エクストリーム『Extreme』解説:潜在能力が最大限に引き出されたデビュー・アルバム
当時エクストリームのメンバーは野心に満ちた4人の若手ミュージシャンだったが、それぞれの目指す方向はまったく異なっていた。実際、偶然の出会いがなければ、彼らが一緒に演奏することはなかっただろう。実際、彼らは初めて出会った日に殴り合いの喧嘩をしているのだ。
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初対面は喧嘩
一見取るに足らないその出来事は、1985年に起こった。そのころ、彼らは地元マサチューセッツで別々のグループに所属し、同地に数多く存在した小さなクラブをそれぞれに回っていた。誰もがブレイクを望みながら、なかなか芽が出なかったのである。
ヴォーカリストのゲイリー・シェローンとドラマーのポール・ギアリーはザ・ドリームというグループ、ギタリストのヌーノ・ベッテンコートはシンフルというグループ、そしてベーシストのパット・バッジャーはザ・ピンクというグループにそれぞれ在籍していた。全員が目立ちたがり屋だった彼らは、あるとき数ある地元の会場の一つで共演。窮屈な楽屋裏に押し込まれると、拳が飛び交う事態に発展した。
だが、そこからお互いを理解した4人は、それぞれのグループを脱退。手を携えてエクストリームを結成し、シェローンとベッテンコートは共同で質の高い楽曲を次々に作曲していった。そうして彼らはボストン近辺でライヴを重ね、熱心なファン層を獲得。1987年のボストン・ミュージック・アワードではギャング・グリーンと並んで最優秀ヘヴィ・メタル/ハードコア・アクト賞を受賞するなど、その評判は着実に高まっていった。
レコード業界各社はこの新鋭4人組に目をつけた。そして1988年までに、A&MレコードのA&R部門の責任者だったブライアン・フッテンハウアーが彼らと契約を結んだ。A&Mはセルフ・タイトルのデビュー・アルバムに、ドイツ人プロデューサー/エンジニアのマック (ラインハルト・マックの名前でも知られる) を起用。彼はジョルジオ・モロダーがミュンヘンに設立したミュージックランド・スタジオでの仕事で有名な人物だ。
また、マックはスコーピオンズの『Fly To The Rainbow』や、ザ・ローリング・ストーンズの『Black And Blue』、クイーンが1980年に発表した『The Game』( 彼は『The Game』でグラミー賞の最優秀プロデューサー賞にノミネートされている)など影響力のあるロック・アルバムに関わっており、その実績はエクストリームの面々を興奮させたという。
“子ども時代”がテーマのアルバムの内容
1988年の冬に制作され、1989年3月14日にリリースされた『Extreme』は、改めて聴いても完成度の高いハード・ロック/メタル・アルバムだ。そこには、若いメンバーたちにみなぎる大きな自信がよく表れている。歌詞では、“子ども時代”がこのアルバムの主たるテーマになっている。
「Little Girls」「Kid Ego」「Play With Me」「Mutha (Don’t Wanna Go To School Today)」という4点のシングルはいずれもコーラスを多用したパンチのある楽曲だが、それらはすべて、成長や思春期の欲望といったものに関して歌ったものだ。エクストリームを中傷する者たちは、バンドの風刺的で子供じみた楽曲を批判する傾向にあったが、「Wind Me Up」や、学校教師の性的な妄想を歌った「Teacher’s Pet」といった楽曲の他愛なさを、彼ら自身は十分承知していたのである。
さらに重要なことは、『Extreme』を代表する楽曲には、結成から間もない彼らの息を呑むような演奏技術と、彼らの抱く大いなる野心が同居しているという点だ。例えば、同アルバムのハイライトとなっている楽曲 ―― 壮大で雰囲気のある「Watching, Waiting」 (キリストの磔刑を題材にしていると言われる) や、ストリングスやピアノ、ヴォーカルの多重録音を使用したクイーン風の凝った組曲「Rock A Bye Bye」など ―― からは、エクストリームが同世代の多くのヘア・メタル・バンドのはるか先を行っていたことがわかる。
また、ベッテンコートのスター性が花開きつつあったことは、彼が「Mutha (Don’t Wanna Go To School Today)」の冒頭で披露する、ジミ・ヘンドリックス風の華麗な演奏を聴けば誰の耳にも明らかだ。同曲のギター・ソロにおける技術の高さについては言うまでもないだろう。はじめはキース・リチャーズのような無骨なプレイだが、トグル・スイッチを切り替えると、ブライアン・メイのように優雅な演奏へと早変わりするのだ。
「Play With Me」が1989年に公開され若き日のキアヌ・リーブスが主演したことでも知られる映画『ビルとテッドの大冒険』のショッピング・モールでのシーンに使用されたことも少しばかりの助けとなり、『Extreme』は順調なセールスを記録。約30万枚を売り上げ、A&Mは若い彼らとの長期契約を決めたのだった。
そして、エクストリームの面々はすぐにレーベルの信頼に報いた。彼ららしからぬ柔らかなバラード「More Than Words」がビルボード・チャートで首位を獲得したこともあり、1990年に発表した2ndアルバム『Pornograffitti』はダブル・プラチナに認定されるヒットになったのだ。
彼らは1992年作『III Sides To Every Story』でもプラチナ・ディスク級のセールスをマークしたが、1995年作『Waiting For The Punchline』を発表したあと円満に解散。しかし2000年代に入って再結成を果たしている。
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エクストリーム『Extreme』
1989年3月14日発売
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