エルトン・ジョン初のアルバム1位は本国ではなくアメリカだった

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1972年7月15日、エルトン・ジョンは、彼が今までアメリカで成し遂げていなかったことをやってのけた。それは彼が自分の国でもできなかったことだった。

その週の全米アルバム・チャートで、エルトン・ジョンの『Honky Château』がザ・ローリング・ストーンズの『Exile On Main St(邦題: メイン・ストリートのならず者)』からトップの座を奪い、このイギリス出身のシンガー・ソングライターが初めての1位を獲得。その後このアルバムは5週間連続でトップの座を守り、61週間連続チャート入りした。

『Honky Château』の発売前、エルトン・ジョンはかなり多くの時間を人気上昇中のアメリカに捧げ、その年のスーパースターの座を担うことになった。すでにアメリカでは3枚のアルバムがトップ10入りしていた。『Thumbleweed Connection(邦題: エルトン・ジョン3)』 や『Madman Across The Water(邦題: マッドマン)』 といったアルバムでは、この世代における最もオリジナリティがある作曲家の1人として賞賛されていた。しかし、今では有名になったパリ郊外のシャトー・デルーヴィルでレコーディングを行い、そこから名前をとったアルバム『Honky Château』は彼の勝負を新たなレヴェルに引き上げた。エルトン・ジョンと彼のバンドはそのレコーディング場所のクリエイティブな雰囲気をとても気に入り、3枚にわたり、アルバム制作をそこで行うことになる。

シングル「Honky Cat」のメキシコ・ヴァージョン(ピクチャー・スリーヴ)

アルバムからの最初のシングル曲「Rocket Man」は5月上旬以降、全米シングル・チャートを登り続け、アルバムが1位に輝いたまさしくその週に6位を記録。次のシングル曲「Honky Cat」も9月にはトップ10入りを果たした。

一方、エルトン・ジョンのイギリスのオーディエンスは少し出遅れ気味だった。イギリスでは『Honky Château』とシングル曲「Rocket Man」が2位になったものの、シングル曲「Honky Cat」は31位に留まる結果となった。1973年のアルバム『Don’t Shoot Me I’m Only The Piano Player(邦題: ピアニストを撃つな!)』 でやっと、エルトンは初の全英アルバムチャート1位を獲得。アルバムは4週続けて全英No.1を獲得し、イギリスでもエルトン・ジョンの勢いは本当に止められないものとなった。

ガス・ダッジョンがプロデュースを行い、エルトン・ジョンの信頼するバンド、デイヴィー・ジョンストン、ディー・マレー、ナイジェル・オルソン、そしてチームの作詞家としてバーニー・トーピンがシャトーに招聘されて制作された『Honky Château』は素晴らしいアルバムとなった。「Honky Cat」や「Hercules」といった曲は、特にドクター・ジョンに共感したエルトン・ジョンのサザンロックの影響をあらわにし、「Mona Lisas and Mad Hatters」は最も魅力的な初期バラードのひとつとして残っている。ちょうど44年前、エルトン・ジョン初めてのシャトーでの滞在がアメリカを征服することになるとは誰も主張できなかっただろう。

Written by Paul Sexton


『ロケットマン(オリジナル・サウンドトラック)』
2019年5月24日発売(輸入盤CD / 配信)
2019年 8月21日発売(日本盤CD)

<映画情報>
『ロケットマン』
8月23日(金)より、全国ロードショー
公式サイト



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