エルヴィス・コステロ『This Year’s Model』:シングルヒットに恵まれなくてもヒットした2ndアルバム

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エルヴィス・コステロ(Elvis Costello)が1978年3月17日にリリースしたセカンド・アルバム『This Year’s Model』のタイトルは、音楽業界において常に移り変わるトレンドの儚さを彼らしいセンスで皮肉ったものだった。しかしこのフレーズは、当時ブレイク渦中にあった彼のステータスを的確に表すものでもあった。同年4月15日、彼のデビュー・アルバム『My Aim Is True』がまだ全米チャートにランクインしている中、2作目のアルバムがそこに加わった。

同週の全米チャートでは、UK勢の活躍が目立った。ウイングスは新作『London Town』で20位にランクインし、アヴェレイジ・ホワイト・バンドの『Warmer Communications』とロバート・パーマー『Double Fun』の最新アルバムが共にTOP50入り。その2週間後、前作に続きニック・ロウがプロデュースしたエルヴィス・コステロの新作『This Year’s Model』もTOP50入りを果たし、その後最高30位に到達したのだ。

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アメリカではヒット・シングルに恵まれず

当時、エルヴィス・コステロのアメリカでのキャリアは上向きで、セカンド・アルバム『This Year’s Model』はデビュー作『My Aim Is True』の2つ上の順位でピークを迎えたが、チャート滞在期間は、1作目が36週だったのに対し、2作目は17週とかなり短かった。

本国UKでは、シングル・ヒットがアルバム・セールスを後押ししていた一方で、彼が全米シングル・チャート(Billboard Hot 100)にランクインするのはさらに5年後のことで、これは当時のアメリカのラジオやテレビがいわゆる“ニュー・ウェーブ”をいかに警戒していたかを物語っている。

エルヴィス・コステロ & ジ・アトラクションズの『This Year’s Model』が全米で発売を迎えた週、UKでは同アルバムからのリード・シングル「(I Don’t Want To Go To) Chelsea」が全英チャート最高位となる16位を記録し、アルバムは発売から14週目にして4位まで上昇していた。

当時の彼にとって、事態は目まぐるしく動いていた。セカンド・アルバムの発表時、エルヴィス・コステロ名義で行った最初のライブから1年も経っておらず、前職となる化粧品メーカー、エリザベス・アーデンでのプログラマーの仕事を辞めてからわずか9ヶ月しか経っていなかった。海を越えて、最初の2作のアルバムは、1978年明けの3ヶ月間にわたって行われた全米ツアーの盛り上がりに伴い、チャートを上昇。この年のエルヴィス・コステロ & ジ・アトラクションズのツアーには、ミンク・デヴィル、プロデューサーのニック・ロウが参加するロックパイルも出演していた。

また同年4月までに、エルヴィスとバンドはイギリスへと戻り、14日間のツアーを行い、16日にロンドンのラウンドハウスでフィナーレを迎えた。アルバム『This Year’s Model』のイギリスでのセカンド・シングル「Pump It Up」はチャート・ヒットへの準備を整え、彼らの容赦ないスケジュールは続いていった。

Written By Paul Sexton



エルヴィス・コステロ & ジ・アトラクションズ『This Year’s Model』
1978年3月17日発売
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