ダイアー・ストレイツがアメリカ・チャートに上陸
ダイアー・ストレイツに関してだけでも世界的な成功とマルチ・プラチナ・セールスということを数百万人のファンに思い出させる。しかしマーク・ノップラーとバンドはそれを実現させるために相当苦労してきた。
彼らの最初のシングル「Sultans Of Swing (邦題: 悲しきサルタン)」は1978年の5月、最初にイギリスで発売されたときは評価的には成功したが、商業的には失敗だった。そしてその後すぐ、セルフ・タイトルのアルバムがリリースされ、そのチャートの痕跡は当初38位と地味なものだった。10月にアメリカで発売され、その後の1979年1月6日、ダイアー・ストレイツは初めて全米アルバム・チャートにバンドの名前を登場させた。
そのときまでに、魅力的なライヴを行う彼らの評判とマーク・ノップラーが書いたこのファンキーでバンドのトレードマークとなるシングルは一致していた。1978年はダイアー・ストレイツ自身のライヴが満載の年だった。トーキング・ヘッズとクライマックス・ブルース・バンドのサポートツアーをこなし、マーキー・クラブで短期間のレジデンシーを務め、そして彼らの初となるヘッドライン・ツアーをイギリス全土で行い、その後秋には、オーストラリアとニュージーラーンドでアルバムが大ヒットしている時に、ドイツ、オランダ、ベルギーでソールドアウトのライヴをこなした。
マフ・ウィンウッドがプロデュースした彼らのデビューLPは、1月6日付の全米アルバム・チャートの中間、好調な101位にダイアー・ストレイツの名が初登場するという結果をだした。そして、共にアメリカのラジオで健康的なスタートを切った。次の週にはナショナル・ブレイクアウトとしてBillboardにリストされ、93位まで上昇。同号に掲載された広告には “最初のアルバムの最後の言葉” と評されていた。
2月、アルバムが上昇し続けるにつれ、バンドは51日間の北米ツアーを開始。よく知られているようにロサンゼルス公演にはボブ・ディランが参加した。それはマーク・ノップラーにとって今日にまで及ぶ、ボブ・ディランとの有意義な仕事上の関係へと繋がった。ダイアー・ストレイツのアルバムはアメリカで2位まで上昇し、チャートに41週間残り続け、ダブル・プラチナを獲得するまでとなった。「Sultans Of Swing」は全米シングル・チャートでは第4位のヒットとなり、イギリスの再発盤では8位となった。その勢いと共に、アルバムはイギリスで5位に返り咲き、ミリオンセールスを記録。そしてバンドが過去を振り返ることは二度となかった。
written by Paul Sexton
ダイアー・ストレイツ アーティスト・ページ
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