ブライアン・メイによる、デフ・レパードの“ロックの殿堂入り”祝福スピーチ全文
デフ・レパード(Def Leppard)が、12枚目となるフル・アルバム『Diamond Star Halos』(ダイアモンド・スター・ヘイローズ)を2022年5月27日にリリースすることを発表。
このアルバム発売を記念して、2019年に行われたロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)受賞時のブライアン・メイによる祝福スピーチを全文掲載(*ジョー・エリオットによるデフ・レパードの受賞スピーチはこちら)
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ブライアンによる祝福スピーチ
やあ皆さん!あのビル・ヘイリーが「Rock Around The Clock」を歌ってもう65年経つというのに、今夜の感じだとロックンロールはまだ絶好調ですね(観客歓声)。
今日は世界最高の仕事を仰せつかいました。デフ・レパードのロックの殿堂入りの介添役ができて光栄で幸運だと思ってます。本当に最高の役割を仰せつかって光栄です。テレプロンプターなどで喋るのは無理なので、昔ながらの原稿でスピーチしますが、悪しからず。
最初は(デフ・レパードのヴォーカルの)ジョー・エリオットの名言集から引用すると「いい役割を務めるチャンスがたった一回しかないなら、しくじるなよ」ということなので、これが今夜の私のガイドラインです。今夜は本当に彼らにふさわしいスピーチをしたいんですが、彼らの歴史を語るのではなく、彼らについての私の個人的な見解をお話しします。彼らと私がどうやって出会ったのか、そして彼らが私に取ってどれだけ大事な人達なのかを。
デフ・レパードとの出会い
記憶を1981年に戻すと、当時クイーンはミュンヘンで『Hot Space』というアルバムをレコーディング中でした。私は友人だったリッチー・ブラックモアズ・レインボウのライブと、彼らの前座のデフ・レパードという若い連中を見るためにスタジオを抜け出しました。ただ会場に着いたのが遅く彼らのライブを観られなかったのでとても残念に思って、彼らに会うために楽屋を探しました。楽屋のドアから顔を突っ込んで「やあみんな、ライブを見逃して申し訳ないんで、ちょっと挨拶に来たよ。クイーンのブライアン・メイだ」って言ったんです。そうしたら彼ら「マジっすか!」ってナイスな反応だったので、そこから意気投合したと思います。彼らは、クイーンからものすごく影響受けたって言ってくれて、私もいつもそれを思うと嬉しくなるんです。
時は変わって1983年。私たちがツアーに出た時は何をするか知ってますか? ツアーで車や飛行機に乗ってる時は、誰かが自分たちの曲をかけてないかチェックするためにラジオのスイッチを入れるんです。そうやってその頃もラジオのスイッチを入れると、いつも聞こえてきたのはもの凄いサウンドのアルペジオ風のギターと、素晴らしいハーモニーと、大きくずっしりしたベースラインにとんでもなく分厚いドラムスでした。
それはクイーンの曲じゃなくて、まだ若きデフ・レパードというバンドの曲で、タイトルは「Photograph」! この素晴らしい曲で彼らは一気に有名になりました。この曲の入ったアルバム『Hysteria』が完成する前だった当時はこの曲がラジオでかからない日はなく、アルバムが出ると1,000万枚売れたんです。なかなかないですよ、10プラチナ・アルバムなんて。
ブライアンの命を救ったジョー・エリオット
さて1983年9月に話は飛びます。私はロサンゼルスでアルバムのレコーディング中で、この時は確か『The Work』でした。今度は現地の伝説的ライブ会場、LAフォーラムでのデフ・レパードのライブを観に出かけました。私は会場に行って目立たないように後の方に座りましたが、バンドの連中がステージに出てくるやいなや、ビックリしました。あんな光景は見たことありません。フォーラムではいくつか最高のショーを観てますが、あんな風に猛烈に観客が反応したのは見たことはないです。みんな立ち上がって最後まで座らず、パフォーマンスの間中ずっと叫びまくってるんです。
あの夜のデフ・レパードは最高でした。招待されていたので、終演後に私は彼らに会いにバックステージに行くと、私たちが最初にアメリカで演奏した時と同じでメンバーのご両親がみんな来てました。ご両親は皆さん誇らしそうで、私を紹介してもらいました。そしたら彼らが「明日の夜、また来て僕らと一緒に演奏してもらえないか?」というのでもちろんOKして、その後はもう皆さんご存知のとおり。
