オールマン・ブラザーズ・バンド『Eat A Peach』:デュアン亡き後の名作アルバム
3枚目となるスタジオ・アルバム『Eat A Peach』の最初に収録されている 「Ain’t Wastin’ Time No More(邦題:時はもう無駄に出来ない)」のオープニングオールマン・ブラザーズ・バンドはその実力を示している。しかしファンたちは『Eat A Peach』が悲しみ溢れたアルバムであることを知っている。なぜなら1971年の9月から12月にかけてレコーディングされたこのアルバム制作中の10月29日にデュアン・オールマンが24歳の若さでバイク事故による悲劇的な最後を迎えたからだ。そしてアルバムのオープニング・トラックは弟のグレッグ・オールマンのために書かれた曲だった。
元々はダブルLPとして制作され、3つの異なる要素から成っていた。ファースト・アルバムのA面にはより短いトラックが収録され、両アルバムのB面には長さを調整するためにカットされた30分間の「Mountain Jam」のライヴ盤が収録され、ライヴ録音された2枚目のLPのA面には更に2曲が収録された。CDバージョンには「Mountain Jam」が1つのトラックとして収録され、後のデラックス・リイシュー盤では1971年6月27日のフィルモアで行われたステージ最終日からの音源が追加された。
1971年9月にバンドはマイアミにあるクライテリア・スタジオでプロデューサーのトム・ダウドと共にセッションを行い、「Blue Sky」、後にヴォーカルが追加され「Stand Back」と名前が変更になったインストゥルメンタルの「The Road to Calico」、そしてデュアンの美しいインストゥルメンタル「Little Martha」がレコーディングされた。それからバンドは再びツアーに出て、その後にメンバー4人が薬物中毒のリハビリに参加した。
早すぎたデュアンの死だったが、メンバーたちはそのまま活動を続けることを決心した。ドラマーのブッチ・トラックスは後にこう語っている「(デュアンは)教師のような存在で僕たちに何かを与えてくれた。だから弟子である僕たちは演奏を通じてそれを伝えないといけない」。
アルバムに収録されている3曲「Melissa」、「Les Brers in A Minor」、そして「Ain’t Wastin’ Time No More」は12月にマイアミで行われたセッションでレコーディングされた。曲を書いたレ・ブレル(ディッキー・ベッツ)は後にオールマン・ブラザーズ・バンドらしくない曲だったと話している。「Melissa」は1967年にグレッグが作曲した曲で、曲作りを始めたばかりの頃に書いた曲だったが残しておく価値があると彼は思った。そしてデュアンもお気に入りだった。しかしオールマン・ブラザーズ・バンドにしては少し鋭さに欠けているとグレッグは感じ、いつかソロとしてレコーディングすると考えていたが、デュアンに捧げるためにこのアルバムに収録した。
エクステンデッド・バージョンの「Mountain Jam」を含むライヴ・トラックはすべてフィルモア・イーストにてレコーディングされた。「Mountain Jam」とマディ・ウォーターズの「Trouble No More」は1971年3月に、そしてエルモア・ジェームズのカヴァー「One Way Out」は1971年6月27日にレコーディングされた。
デュアンが亡くなった時、まだアルバム名はつけられていなかったが、完成した時にアトランティック・レコードが『The Kind We Grow in Dixie』というタイトルを提案したが、直ぐに却下された。ブッチ・トラックスが「Eat a Peach for Peace(*平和のために桃を食べよう)」と提案したのは、デュアンが一度インタビューでそう答えたからである。「僕は平和のために努力している。そしてジョージア州に行くたびに平和のために桃を食べる。だけど革命は防ぎようがない。なぜなら進化しか道はないから。この国が様々な変化を必要としているのは理解できるけど、みんながもう少しだけ視野を広げてくれたら、そしてもっとヒッピー的な考えを持ってくれたら、きっと世界は変わってくれる」ジョージア州は“桃の州”として知られている。
ブッチ・トラックスも、デュアンが生きていた頃に手掛けられたアルバム・アートワークからインスピレーションを得た。ワンダー・グラフィックス社のW・デヴィッド・パウエルがジョージア州アセンズにあるドラッグストアで古い絵葉書を目にした。そこには桃が乗ったトラックと、スイカが乗った鉄道車両が描かれていた。彼はそれらの絵葉書を購入し、アルバムの独特なジャケットを手掛けた。アルバムにはまだ名前がなかったため、アートワークにはタイトルが含まれていない。
アルバムのリリース前、デュアンなしではバンドは自滅するのではないかという憶測が飛び交っていた。アルバムのプロモーションを開始するにあたり、ニューオーリンズのウェアハウスで行われる大晦日ライヴをラジオで生中継することが企画された。それはオールマン・ブラザーズ・バンドがまだ元気に生きているというイメージを高める手助けをした。アルバムは1972年2月12日にリリースされるとすぐに成功を収め、全米アルバム・チャートで4位にランクインした。
ローリング・ストーンズ誌のトニー・グローヴァーによると、「オールマン・ブラザーズ・バンドは今でも変わらずに最も素晴らしいバンドであり続ける…永遠に活動し続けて欲しい…本当に心から楽しんでプレイしているバンドは他に本当にいるだろうか?」
「Melissa」はアルバムの中で最も成功したシングルで、全米シングル・チャートで65位にランクインした。「Ain’t Wastin’ Time No More」と「One Way Out」もシングルとしてリリースされ、それぞれ77位と86位にランクインされた。1972年中にバンドはアルバムのプロモーションとして100近くのライヴを行い、その殆どではヘッドライナーを務め、同レーベルのカウボーイやウェット・ウィリーがオープニング・アクトとしてステージに立った。「彼のために演奏していた。そうすることで彼を近くに感じられたから」とトラックスは言う。
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