ストーンズ、そしてブリティッシュ・ロックの誕生の地「イーリング・クラブ」特集:ドキュメント映画の公開も決定

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ロンドン西部イーリング区、懐かしの‘ABCベーカリー’(※19世紀創業のパンの店で、ティールームを併設。かつて全英にチェーンがあった)の脇から入った地下室は、音楽史上最も重要な場所のひとつとは思えないほど、慎ましく質素な場所だ。しかしながら、これまで見過ごされてきた歴史的なこの会場イーリング区ブロードウェイ通り42番地Aは、ブリティッシュ・ブルースに火をつけると共に、ザ・ローリング・ストーンズザ・フーを含む英国のロック・ミュージシャン黄金世代にとって、輝かしいキャリアの出発点の役割を果たしていた。この“イーリング・クラブ”の価値ある歴史を称えているのが、今回製作されたドキュメンタリー映画『Suburban Steps To Rockland: The Story Of The Ealing Club』である。

1961年後半、アレクシス・コーナーとシリル・デイヴィスのバンドで時折歌っていたのが、ロニー・ウッドの兄で大のブルース好きだったアートことアーサー・ウッドだ。彼はアレクシス・コーナーのバンド、つまりアレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレイテッドの演奏の場として、トラッド・ジャズのライヴが行われていたこの地下の酒場がもってこいではないかと提案したのである(このバンドには、若き日のチャーリー・ワッツの他、ギタリストのロング・ジョン・ボールドリーや、サックス奏者のディック・ヘクストール・スミスらも参加していた)。

uDiscoverとのインタビューで、イーリングの音楽的遺産にスポットを当てることを目的とする非営利団体「イーリング・クラブ・コミュニティ・インタレスト・カンパニー」共同設立者アレスター・ヤングは、次のように語っている。「コーナーとデイヴィスは、スキッフル・ムーヴメントや、クリス・バーバーといったミュージシャン達と密接に関わっていました。当時、多くのクラブ、特にフォークやジャズのクラブがアンプを使用した音楽の演奏を許可していなかった中、ブルース・インコーポレイテッドはエレクトリック・ブルースを試してみたいと考えていました。店は当時、主に酒を飲むためのクラブだったんですが、彼らはそこに可能性を見出しました。そして店主のフェリ・アスガリは、彼らがそこで演奏することを喜んで受け入れたというわけです」。

1962年3月14日付ジャズ・ニュース誌に、バンドは次のような広告を掲載した。「アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーボレイテッド/今年最もエキサイティングなイベント/リズム&ブルース・クラブ/第1回:ロンドンW5地区‘イーリング・クラブ’(地下鉄イーリング・ブロードウェイ駅の出口正面)にて開催。英国初のリズム&ブルース・バンドがデビュー/今週土曜日より、毎週土曜午後7時半開演」。

アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレイテッドを紹介するフライヤー(提供:イーリング・クラブ)

アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレイテッドが同クラブの小さなステージに初登場したのは、その3日後のこと。その夜について、アレクシス・コーナーはこう回想している。「クラブは200人入れば満員のキャパで、当時のロンドンにはブルース・ファンは100人ほどしかいなかった……そして初日の晩、その全員がこのクラブに足を運んだんだ」。

同クラブについて描いた前述の新作映画『Suburban Steps To Rockland: The Story Of The Ealing Club』で、プロデューサーも務めているアレスター・ヤングは、「元々このクラブは少し汚らしかったものの、良い雰囲気があった。熱気のあまり結露が起きて、チャーリー・ワッツの頭に雫が垂れていたくらいだったね」と語っている。

機器を保護するため、クラブのスタッフが時折マイクとスピーカーをシートで覆わなければならないこともあり、イーリング・クラブに“湿気巻き上げ装置”というニックネームを付けたミュージシャンもいたほどだ。

ザ・フーのドラマーだったキース・ムーンがこの部屋の熱気を持て余していたことを、フェリ・アスガリはこう思い出す。「キースには数え切れないほどシャツを貸したよ。彼はものすごく汗をかくから、シャツを脱ぎ捨てては新しい着替えを要求したものさ。キースと僕はサイズが同じだったので、僕のマネージャーのジャッキーがライヴ中、キースに渡すため、僕のシャツの山を用意してスタンバイしていたんだよ」。

イーリング・クラブのザ・フー (提供:62 Films)

公演初日を観に来ていた客の中にいたのが、ブライアン・ジョーンズ(当時はエルモ・ルイスと名乗っていた)だ。彼は、ミシシッピ出身のエルモア・ジェイムスのようなスライド・ギターの演奏をテープに録音し、アレクシス・コーナーに渡した。アレクシス・コーナーはそれに感銘を受け、翌週のステージに立つよう、ブライアン・ジョーンズに依頼したのである。

