入らないなら、他のをどうぞ」

 

3. ジューダス・プリースト「Eat Me Alive」(1984年)

アルバム『Defenders Of The Faith』を発表した時点で、ジューダス・プリーストは既に10年間にわたってアルバムを出し続けていた。彼らの場合、槍玉に挙げられたのはこのアルバムの収録曲「Eat Me Alive」だった。この曲の歌詞には、「鋼鉄の竿」や「快楽ゾーンでのうめき声」といったフレーズが含まれていた。ティッパー・ゴアは、この曲が「銃を突きつけられた状態でのオーラル・セックス」を擁護していると主張。

一方ジューダス・プリーストの側は、PMRCに対する返答として、1986年に「Parental Guidance」という曲を発表している。バンドのオリジナル・メンバーであるK・K・ダウニングによれば、プリーストは「俺たちはやりすぎたんだろうか?」と自問自答したが、最終的にはこう結論づけた。

「俺たちはメタル・バンドだ。スイセンやバラの歌なんか歌わない」

 

4. ヴァニティ「Strap On Robbie Baby」(1984年)

『Wild Animal』は、カナダ人の歌手ヴァニティ(本名:デニース・カトリーナ・マシューズ)のデビュー・アルバムだった。このアルバムは、1984年11月にモータウン・レーベルから発表された。性的に挑発的な歌詞(「あなたが私の玄関で滑りたくなったら、扉は開く/あなた自身を縛り付けて、乗ればいい」)は、彼女の当時のボーイフレンド、ロビー・ブルースが作ったものだった。

その数年後には、ヴァニティは雑誌『プレイボーイ』でヌードを披露している。2016年に57歳の若さで亡くなる前、彼女は「若く無責任で愚かで罪深い女」であったことを後悔し、後半生の自分は「イエス・キリストに真実を求めることで自由になれた」と語っていた。

 

5. モトリー・クルー「Bastard」(1983年)

『Shout At The Devil』は、アメリカのヘヴィ・メタル・バンド、モトリー・クルーが出した2枚目のスタジオ・アルバムだった。その収録曲のひとつ「Bastard」が賛否両論を呼んだのは、人を刺して死に至らしめることを描いた暴力的な歌詞に原因があった。しかし警告ステッカーは、むしろ購買意欲を掻き立てる結果を招いた。このバンドのヴォーカリスト、ヴィンス・ニールは後にこう語っている。

「あのステッカー、“親への警告 / Parental Advisory”というステッカーがついた途端に、アルバムの売れ行きがグンと伸びたんだ。キッズには、以前にも増して好評だったというわけ」

 

6. AC/DC「Let Me Put My Love Into You」(1980年)

「Let Me Put My Love Into You」は、オーストラリアのバンド、AC/DCがPMRC騒動の5年前に出したアルバム『Back In Black』の収録曲だった。PMRCは、「俺のナイフでお前のケーキを切らせてくれ」という歌詞が下品な内容だと指摘した。一方バンドの側は、自分たちを検閲するのは「悪魔のような不寛容さ」によるものだと主張した。

 

7. トゥイステッド・シスター「We’re Not Gonna Take It」(1984年)

トゥイステッド・シスターの「We’re Not Gonna Take It」は、このバンドのヴォーカリスト、ディー・スナイダーが作った曲だ。PMRCはこの曲が暴力を奨励していると主張したが、作者本人はその主張が的外れだと述べた。この曲は最終的に全米シングル・チャートで最高2位を記録している。スナイダーは次のように語っている。

「PMRCは、この曲のプロモ・ビデオと歌詞の内容を混同したのかもしれない。ビデオの描写が、歌詞の内容とまったく無関係なものになるのはよくあることだ。“We’re Not Gonna Take It”のビデオの場合、アニメの『ロードランナー』に出てくるようなドタバタのアクションを実際の俳優がやるというのがキモだった。どのアクション・シーンも、俺が集めていたアニメのドタバタ・シーンを再現してるんだ」

 

8.マドンナ「Dress You Up」(1984年)

1980年代のショッキングな曲のリストを作る場合、マドンナはどうしても外せない。PMRCが槍玉に挙げた彼女の曲は、アルバム『Like A Virgin』に収録されていた「Dress You Up」だった。この曲の歌詞は「私の愛であなたをドレスアップしてあげる/あなたの体の全体を」といった内容だが、さほど性的に露骨な感じには聞こえない。マドンナ自身は、この歌に対する批判を一笑に付した。

「私はセクシー。それはどうしたって避けられないこと」

 