(その翌日は)クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「Travelin’ Band」を一緒にプレイしたんですが、私はこのプレイでもう少しで命を落とすところだったんです。何しろアルバムが『Pyromania(放火魔)』なので、ステージではありとあらゆる種類の火を使ってました。どういう仕掛けか判りますよね。実際ジョーは私に「最後のところの花火に気を付けて、とにかく注意してください」と警告してくれてたんですが、「Travelin’ Band」を終える頃には私たちはドラムスの後ろにいて、目の前には火が吹き出てくるステージ床の割れ目がありましたが、私は全然気が付いてなかった。曲に没頭して夢中だったんです。
ジョーが「ブライアン!ブライアン!」と言ってたのを彼が私のプレイに喜んでるんだと思って。彼は本当は「ブライアン、ブライアン、火が危ない!」って言ってたんです。すると目の前にとてつもなく大きい炎の帯が飛び出してきて、ジョーが間一髪で私をその炎から引っ張り出してくれたんです。彼がああしてくれてなければ私は今夜ここにいません。ということで彼らのキャリアの初期にジョー・エリオットは私の命を救ってくれたんです!
1億枚以上を売り上げたバンド成功の理由
デフ・レパードの歴史はとんでもなく華やかで、ここで詳しくご紹介する時間もないほど、多くの出来事でいっぱいなのはご存知のとおりですが、彼らがバンドをスタートしたのは1977年、イングランドのシェフィールドでした。決して魅力的な町ではなくて、何とかしてここから抜け出したいと強く思っていた、そんな町です。
彼らは11枚の素晴らしいアルバムをレコーディングし、世界中を何度も何度も精力的にツアーして回りました。彼らはそれを昔ながらのやり方で、ただひたすらプレイしてプレイし続け、スタジオでは素晴らしい音楽を作った結果、1億枚を超えるアルバムを売り上げたのです。
そして彼らはずっとシーンの最先端のバンドであり続けながら、UKでは往々にしてあるのですが、マスコミは時に手厳しいので、高い評価を受けられない時も粘り強く乗り切ってきました。なぜマスコミがあんなことをするのか理解できませんが、彼らはよりによってバンドがヒット曲を出すことを攻撃したんです。そのヒット曲のいくつかを思い出してもらえますか?
「Bringin’ On The Heartbreak」「Photograph」「Foolin’」「Pour Some Sugar On Me」「Armageddon It」「Hysteria」「Let’s Get Rocked」「When Love & Hate Collide」「Animal」「Love Bites」「Rock Of Ages」「Rocket」…
これでもまだほんの一部です。彼らのリリースしたシングルは50曲、その殆どがヒットしてナンバーワンヒットも多数あります。しかし当時マスコミの間には、特にUKでは多くのヒットを出すことがクールじゃないと考える雰囲気があったんです。でも考えて下さい。これらの曲が人々が一緒に歌って頭の中で何度も再生するような本物の曲だったということが、デフ・レパードが今後も長く人々の心の中に記憶され続けるであろうことの最大の理由なのです。
家族のようなメンバー
彼らの粘り強さということでは言っておかなくてはいけないことがあります。デフ・レパードというバンドは家族、進化し続ける家族なんです。素晴らしいベーシスト、リック・サヴェージはバンド創設からのメンバーで、最後までいつづけるでしょう。もちろんまだ最後ではなく、まだまだ彼らの物語は続きますが。
リックがバンドを初めてすぐにジョー・エリオットが加入して、もともと耳が不自由な豹、という意味のバンド名を持ち込みました。この強固なメンバーがバンドの始まりでしたが、バンドをとりまくファミリーは進化成長して、様々な逆境に直面します。
1984年、ドラマーが左腕を失う事故は、計り知れないショックと活動の停滞をもたらして、バンドがもう少し弱ければ彼らのキャリアは終わってしまっていたことでしょう。しかし当のリック自身による再起に向けての信じられないほどの不屈の精神と、デフ・レパード・ファミリーの素晴らしい忠誠心と団結によるサポートで彼が復帰した時、バンドは実際すべての面で大きく成長したのです。ある意味、この復帰はリックだけでなくバンド全体にプラスをもたらしました。彼が見事な復帰を果たした最初のライブをドニントンで行った時、私はそこにいましたが、素晴らしかった。
