チャック・ベリー語録20選:ロックンロール創始者の1人が生前語ったこと
チャック・ベリーは自分の名を売ることもなければ、インタビューにじっくり答えることも殆どなかったので、彼が語ったことをその死後に振り返るのは、尚更のこと興味をひかれるものだろう。しかし音楽誌や雑誌のアーカイブに深く目を通すと、彼の音楽的影響、初期の頃の話や、クリエイティヴ・プロセスに関する興味深い洞察力を読み取ることが出来る。
レコード・ミラー紙、ニュー・ミュージカル・エクスプレス(NME)誌、ローリング・ストーンズ誌等出版物の協力の元に制作した、チャック・ベリー語録20選をお届けしよう。
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1. お気に入りのアーティスト
「そうだな、フランク・シナトラとナット・キング・コールはいつ聴いても良い。それからウィル・ブラッドリー。彼のこと覚えてるかな? それからジョー・ターナー、それとブルース畑では、親友のマディ・ウォーターズが好きだ」(1963)
2. 自分が単なるR&Bアーティストだと思っているかどうか
「いいや、ただそれだけではないさ。例えば“Deep Feeling”を聴くと、俺がナット・キング・コールにそうとう影響を受けているのが分かるだろう」(1963)
3. 初期のプレイとソングライティングについて
「ギターをプレイし始めたのは高校時代、トム・スティーヴンス・バンドのヴォーカリストとして迎えられた時だ。プロとしての初仕事は1952年にエビ―・ハーディー、ジャスパー・トーマス、ジョニー・ジョンソンが参加した自分のバンドを率いて、イースト・セント・ルイスのハフ・ガーデンズだった。その頃俺は数曲書いてはいたが、プレイしていた曲は主にジョー・ターナーとナット・キング・コールが書いたものだった」(1964)
4. 初のレコーディング・セッションについて
「レコード契約を獲得する為に1955年にシカゴまで行き、間髪入れずにチェスと契約を交わした。初めてのセッションでは‘Wee Wee Hours’、‘Maybellene’、‘Thirty Days’、それから‘Together’の 4曲をレコーディングしたから、ファースト・レコーディングからヒット・ナンバーが3曲誕生したということになるな」(1964)
5. ソングライティングのプロセスについて
「いつもは歌詞に集中し、歌詞を紙に書き出した後にギターで曲を仕上げていく。それから全体のサウンドが分かるようテープに録り、その後レコーディングする。曲の大部分は俺の個人的な経験か誰かの経験か、人間観察から得たアイディアが基になっていると言えるだろう。特に目標としているのは自分の音楽で人々をハッピーにすることであり、歌詞の中にできるだけユーモアを入れようとしているのはその為だ」(1964)
6. 車に関して書くことについて
「車についての曲を書くことに夢中になっていた時期が4-5年あった。と言うのも、7歳の頃から車を乗り回すことに憧れていたんだ。そして運転し始めたのは17歳の時で、決められてた年齢より1年早かった。一連の曲は道、ドライヴ、自動車に対する興味に刺激されて誕生したんだ」(1967)
7. ソングライティングのインスピレーションについて
「経験していないことについては書けないな。‘Sweet Little Sixteen’はコンサートのバックステージで走り回りながらサインを集めている少女を見た時に書いたんだ。彼女はショウをひとつも観てないんじゃないかな。観たとしても、俺のくらいだろうね。‘Memphis’を書いた頃は、離婚したカップルとその子供達の悲劇を見ていた。みんなはこれらの曲と人生を結びつけることもできる。例えば‘Maybellene’を書いた時、殆どの農民はフォードやステーション・ワゴン等を運転していたんじゃないかな。しかしその後シボレーが頭を使うようになって、農民相手に大々的な広告キャンペーンを始めたんだ!」(1967)
8. ビートルズからの影響と、彼等への影響について
「言うまでもなく俺はビング・クロスビーからザ・ビートルズまで、あらゆる人達から影響を受けている。でも自分の音楽を作っている時、意識的に何かに影響されるようなことはないな。自分の曲2曲のビートルズ・ヴァージョンについてどう思うかって? とても素敵だな。でもあの2曲がレコーディングされたのは2-3年前のことだ。実はあの‘Roll Over Beethoven’と‘Rock And Roll Music’がトレンドになり始めている今になって、その恩恵を感じるようになった」(1967)
9. 自分の容貌と態度について
「会う人に‘おお、もっと背の低い人だと思った’とよく言われる。たぶん名前のせいだろう。チャックって小さいイメージだろ? それからもうひとつ、普段の俺は静だから、みんな不思議に思うようだ。たぶんステージでの振る舞いが凄くワイルドだからだろうな。そう、ステージを降りても跳び廻って、物凄い勢いで話す俺を期待しちゃ駄目だぜ!」(1967)
10. ベリー・パーク・コンプレックスの建設について
