音楽史を築いた兄弟姉妹による音楽デュオ11選【動画付き】

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バンドやデュオは時には家族のような存在かも知れないが、実際の兄弟姉妹の繋がりは一生ものだ。何だかんだ言っても、幼い頃の音楽の真似事を支えてくれるのは、練習するところを隣の部屋で聴いている人以外にいないだろう。 しかし一緒にパフォーマンスして金銭的なことが絡み、いい気分にさせるような褒め言葉が飛び交い出すと、家族の絆が少々ぎくしゃくし始めても不思議ではない。互いをサポートし合った者や歴史的大ゲンカをした者達、一緒に音楽史を築いた兄弟姉妹デュオを今回何組か取り上げてみた。


デュアンとグレッグ・オールマン(オールマン・ブラザーズ・バンド)

デュアン・オールマンがロック史上革新的なロックン・ロール・ギタリストだった一方で、彼の弟グレッグ・オールマンはカリスマ性のあるヴォーカリストだった。ふたりは1969年にサザン・ロック・バンドのパイオニア、オールマン・ブラザーズ・バンドを結成。デュアン・オールマンがセッション・ミュージシャンの天才だった一方、そんな彼に最初にギターの手ほどきをしたのは実はその弟だった。ふたりが別れたのは一度だけ、拘束力のある契約問題の為だった。兄弟バンドの例外と言って良いのが、オールマン兄弟がロック史上最も仲の良い家族でクリエイティヴな関係にあったことだ。

 

アンガスとマルコム・ヤング(AC/DC)

リード・ギタリストのアンガス・ヤングが、兄でリズム・ギタリストのマルコム(当時20歳)と共に、1973年にオーストラリアでハード・ロック・バンドAC/DCを結成した時、アンガス・ヤングは僅か18歳だった。しかし家族で音楽の才能があったのはふたりだけではなく、兄ジョージ・ヤングはオーストラリアの60年代のヒット・バンド、イージービーツに在籍していたし、長男アレックス・ヤングはイギリスを拠点とするバンド、グレープフルーツでベースをプレイしていた。長年活動する中で度重なるメンバー・チェンジがあったにも拘らず、ふたりの兄弟はバンドの要であり続けた。

 

リチャードとカレン・カーペンター(カーペンターズ)

リチャード・カーペンターのスタジオでの才能と、妹カレン・カーペンターの魅力的な声により、カーペンターズはアメリカ音楽界における史上最高の売り上げを誇るパフォーマーのひとつだった。家族は元々リチャード・カーペンターの才能を大事に育んでいたが、最初にレコード契約を結んだのは当時16歳のカレン・カーペンターだった。リチャード・カーペンターは音楽の原動力であり続けたが、デュオを真に際立たせていたのはカレン・カーペンターの声だった。

 

レイとデイヴ・デイヴィス(ザ・キンクス)

6人兄弟姉妹の中に生まれた、デイヴィス兄弟のレイとその弟デイヴは、強い絆で結ばれ、ずっと一緒にギターをプレイしてきた。ふたりは1964年にザ・キンクスを結成し、ブリティッシュ・インヴェイジョンの担い手のひとつとなった。しかしながら一緒に活動してきた30数年が全てバラ色だったわけではない。このリストを見てお分かりの通り、兄弟姉妹間のライバル意識は音楽創作の原動力のひとつにもなり得るのだ。

 

ジョンとトム・フォガティ(CCR)

アメリカとその後に世界を征服する以前、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(以下、CCR)のトムとジョン・フォガティは、ブルー・ヴェルヴェッツというバンドで演奏していた。ジョン・フォガティがまだ高校に通っていた頃のことだ。兄トム・フォガティがバンドのオリジナル・リーダー兼シンガーだったが、CCRと呼ばれるようになった頃には、弟ジョン・フォガティがひとりでシンガーとソングライターを担当していた。バンドは1972年に兄弟が飛び出すまで燦然と輝いていたが、ふたりの兄弟が起こしたロックン・ロールの錬金術を誰も否定することは出来ない。

 

マークとデイヴィッド・ノップラー(ダイアー・ストレイツ)

1977年にダイアー・ストレイツを結成後、マーク・ノップラーと弟デイヴィッドは、元々デモテープだった「Sultans Of Swing(邦題:悲しきサルタン)」を一夜にして大ヒットさせ、パブ・ロック・シーンの先陣を切りブリティッシュ・ロック・レジェンドとなったが、ふたりは“Brothers In Arms”(訳注:“戦友”の意。ダイアー・ストレイツのアルバム・タイトルにかけてある)では決してなかった。マーク・ノップラーがギタリスト、ヴォーカリスト、そしてソングライターとしてバンドを率いる一方、弟デイヴィッド・ノップラーはリズム・ギターとバッキング・ヴォーカルを担当し、兄弟の片方がもう一方の陰に隠れてしまう運命にあったが、彼等のライバル心は激しく爆発するというよりは、じわじわと募っていくものだった。