マディ・ウォーターズやジミー・リードといった米国の音楽に惚れ込んでいる英国のブルース・ファンにとって、これは同好の士と共にブリティッシュ・ブルースを聴く絶好のチャンスであった。ミック・ジャガーは次のように回想している。「ちょうど僕らがバンドを始めようとしていた時、イーリングにリズム&ブルース・クラブが出来たという小さな記事を読んだんだ。あの頃は、誰もがバンドを結成してみようと考えていたはずだよ。僕らは『この店に行って、どういうことが起きているのか見てみようぜ』と思ったわけさ」。

出演の順番が来るのを待つ列に自身が並んでいた時のことを、ミック・ジャガーはこう振り返る。「誰も彼もが、同じ歌を歌っていたんだよ。俺達は皆、‘Got My Mojo Working’やら何やらを歌う順番を持っていた。一番ウケが良かったのはマディ・ウォーターズだったな」。

当時リトル・ボーイ・ブルー&ブルー・ボーイズと名乗っていたミック・ジャガーとキース・リチャーズのバンドが、イーリング・クラブに行ってブライアン・ジョーンズとチャーリー・ワッツに会ったのは、1962年4月7日のこと。その夏、ザ・ローリング・ストーンズと改名したこのバンドは、メロディー・メーカー誌が「英国初のリズム&ブルース・クラブ」と称した同クラブに初出演を果たしている。

(提供:62 Films)

イーリング・クラブの方針であったオープン・マイク(※自由参加ステージ:飛び入りの出演者に上演の場を開放する営業形態)形式は、他にも将来スーパースターの座に上り詰めることになるミュージシャン達が運試しをするきっかけとなった。このクラブから羽ばたいた面々には、ザ・フー(当時はザ・ディトゥアーズ名義)や、ブリティ・シングス、マンフレッド・マン、トライデンツ(ジェフ・ベック在籍時)、ウェインライツ・ジェントルマン(後にディープ・パープルのヴォーカリストとなるイアン・ギラン在籍時)らがいる。イーリング・クラブのステージに立つため、ニューカッスルからヒッチハイクでやって来たエリック・バードンは、地元に戻ってアニマルズを結成。またエリック・クラプトンエルトン・ジョン(当時は本名のレジ・ドワイト名義)、ジャック・ブルース、ポール・ジョーンズ、ジーノ・ワシントン、ロッド・スチュワートらも皆、イーリング・クラブに出演し、熱狂的な観客の声を直に聞いていた。同クラブに通っていた人々の中には、若き日のデヴィッド・ボウイもいる。

イーリング・クラブの成功に触発され、マーキーといった他のロンドンのクラブもまた、ジャズ・バンドの代わりにブルース・バンドを起用することに力を入れていった。 英国各地にブルース・クラブが誕生し、全国で数多くのブルース・バンドが活動するようになったのは、それから2年も経たないうちのことだ。

キース・リチャーズは後にこう著している。「シリル・デイヴィスとアレクシス・コーナーは、イーリング・ジャズ・クラブを舞台に、週一のクラブ・ナイトを立ち上げ軌道に乗せた。そこは、リズム&ブルースの熱狂的ファンが集うことのできる場所だった。彼らがいなかったら、あの場がなかったら、何も生まれなかったかもしれない」。

1965年頃になると、イーリング・クラブの役割はロンドン市内のより大きな会場に取って代わられるようになっていた。店はリズム&ブルース専門ライヴ・ハウスとしての営業を終了してカジノに改業。後にナイトクラブとして再オープンする。 2011年、NPO団体イーリング・クラブ・コミュニティ・インタレスト・カンパニーは、この店(現在はレッドルームという名称のナイトクラブ)を再びライヴ音楽の会場とすべくキャンペーンを開始。ブルー・プラーク(※訳注:英国で歴史的著名人が暮らしていた住居や重要な活動の場を記念するため、建物の外壁に嵌め込む青いプレート)設置のための資金を募った。アレクシス・コーナーが歴史に残るライヴを開催してから50周年となる2012年3月17日、ブルー・プラークの除幕式が執り行われ、アレクシス・コーナーの未亡人ボビーが除幕を担当。式典にはザ・ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツも参加していた。