同様に、私に言わせると素晴らしいリフの名人だったスティーヴ・クラークの1991年の死去は永遠に悼まれるでしょう。何て偉大で、素晴らしいプレイヤーだったか。多くの人はこれでバンドは終わったと思ったでしょうし、彼らが弱い人間だったらそうなったことでしょうが、そうはならなかった。今のフィル・コリンとヴィヴ・キャンベルのツイン・ギターは最高です。実際コリンとキャンベルは真に恐るべきギター・デュオであり、素晴らしいことです。
ブライアンとの絆
なかなか気付かない人も多いんですが、彼らは単に観客を喜ばせるだけのバンドではなくて、素晴らしく高い技術を備えているバンドなんです。本当にありとあらゆる技術を持ってます。彼らは私の素晴らしい友人たちであり、私の家族の一員のようなものです。だから今日ここにこうしていることが私には大変重要なのです。他の人にはこの役は任せられませんよ。彼らはみんな、私たちが1992年にやったフレディー・マーキュリー追悼コンサートに出てくれたし、私たちは数え切れないくらい何度も一緒に演奏しました。
特にジョーとは、激動のツアー生活の中からしぼり出した、大事な楽しい瞬間をいくつも共にしてます。私たちの絆は強く、彼は私の大親友です。スティーヴが亡くなった時、ジョーによると最初に電話をかけてきたのは私だったらしいですし、フレディが亡くなったニュースが流れた時、最初に私に電話してきてくれたのはジョー・エリオットでした。
彼らは真のロック・グループの持つクラシックな伝統を受け継ぐ、素晴らしいロック・グループです。もう一つ二つ引用させて下さい。以前、ジョーが「成功するロック・グループの秘訣って何ですか?」と訊いてきたので私は「解散しないことだ」と言いました。2、3年して彼が戻ってきて言うには「成功するロック・グループの秘訣をもう2つほど見つけましたよ。太らないことと、ハゲにならないこと」(笑)。彼らは太りもしてないし、髪の毛もフサフサ、解散もしてないから、今夜ここにいるんです(観客歓声)
彼らは偉大なバンドです。また、彼らはヨークシャー、いやUK、いやこの世界で生まれた中で、最も誠実できちんとした、素晴らしい人達の集まりです。彼らのロックの殿堂入りを歓迎できて、光栄の限りです。ご紹介します、デフ・レパードです!
*ジョー・エリオットによるデフ・レパードの受賞スピーチはこちら
Written by uDiscover Team
デフ・レパード『Diamond Star Halos』
2022年5月27日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
1CDデラックス収録曲
1. Take What You Want
2. Kick
3. Fire It Up
4. This Guitar (featuring Alison Krauss)
5. SOS Emergency
6. Liquid Dust
7. U Rok Mi
8. Goodbye For Good
9. All We Need
10. Open Your Eyes
11. Gimme A Kiss
12. Angels
13. Lifeless (featuring Alison Krauss)
14. Unbreakable
15. From Here To Eternity
16. Goodbye For Good This Time – Avant-garde Mix *
17. Lifeless – Joe Only version *
*ボーナストラック
*限定盤デジパック仕様
1CD通常盤
1. Take What You Want
2. Kick
3. Fire It Up
4. This Guitar (featuring Alison Krauss)
5. SOS Emergency
6. Liquid Dust
7. U Rok Mi
8. Goodbye For Good
9. All We Need
10. Open Your Eyes
11. Gimme A Kiss
12. Angels
13. Lifeless (featuring Alison Krauss)
14. Unbreakable
15. From Here To Eternity
16. Angels – Striped Version *
17. This Guitar – Joe Only version *
*ボーナストラック
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