ドナ・サマーの「I Feel Love」はいかにして音楽シーンに変革をもたらしたのか

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Photo: Michael Putland/Getty Images

時は1977年。ブライアン・イーノとデヴィッド・ボウイは、ベルリンで『Heroes』の制作に勤しんでいた。そんなある日、イーノは新発売の7インチ盤を興奮気味に掲げながらスタジオに駆け込み、ボウイにこう熱く語った。

「このシングルはこの先15年のあいだ、クラブ・ミュージックのサウンドを一変させるよ」

そのシングルこそがドナ・サマーの「I Feel Love」だった。彼の言葉は確かに正しかったが、このコメントには2点の訂正が必要だ。つまり、“この先15年のあいだ”を“永久に”、そして“クラブ・ミュージック”を“あらゆる音楽”に変える必要があったのだ。

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ジョルジオ・モロダーとピート・ベロッテ

ドナ・サマーは、プロデューサー/作曲者であるジョルジオ・モロダー、ピート・ベロッテの二人とともに、ディスコ・ミュージックの官能性とシンセサイザーの革新性という二つの要素を結びつけ、世界的な大ヒット曲を作り出した。

それだけでなく、彼らはシンセ・ポップやニュー・ロマンティクス、イタロ・ディスコ、Hi-NRG、エレクトロ、ハウス、テクノといった音楽の未来を切り拓いた。そして同時に、ポップ、ロック、ダンスなどのジャンルのアーティストに世代を問わず影響を与えてきたのである。

モロダーとベロッテはそれまで何年もかけて、ドナ・サマーをディスコ界の世界的歌姫へと成長させていた。しかし、そんな彼らもサマーの1977年作『I Remember Yesterday』を締めくくるこの曲「I Feel Love」が彼女のキャリアを頂点に導き、音楽史を塗り替えるとは考えもしなかったという。モロダーは1977年に、レコード・ミラー誌のロビン・カッツに次のように語っている。

「あの曲は単なるアルバムの収録曲の一つとして作ったんだ。ドナのレコーディングは10分で終わった。これだけビッグな曲になるなんて僕らは誰も思っていなかったんだ」

 

シンセサイザーの使用

『I Remember Yesterday』は、それぞれの曲に異なる時代が表現されたコンセプト・アルバムである。モロダーとベロッテは、音楽の未来を象徴する楽曲をアルバムの最後に配するというアイデアをあとから思いついたという。それがいかに的確な判断だったか、彼ら自身もそのときは気付いていなかった。

シンセサイザーは当時、まだ目新しい存在だった。そのためシンセサイザーを使用するのは、未来的なサウンドを表現する上でごく自然な選択だった。モロダーは自身のソロ作にも取り入れるなど、この楽器にはすでに精通していた。しかし、そんな彼もこの曲では、モーグ製モジュラー・シンセサイザーのスペシャリストであるドイツ人エンジニア、ロビー・ウェデルを起用している。

彼らはモロダーの通常の楽曲制作とは逆の順番で、まずはグルーヴ ―― 英ドラマ『ドクター・フー』のテーマ曲をディスコ調にアレンジしたような波打つベース・ラインと、何より重要な電子音のビート ―― から作り上げていった。ビートの制作にあたっては、当時はまだドラム・マシンが十分に進歩していなかったため、ドラムの構成音を一つずつシンセで作り、個別にレコーディングしていったという。

しかし、どうしてもバス・ドラムの音に満足できなかった彼らは、のちにビリー・アイドルのプロデューサーを務めるキース・フォーシーを呼び、バス・ドラムを演奏させた。このトラックにおいて、電子音以外が使用されているのはそこだけである。

 

後世への影響

モロダーらが作り上げた電子音のエネルギッシュなトラックに合わせ、サマーはシンプルながら官能的な歌詞を書き上げた。カサブランカ・レコードのトップであったニール・ボガートは賢明にも、完成した同曲のシングル・カットを提案。それにより、すでに人気歌手だったドナ・サマーはスーパースターの仲間入りを果たした。そして同曲は世界中のダンスフロアで広く愛されただけでなく、まったく新しいそのサウンドで数々の先進的なアーティストに影響を与えた。