しかし同キャンペーンの主催者は、音楽史における重要な現場となったこの建物が、将来的な再開発によって消滅してしまうかもしれないと危惧している。アレスター・ヤングは次のように説明する。「ブルー・プラークを設置したのは、このクラブの存在を世に知らせ、称えるべきだと思ったからです。ロンドン以外の都市では、音楽の歴史において重要な役割を果たした跡地を記念して世に喧伝するため、多くのことが行われており、また他の芸術分野では資金の提供も受けている。今後の開発者に、この会場の歴史的意義を称えてもらえたら、と思っています。理想としては、どのような商業開発プロジェクトが進められるとしても、この会場でライヴ音楽を演奏し続ける道を見出してもらうことですね」。

「地元イーリングの音楽シーンを活性化させたい。私達が地域の音楽フェスの主催を試みているのは、それが理由です。そうすれば地元のミュージシャン達が、あらゆる偉大な先人達の足跡を辿れるようになりますから。そして、普段大きな会場で行われているライヴを観に行っている人達に、郊外の地元会場で行われているライヴにも来ていただきたい。そこから始めた伝説的ドラマーだけでも挙げてみましょうか、ジンジャー・ベイカーに、チャーリー・ワッツに、ミッチ・ミッチェル。このクラブは、忘れてはならない英国音楽史の一部なんです。ビル・ワイマンの言葉を借りれば、このクラブはポピュラー・ミュージックの様相を変えることに大きな貢献を果たしました。西ロンドンは、英国の音楽の発展において重要な役割を担った場所。そして今も、素晴らしいイベントを開催するポテンシャルを有しています」。

同クラブは、本当の意味で世界的な地位を確立している。米カンザス大学音楽理論学科では、ブリティッシュ・ブルース史の一環として、イーリングについて講義をおこない。『How Britains Got The Blues』の著者ロバータ・フロイド・シュワルツ教授は、イーリング・ガゼット紙にこう寄稿した。「そこは英国のリズム&ブルースの発祥地であった。その黎明期を目の当たりにした人々の脳裏には、今もあの興奮が蘇る——私達は皆、それを思い出すべきだ。イーリング・クラブが存在しなければ、ザ・ローリング・ストーンズも、クリームも、ザ・ヤードバーズ、プリティ・シングス、レッド・ツェッペリンも、そして彼らがインスピレーションを与えたその後バンドも、この世に生まれることはなかったであろう」。

映画『Suburban Steps To Rockland』の脚本・監督を担当したジョルジオ・グルニエ(Giorgio Guernier)は、同ドキュメンタリーの製作に4年を費やした。この映画には、様々な写真と映像、そしてジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカー、ポール・ジョーンズらミュージシャン達とのインタビューが収録されている。

イタリアはヴェネツィア生まれの映画監督ジョルジオ・グルニエは、uDiscoverに次のように語っている。「イーリング・クラブに関して最も魅力的なのは、その物語が世に埋もれていたということです。私自身、ロンドンのマーキー・クラブや100クラブは知っていましたが、この重要な場所のことは知りませんでした。今回の映画のために私達が会ったミュージシャン達は、演奏の場として、この店は非常に湿気が高く、どれほど能力の試される場所だったか語ってくれました。だがそれでも、ここには特別な何かがあったと。若くてむさ苦しかったこのミュージシャン達はブルースに夢中で、彼らがそれを聴いたり演奏したりしに行ける最初の場所が、イーリング・クラブだったのです。やがて彼らは、自分達自身でオリジナルなものを創造するようになりました。正にそこは、ブリティッシュ・ロックの発祥地だったのです」。

このドキュメンタリー映画の一部は、キックスターターのクラウドファンディング・キャンペーンを通じて資金提供され、ウェスト・ロンドン大学とマーシャル・アンプの後援も受けている。マーシャルは元々小さな楽器店として、イーリング区で創業したのが始まりだ。また、11月に英国で開催されるドックン・ロール映画祭では、ロンドンのバービカン・センターで同作の上映が行われることが決定した。

ジョルジオ・グルニエ曰く、彼と話したミュージシャン達にとっては、イーリング・クラブで演奏したことが鮮やかな思い出として残っているという。そして彼はこう付け加えた。「ジンジャー・ベイカーが語ってくれたんですが、ザ・ローリング・ストーンズが世界的に有名なバンドになりかけていた初期の頃、彼らがドラマーなしで不意にやって来て、ベイカーは、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ブライアン・ジョーンズと演奏したそうです。ベイカーは、ジャガーがテンポを外させるように、わざと難しいリズムを叩いては面白がっていたと、彼は振り返ってました」。

ジョン・マーシャルが「すべての土台であり出発点」と評しているイーリングのその歴史的な部屋で、更なる面白いこと、そして更なる音楽が生まれるよう、願おうではないか。

– Martin Chilton


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