イギリスでお墨付きを得てヒットを記録したバート・バカラックの『Hit Maker!』
1965年の春までに、ソングライターとしてのバート・バカラックの評判は、以前マレーネ・ディートリヒの編曲者、そして指揮者として切り開いたものよりもさらに上回っていた。ハル・デヴィッドとのバートの作曲の実績は申し分なかったが、37歳という年齢を迎えた彼は、自身の名義でリバティ・レコードからのアルバム『Hit Maker! Burt Bacharach Plays His Hits』を制作、レコーディング・キャリアをスタートさせていた。
そしてそこには良い報せと悪い報せがあった。アルバムは全米で完全にチャート入りを逃したが、ザ・ブレイカウェイズや将来大物ロックアーティストとなったジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズ (後のレッド・ツェッペリン) を従えたセッション・プレイヤーたちがクレジットされていないボーカル陣として参加しており、彼がLPをレコーディングして以来、イギリスでは目覚ましい成功を収めた。「参加してくれたバンドは素晴らしい姿勢で臨んでくれ、非常に助かったし、とても良かった」と、2009年のNME誌にバートは語った。「まだ若かったジミー・ペイジがギターを担当してくれた。すごくいい奴ら、いいバンド、素晴らしい姿勢、すべてが良かった!」
バカラックとデヴィッドが過去に名を成してきた多数の曲を、バカラック自身のバージョンにしたものを収録したアルバムは、イギリスのマーケットに向けてロンドンでリリースされた。アルバムには「Walk On By」、「Twenty Four Hours From Tulsa (邦題:タルサから24時間)」、「(There’s) Always Something There To Remind Me (邦題:恋のウェイト・リフティング)」、「A House Is Not A Home」が収録。その中には、バカラックのオリジナル曲「Don’t Go Breaking My Heart」(明らかに、のちのエルトン・ジョンとキキ・ディーのヒット曲とは違う曲)、「The Last One To Be Loved」、「Saturday Sunshine」などもあった。
ヒット・メーカーのバカラックは1965年5月22日、全英アルバム・チャートの第18位に登場。ビートルズやストーンズを中心とした優勢が占める全英チャートに、トップ10内に3曲チャート・インされているボブ・ディランが挑んでいるときのことだった。バカラックのアルバムは、映画『サウンド・オブ・ミュージック』のサウンドトラックが全権力を握っていたその3週間後に第三位まで上昇。バートのアルバムはトップ10内に好調に9週間以上残り続け、少なくともイギリスでは、彼のソロ活動は麗々しく立ち上がっていた。
Written By Paul Sexton
バート・バカラック『Hit Maker!』