たとえばブロンディはこの曲をあらゆる角度から研究し、翌年に「Heart Of Glass」を発表。ドナ・サマー流のエレクトロ・ディスコを彼らなりのスタイルにアレンジしたこの曲で、ブロンディの評価は急上昇した。

また、スパークスのロン・メイルはトラウザー・プレス誌のアイラ・ロビンスに以下のように語っている。

「ドナ・サマーの“I Feel Love”を聴いて、僕たちは、これは電子音と温かみのあるヴォーカルを見事に組み合わせた1曲だと思った……。それがきっかけで、ジョルジオ・モロダーとコンタクトを取ったんだ」

その結果、スパークスの代表作である1979年のアルバム『No. 1 In Heaven』が生まれたのである。

1980年代前半のUKにシンセ・ポップやニュー・ロマンティクスが登場すると、同曲の影響範囲は急激な広がりをみせた。たとえばシンプル・マインズが1980年に発表したシングル「I Travel」は、「ポスト・パンク世代の“I Feel Love”」と呼ぶに相応しい1曲である。

また、1981年にはヒューマン・リーグのフィル・オーキーがレコード・ミラー誌のマーク・クーパーに対し「僕たちの目標はABBAやドナ・サマーのようになることだ」と話している。この言葉からも、彼が「I Feel Love」を意識していたことは明らかだ。

 

ダンス界への影響

ダンス・ミュージックにおけるこの曲の影響力の大きさは、LGBTQ+コミュニティにおける人気と密接に結びついている。モロダーはピッチフォークの取材にこう話している。

「ドナはたくさんのゲイの人たちに愛されている。中には”あの曲を聴いて心が解放された”と言ってくれる人もいたよ……。ジミー (・ソマーヴィル。ブロンスキ・ビートの元メンバー) は僕に、“I Feel Love”のおかげでシンガーになろうと思ったと話してくれた」

メンバー全員がゲイであることをカミングアウトしていた3人組グループ、ブロンスキ・ビートは1985年に「I Feel Love」をカヴァーしている。ヒットを記録したこのカヴァー・ヴァージョンからは、 1980年代に人気を博したダンス・ミュージックのジャンルの一つであるHi-NRGの発展とゲイ・コミュニティの両方にとってこの曲が重要な意味を持っていたことがよく分かる。

そして、それから数十年が経っても、その影響力は衰えることがなかった。サム・スミスは2019年に「I Feel Love」をカヴァーした際、Twitterに以下のように投稿している。

「クィアである自分にとって、“I Feel Love”はクラブに行き始めたころから、あらゆるクィア・コミュニティのダンスフロアで耳にしてきた1曲だ。この曲は、我々のコミュニティのアンセムだと思っている」

同曲の影響は、Hi-NRGからハウス、テクノへ脈々と受け継がれている。特にホアン・アトキンス、デリック・メイ、カール・クレイグといったデトロイト・ダンス界のレジェンドたちがDJとして同曲を流すようになってからは、DJたちもこぞって取り上げる1曲になった。2003年、ファットボーイ・スリムはグレッグ・ウィルソンが立ち上げたelectrofunkrootsにこんな風に語っている。

「“I Feel Love”は初めて好きになったディスコ・ナンバーだ。よく知られている通り、あの曲はハウスの原型を作ったような重要曲なんだ」

そして、そうした状況は現在でもまったく変わっていない。2022年、ローリング・ストーン誌は”史上最高のダンス・ナンバー”のランキングの1位に「I Feel Love」を選出。さらに同年、ビヨンセはこの曲にオマージュを捧げた「Summer Renaissance」をニュー・アルバム『Renaissance』のクロージング・トラックに選んでいる。

このように、その電子音で聴く者を恍惚状態へと導く約6分間の名曲は世界に変革をもたらした。発表から45年が経ったいまでも、この曲は人びとを興奮の渦に巻き込み続けているのである。

Written By Jim Allen


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