エルトン・ジョン「Candle In The Wind」: 早過ぎる死を遂げた人々へ想いを綴った史上最も売れた楽曲

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エルトン・ジョンの数多くある輝かしい作品中、どんな季節にもぴったりな曲と言ったら、「Candle In The Wind」ではないだろうか。そう考えると、これが最初にリリースされた時、アメリカでもイギリスでもTOP10ヒットにならなかったのは何とも不思議な話だ。

名声の代償と、早過ぎる死を遂げた人々への我々の強い想いを綴った、鋭敏で未来予知的なバーニー・トーピンの歌詞に、エルトン・ジョンは時代を超越したメロディーを乗せた。我々が無意識の内に抱く自分達のアイドル“所有欲”について考えを巡らせたバーニー・トーピンは、1962年に36歳で亡くなったマリリン・モンローに焦点をあてた。彼が書いている通り、当時のバーニーは12歳の“ただのガキ”で、エルトンは15歳だったが、それから10年以上経っても尚、彼女の死は「Candle In The Wind」を創作するインスピレーションとなった。

「誰かの人生を表現するのに何て素晴らしい言い方なんだろう」

「このフレーズがずっと好きだった。ソルジェニーツィンの小説に‘Candle In The Wind’というのがあってね」とバーニー・トーピンはタイトルについて語っている。ソ連の作家ソルジェニーツィンのアイデアに溢れた半自伝的な戯曲は1973年に出版されたものだった。

「(当時コロムビア・レコーズ社長)クライヴ・デイヴィスがジャニス・ジョプリンを表現するのに使ったんだけど、どういう訳か、この言い回しがずっと頭から離れなかった。誰かの人生を表現するのに何て素晴らしい言いまわしなんだろうと思った」

エルトン・ジョンの声とピアノの表現力が相乗効果を生み、そこにデイヴィー・ジョンストンが哀調を帯びたギターで、忘れがたいリフを加えている。今回もまたベーシストのディー・マレーとドラマーのナイジェル・オルソンと組んだ結果、その圧倒的なハーモニーが新たな側面をもたらしている。「‘Candle In The Wind’のような曲を演奏するのは楽しいね。ロックンロールはずっと同じビートだけど、バラードはもっと自由があるからさ」とナイジェル・オルソンは1975年のメロディー・メーカー誌の取材に語っていた。

 

「僕は曲を書く時は凄く人目を気にするタイプなんだ」

この曲は、1973年の春、2枚組大作アルバム『Goodbye Yellow Brick Road(邦題:黄昏のレンガ路)』(同年10月リリース)が誕生するフランスのエルヴィル城でのセッション中にレコーディングされた。「僕はとても人目を気にするタイプなので、大抵誰も居ない時に曲を書くようにしています。でも、この曲はバンドの前で作りました。彼らは城の食堂に機材を構えて、その部屋の片隅に置いてあるエレクトリック・ピアノの前に僕がいる。そうしてあのアルバムが出来上がっていきました」とエルトン・ジョンは1997年のMOJO誌の取材に語っている。

17曲入りアルバムが非常に強力だった為、「Candle In The Wind」がアメリカでシングルとしてリリースされることはなかった。代わりに「Bennie And The Jets」がアルバムからのサード・シングルとして発表され、その後成功を収めていった。しかし、イギリスやその他の国では、「Candle In The Wind」が1974年2月4日にDJMからリリースされ、全英チャートで初登場28位を記録し、11位まで上り詰めた。しかし、驚くべきことにそこから上昇することはなく、デヴィッド・ボウイの「Rebel Rebel」やポール・マッカートニー・アンド・ウィングスの「Jet」などに阻まれ、TOP10入りは果たせなかった。

 

ライヴとカヴァー・ヴァージョン

エルトンは2018年から始まった自身の引退ツアー“Farewell Yellow Brick Road tour”開始時から、「Candle In The Wind」をセットリストに加えている。以降、彼はこの曲を何百回と演奏し、このツアーのセットリストの中に定着させている。しかしながら、この曲がアメリカで初めてシングルとしてリリースされたのは、1987年のアルバム『Live In Australia』に収録された時だった。削ぎ落とされたヴァージョンは彼のファンに強く訴えかけ、その結果全米シングル・チャートで6位、イギリスでは5位を記録し、エルトン・ジョンにとって1985年の「Nikita」以来のTOP10ヒットとなった。

この曲は過去に何十回とカヴァーされているが、その中で特に注目すべきものが2つある。元フェアポート・コンヴェンションのシンガー、サンディ・デニーは、1991年5月にアイランド・レコードから発表したソロ・アルバム『Rendezvous』の中でこの曲をカヴァー。その後、1991年には、ケイト・ブッシュがトリビュート・アルバム『Two Rooms: Celebrating The Songs Of Elton John And Bernie Taupin』のために「Rocket Man」をレコーディングした時、B面に「Candle In The Wind」のノン・アルバム・ヴァージョンを収録している。

 

「Candle In The Wind 1997」 “さよなら英国の薔薇”

チャート史上最も売れたシングルとなる「Candle In The Wind」の新たにリメイクは、これ以上ない悲劇から生まれた。エルトン・ジョンの友人でもあったウェールズ公妃ダイアナが1997年8月31日に死去し、世界がこの衝撃的なニュースを懸命に受け入れようしていた頃、エルトン・ジョンとバーニー・トーピンは、彼女のイメージでこの曲を作り直した。

ジョージ・マーティンがプロデュースを手掛け、新たに書かれた歌詞(“さよなら英国の薔薇…”)がこの曲に華を添えた。ロンドンのタウンハウス・スタジオで素早くレコーディングされたこのリメイクは、ストリング・カルテットと木管楽器をフィーチャーし、ダイアナ妃の死から僅か2週間後の1997年9月13日にリリースされた。エルトン・ジョンは9月6日の葬儀で、新たな歌詞による最初で最後のパフォーマンスを行なった。

 

「‘Candle In The Wind’でみんなに思い出して貰えた方がずっと嬉しい」

「あの悲劇的な出来事は、世界中に、そして何よりも英国に大きな衝撃を与えました。一緒にやらないかとエルトンに声を掛けられて光栄に思っています。わたしにとって最後のナンバー・ワンであり、恐らくは最後のシングルになりますが、僕のキャリアの締め括りとしてはよいかと思っています」とザ・ビートルズを手掛けたことで有名なプロデューサーのジョージ・マーティンはこの翌年に語っていた。

再レコーディングされた「Candle In The Wind」に対する世間の反応は圧倒的なものだった。リリース初週だけでアメリカで350万枚、イギリスで150万枚の売り上げを記録し、最終的に史上最も売れたシングルとなった。イギリスではNo.1の座に5週間留まり、カナダでは異例の45週を記録した。推定総売上枚数は3,500万枚にも及び、その作曲家及びレコード会社の印税は、全額ダイアナ・メモリアル基金に寄付された。

「僕は‘Crocodile Rock’でみんなの心に残りたいとは思わない。‘Candle In The Wind’や‘Empty Garden’といったメッセージが伝わる曲で、みんなに思い出して貰えた方がずっと嬉しいんです。いや、気持ちを伝えることさえ出来たら、別にメッセージが伝わらなくてもいいんです」とバーニー・トーピンは1989年に語っていた。

Written By Paul Sexton

*編注:イギリスとアメリカのシングル・チャートが1950年代に始まって以来、最も売れたシングルとして記録されており、それ以前の記録を含めるとビング・クロスビー「White Christmas」が1位という集計もある。


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