「俺は子供の頃に公園の向かいに住んでいたが、なぜかそこへ行くことを親父に禁止されていた。その後別の場所へ引っ越したが、同じことになった。そう、心理的なものなんだ。開発する為にこの土地を買った時、まるごと小麦畑だった。ちょうど冬の頃で、言うまでもなく小麦は生えていなかったんだけど。そこにまず作ったのがスイミング・プールで、入場料として25セント取った。今はもっと色々なことができるし、もっと取っている。やっぱりさ、アミューズメント・パークに行って、音楽のことを学習したり研究したいと思う人なんていないだろう。みんな単純にエンターテインメントを求めているんだよ」(1967)
11. 仕事のスケジュールについて
「オファーされる仕事のだいたい60パーセントを受けている。つまり働いているのは1週間の内だいたい3日か約4-5日分の仕事をオファーされている。でも昔やっていたようなツアーはやらない。80日間に及ぶツアーは、半端じゃなかった。俺は大学、コンサート・ホールなど、色々な会場でプレイし、あらゆるタイプの仕事をしたい。長いこと映画を撮っていないのは、何もオファーされていないから。映画を作るのは嫌じゃない」(1967)
12. 「Maybellene」について
「ああ、‘Ida Red’という名の凄く有名なカントリー・ソングがあって、このテーマが「Maybellene」と同じなんだ。実はセッションに参加した時、俺は‘Ida Red’を歌いたかったんだが、レコード会社は新しい曲をやりたがってさ。それで‘Maybellene’を書いたんだ」(1973)
13. 「Roll Over Beethoven」について
「ああ、あれは自宅で書いた。姉妹がシュトラウスといったようなクラシックをよく弾いていた。それである日ふらふらしている時、彼女がピアノの上に残していた楽譜を読み解こうとしたんだが、俺のワンフィンガー・クロマティック・スケール・テクニックよりも遥かに進んでいた。だからそういうものをすべて取っ払うことについての歌を書いた」(1973)
14. 多様なサウンドをやることについて
「多様性に富んでいることは俺の一部、俺の作曲、イメージの一部だ。みんな何が好きか考えるようなことはしないが、何か良いと思うものを聴いたら、それと同じようなものをできるだけ上手くやりたい。ハリー・ベラフォンテの‘Jamaica Farewell’と‘Day Oh’と、それからナット・キング・コールの‘Calypso Blues’を聴いた後に、カリプソ調の‘Havana Moon’を作ったのさ。ブギーとブルース、スウィングとセンチメンタルはずっとやろうとしていて、何か良い曲が完成するたび凄く興奮する。みんなに気に入って貰えると嬉しいな。殆どの場合、ロック・ナンバーの方がみんなには人気があった。でも最近は、‘Havana Moon’のリクエストを貰うようになった。これだけずっと長い間まるで売れなかったのがさ…」(1973)
15. お気に入りの楽曲について
「エヴァリー・ブラザースの‘Wake Up Little Suzie’の歌詞は最高で、何時間もよく思い巡らせていたものさ。本当に良く作られた曲だと思った。それからマーティ・ロビンスの‘El Paso’。この曲から何か出来ないか色々やってみている。話の筋が凄く美しいし、あのメキシカンの影響感じられる音楽と言ったら。もう最高だ」(1973)
16. インタビューについて
「自分がレポーターに話したことを読み返しながら、言うべきだったことに思い巡らせている内に、(インタビューに対する興味は)年々徐々に萎んでいった」(1987)
17. 自分ひとりでロックン・ロールを発明したかどうかについて
「自分ひとりで? いいや。俺ひとりでロックン・ロールを発明したとは言えない。ああ、ロックン・ロールには色々なタイプがある。ロックもあれば、ローーールもある。言ってること分かるだろう? それからロックン・ロールであるところのロックン・ロールもある。ハハハハハ。俺が成し遂げたものが何か、それはみんなが判断すれば良いことじゃないかな」(1988)
18. 自分がクリエイトしたスタイルについて
「俺はブルースをプレイしたかった。でもちょっとブルース色が不足していた。俺はマディ・ウォーターズのような辛い経験をしていない。実家のテーブルの上には、食べ物が並んでいた。多くの人達よりもついていたんだ。だから俺はこのまるっきり新しい感じの、楽しいお祭り騒ぎをひたすらやった。車のことを書いたのは半数の人が車を持っていたか欲しがっていたから。愛について書いたのは、みんな愛を求めているからさ」(2001)
19. ジョー・ボナマッサ、マール・ハガード、デューク・ロビラード等々をフィーチャーしたコンサートで、アメリカン・ミュージック・マスターズ・アワードを受け取ったことについて
「もの凄く感謝している。上階にいるあのひとが俺を見守ってくれている」(2009)
20. バラク・オバマがアメリカ合衆国の大統領に選出されたことについて
「彼のような資質、素性、ああいう男が、我々の大統領になれるとは思ってもみなかった。‘生きている間に黒人が大統領になる日が来ることはないかも知れない’と親父に言われてその言葉を信じていた。こうして見ることができて神に感謝してるよ」(2012)
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