 

ルイスとジョージ・ジョンソン(ブラザーズ・ジョンソン)

ルイス・ジョンソンとその兄ジョージ・ジョンソンは、ミュージカル全盛期の50年代&60年代ロサンゼルスで育った。一緒にプレイするようになったのは、高校時代にもうひとりの兄弟トミーと従姉妹アレックス・ウィアーとだったが、1971年から1973年にはビリー・プレストンのグループに参加、その後クインシー・ジョーンズと活動した。その直後、デュオはブラザーズ・ジョンソンを結成し、ジョージ・ジョンソンはスリック・ギター・スタイルで“ライトニング・リックス”、ルイス・ジョンソンは特徴的なスラップ・ベースで“サンダー・サム”というニック・ネームを得た。ヒット作を数曲連発した後、ソロ・プロジェクトに取り組むべく1982年に解散。その後スタジオ・アルバムの為に1984年と1988年に再結成する。

 

アンとナンシー・ウィルソン(ハート)

兄弟姉妹1組よりも2組の方が良い場合もある。ハートには一時期アンとナンシー・ウィルソン姉妹と、ふたりのバンド・メイトであり恋人のマイクとロジャー・フィッシャーが在籍していた。その後グループは40年に亘りラインアップを変えつつ、アン・ウィルソンとナンシー・ウィルソンがバンドのクリエイティヴ・コアであり続けた。姉妹はクラシック・ロックのファースト・レディとして、バンドが変わりゆく数十年間、不安定な水面を航行し、互いをしっかりと支え合いながら、アルバムを世界中で3,000万枚以上売り上げた。

 

ドンとハロルド・リード(ザ・スタットラー・ブラザーズ)

有名なカントリー・ゴスペル・カルテットのザ・スタットラー・ブラザーズの半分、ハロルドとドン・リードは健全なツアー経験の持ち主で、当時のロック・アーティスト達のような試練や苦難に直面していない。シェナンドー・バレーで生まれ育った彼等は、教会のゴスペル・ハーモニーを彼等が夢中だったカントリー・ミュージックに乗せながら、そのキャリアを築いていった。ドンとその兄と彼等の友人ふたりは、ティーンエイジャーの頃から歌い始め、周知の通り1964年にジョニー・キャッシュに見出され、その後40年に亘りヒット作を生み続けた。

 

ドンとフィル・エヴェリー(エヴァリー・ブラザーズ)

ドンとフィル・エヴァリーは、ステージ上では呼吸がぴったり合っていたかも知れないが、オフステージでは話が別だった。8歳と6歳の時から、そして40年代後半を通して、兄弟は家族のラジオ・ショウで一緒にパフォーマンスすることを強いられた。50年代後半にアメリカやイギリスからヒットが誕生し、初期ロックン・ロール・シーンが動き始めると、デュオも有名になっていった。スティール弦ギターを使ったカントリー調ロックで知られる兄弟は、1973年に最終的にデュオをやめるまで、同一世代の全てのアーティストに影響を与えるほどの長い期間、一緒に活動し続けた。「口喧嘩はこれまで一度だけ。それが25年間続いている」とその当時フィル・エヴァリーは述べている。

 

ノエルとリアム・ギャラガ―(オアシス)

ギャラガ―兄弟は、ふたりの対立をスポーツのように人々に見せながらそのキャリアを築いていった。オアシス絶頂期の頃にも、ふたりはテレビ中継で、演奏中に言葉で激しく応酬し合い、その対立は躯体的なものへと発展することもあった。印税やソングライティング・クレジットを巡って喧嘩するバンドがある一方、ギャラガ―兄弟は“ロックン・ロールとは音楽そのものか、それともワイルドで正直で思いのままの人生を送ることなのか”と屁理屈を言い合っていた。ふたりはレコードを世界中で7,000万枚以上売った後、それぞれのプロジェクトをスタートさせる為2009年についに解散する。イーグルスの再結成に地獄が氷で覆われるまで(訳注:半永久的に、アルバム『Hell Freezes Over』にかけてある)時間が掛かったのだとしたら、オアシスが一緒にプレイするのにどれだけ神の介入を必要とするか、それはもう想像するしかない。

 

Written By Laura Stavropoulos


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