9. WASP「Animal (F__k Like A Beast)」(1984年)

WASPのヴォーカリスト/ギタリスト、ブラッキー・ローレスは、雑誌『National Geographic』に掲載されたライオンの交尾の写真を見て、この曲を作ったと言われていた。いずれにせよ、PMRCが作った要注意楽曲リストの仲間入りをするには、この曲名だけで十分だった。

WASPはライヴ・コンサートでこの曲を紹介するとき、「この曲はティッパー・ゴアに捧げる」というセリフを言うことが多かった。しかしローレスも後にキリスト教再生派の信徒となり、この曲の演奏を止めている。

 

10. デフ・レパード「High’n’Dry」(1981年)

デフ・レパードは、ドラッグやアルコール絡みの歌詞でPMRCから批判を受けた。特に問題視されたのは、「ウイスキーもある/ワインもある/女もいる/それじゃ、明かりを消そう」という部分だった。デフ・レパードのメンバーはこの論争に困惑し、「頑なな心の人間には興味がない」と宣言した。

 

11. マーシフル・フェイト「Into The Coven」(1983年)

デンマークのヘヴィ・メタル・バンド、マーシフル・フェイトの「Into The Coven」は、アルバム『Melissa』の収録曲だった。PMRCは、「俺の魔女集会に来て、悪魔の子になれ」という部分が不健全なオカルトへの関心を掻き立てると主張した。

一方バンドの側は、これは単なるホラー・ストーリーの歌だと説明した。それから何年も後になって、ヴォーカリストのキング・ダイアモンドは雑誌『Rolling Stone』で次のように語っている。

「あのPMRCのキャンペーンは何から何までひどかった。あの人たちはああいうことをやるくらい暇を持て余して退屈してたに違いない……というのがこちらの感想。あの人たちは色んな曲をああだこうだと解釈して文句をつけてたけど、ああいう解釈は俺たちよりもあの人たち自身の心を映し出してたんだ」

 

12. ブラック・サバス「Trashed」(1983年)

分別ある人間なら、テキーラを一瓶開けてから車を運転するという歌詞を聞いて不安になるだろう。とはいえブラック・サバスの当時のヴォーカリスト、イアン・ギランによれば、「Trashed」は実話が元になっているという。レコーディング・スタジオの敷地内で酔っ払い運転のカーレースをしていた時に、彼はドラマーのビル・ワードの車を実際に壊してしまった。

ギランは、この曲の真の狙いはアルコールが入った状態での自動車の運転が危険だと警告することにあったと主張している。サバスのメンバーは、この曲のプロモ・ビデオがわいせつな内容になったのは意図的なものだと認めている。

 

13. メリー・ジェーン・ガールズ「In My House」(1985年)

「In My House」はリック・ジェームスが作った曲で、アメリカのガール・グループ、メリー・ジェーン・ガールズのアルバム『Only Four You』に収録されている。いわゆる露骨な歌詞として槍玉に挙げられたのは「あなたに必要なものをすべて満たしてあげる/あなたが思いつくことすべてを」といった部分だった。ヴォーカリストのジョジョ・マクダフィーは、次のように語っている。

「この曲は上品に仄めかしてるだけ。なぜなら、リックはこの曲をラジオで放送してもらえるようにしたがってたから」

 

14.ヴェノム「Possessed」(1985年)

アルバム『Possessed』は1985年のエイプリルフールに発売された。このアルバムの収録曲は全部で13曲だった(この13という曲数は、おそらく意図的なものだろう)。アルバム・タイトル曲の歌詞は「俺は司祭のゲロを飲む/死にかけの娼婦とセックスをする」というもので、不愉快な内容であることは確か。それゆえ、「汚らわしい15曲」の仲間入りをすることになった。このバンドのヴォーカリスト、クロノスはこう語っている。

「これは、俺が作った中で一番やばい曲じゃない。俺はもっとやばい曲を作ってる」

 

15.シンディ・ローパー「She Bop」(1983年)

この「She Bop」については、1920年代にきわどい歌を唄っていたベッシー・スミスのような女性歌手の伝統に則った作品だということができるだろう。シンディ・ローパーは「下の方に行って、もっと楽しみたい/みんなが忠告する。その辺でやめないと失神しちゃうよ」といった思わせぶりな歌詞を唄い、PMRCの逆鱗に触れた。

この曲はキャッチーなヒット曲になった。ローパー本人が言うとおり、音楽業界ではセックスが儲かるのだ。「あれはスキャンダルだった。私は家名に泥を塗ったの」と後に彼女は微笑みながら語っている。

 

Written By Martin Chilton



 

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