バンドのブランド化:音楽界におけるロゴの意味とその台頭
ちょっと一瞬、頭の中にシカゴのメンバーたちの顔を思い浮かべてみていただきたい。OK、ひょっとするとあなたはロバート・ラムのファンかも知れないし、ピーター・セテラのヒット・バラードに酔いしれたことがあるかも知れないが、殆どの人たちは恐らく咄嗟にひとりの顔も思い浮かばないのではないだろうか。では、今度はシカゴのロゴを思い浮かべてみて欲しい。きっとほぼ反射的にあの有名な、コカ・コーラからインスパイアされたと言う文字の連なりが浮かぶことだろう。それこそまさしく、優れたロゴというものがいかにバンドの持つ本質を体現することが可能かを示した典型的なひとつの例なのだ。
60年代、バンドのロゴは必ずしもいつもクールなものとは限らなかった。バンドは大量生産の工業製品ではなくアーティストなのであって、彼らのルックスは奏でる音楽と同様、新しいアルバムを出す毎に進化していくことになっていた。いつものように、流れを決めたのはザ・ビートルズである。彼らのアルバムのデザインは毎回驚くほど違う趣向が凝らされていたし、『Rubber Soul』ではアルバムのフロント・カヴァーのどこを探してもバンド名が 一切書かれていないという、恐らくメジャー・バンドとしては初の試みに出ている。しかしながら、ザ・ビートルズは実に素敵なロゴを持っていた(リンゴ・スターのバスドラにも付いていたかの有名な、BとTが長いアルファベットから成る有名なロゴ)と言うのに、そのロゴが初めてアルバムにフィーチャーされたのはグループが解散してからずっと後、『Past Masters』(1988年)のリリースに際してのことだった。
同様に、ザ・フーもバンド名を囲む同心円と矢印というあの象徴的なモッズのイメージのロゴを持っていたものの、それがフィーチャ―されたのはたった1枚のアルバム――それも『Quadrophenia(邦題:四重人格)』のジャケットの裏だけだった。 ザ・ローリング・ストーンズは1971年にようやく彼らの完璧なシンボルであるベロと唇とロゴをお披露目した。とはいっても、ミック・ジャガーの舌と唇はどのアート・デザイナーが目を付けるより前からバンドの代名詞だったが。厳密に言えば、あれはバンドそのもののロゴではなく、ローリング・ストーンズ・レコーズのロゴだったのだが、今ではもはや両者は切っても切れない関係であり、とりわけザ・ローリング・ストーンズの最新アルバム『Blue & Lonesome』のアートワークはそれがベースになっているのだ。ビーチ・ボーイズには1976年まで特定のロゴをお披露目することなく(初登場は同年のアルバム『15 Big Ones』)、ずっと内々だけで使っていた。ちなみにネオンサインのような彼らのロゴをデザインしたのはかつてのサーフィンのライバル、ジャン&ディーンの片割れだったディーン・トーレンスである。
60年代最も広く認知されていたであろうロゴ――ギターの形をした、ザ・モンキーズのロゴ――でさえも、グループの8枚のオリジナル・アルバムのうち、使われていたのは僅か3枚だけだった(ただし、その後出たリイシュー及び再結成後のレコードの数々には採用されている)。彼らがこのロゴを最後に使った1967年のオリジナル・アルバム『Pisces, Aquarius, Capricorn & Jones Ltd』では、ロゴの文字が野辺の花の中に埋もれており、 まるで無邪気なヒッピーだった一部メンバーたちの過去を葬って未来へと歩みを進めようとしているかのように見えたものだ。
興味深いことに、60年代が輩出したもう2つの有名なロゴを持つグループは、どちらも同じレーベル所属である。ザ・ドアーズの袋文字状のブロック体ロゴは、無限の可能性を示唆しており――彼らにはこれ以上ないほど似つかわしい――、また彼らは恐らく、レコード・レーベルにバンドのロゴをあしらった史上最初のグループであるはずだ。一方彼らのエレクトラのレーベル仲間であったラヴは、まるで溶岩流が飛び散ったような蛍光色の文字でバンド名を描いたロゴを使っており、リーダーのアーサー・リーは自分のソロ・アルバムでもそのヴァリエーションを採用していたほど気に入っていたようだった。
だが良きにつけ悪しきにつけ、バンド・ロゴというものを名実共に定着させたのは紛れもなくシカゴ(とデザイナーのジョン・バーグ)である。皮肉屋たちはシカゴのロゴを営利企業のブランドのようだと一蹴したり、際立った個性を持たないバンドの象徴としてはぴったりだなどと揶揄したりしていたが、その批判は見当外れも甚だしい。シカゴのアルバム・カヴァーに示されているのは、彼らが一貫して持ち続けてきたバンドの品格と継続性なのだ。あのいずれ劣らぬ絶妙なカヴァー・デザイン(ロゴが木彫りになっていたり、革細工になっていたり、チョコレートに型押しされていたり)は、次のアルバムはどんなものになるだろうというファンの予想や期待を絶えず促してきた。中でも一番よく出来ていたのは13枚目のアルバムで、ロゴが高層ビルになっていたものである。長い歴史の中で何度となくメンバー・チェンジを繰り返しては来たシカゴだが、少なくてもロゴに対する姿勢は変えたことがない。一度か二度は背景の中に隠れたことがあるものの、その文字はどのアルバムでも必ず見ることが出来るのだ。
アイコン的な意味合いで言えば、シカゴのロゴのすぐ次に来るのが、ロジャー・ディーンによるイエスのロゴだろう。最初の登場は『Close To The Edge』(ロジャー・ディーンがイエスのカヴァー・アートワークを手掛けた2作目であり、バンドにとっては5枚目のアルバム)だった。ロジャー・ディーンの華麗な仕上げが施されたあの3文字は、イエスの根強いプログレ要素のシンボルとなった。80年代にメインストリーム寄りの方向性を打ち出した時にはそのロゴは消え、1997年の『Keys To Ascension』と共にプログレ的ルーツに戻るや、忽然と復活したのである。現在、シーンにはヴォーカリストのジョン・アンダーソン率いるグループとギタリストのスティーヴ・ハウ率いるグループ、2つの対立するイエスが存在する。アンダーソンの側の方が有名ミュージシャンが多く在籍しているものの、ここでの勝負の軍配はロゴの権利を所有しているスティーヴ・ハウということになりそうだ。
70年代はバンド・ロゴの黄金時代となった。エアロスミスのファンシーな翼のついた飾り文字、おあつらえ向きに口紅で殴り書きされたニューヨーク・ドールズの名前、あるいはラモーンズの野球のバットを掴んだワシという、コミックブック好きの彼ららしい図案。KISSのロゴは登場当時には物議を醸し、彼らはそれから約40年にわたって、ナチス・ドイツの親衛隊(SS)のマークとの酷似は全くの偶然だと主張し続けている。もうひとつの偶然は2つのSが平行になっていないことだが、これはポール・スタンレーが最初に手描きした際の、ちょっとしたヒューマン・エラーと言われている。
ラッシュはアルバム『2112』時代にペンタグラムを凝視する男というグラフィックを打ち出した;デザイナーのヒュー・サイムによって描かれた星を押す男 “スターマン”のロゴは、音楽的な方向性が変わるのと連動して変化していく視覚的要素の中でも、ラッシュのアイコノグラフィの重要な一部となっている。これは(ボブ・トーマスと)今では伝説の人となっているオウズリー・“ベアー”・スタンリー2世との共同デザインにより1969年に最初に登場したグレイトフル・デッドの有名なスカルと稲妻のロゴにも当てはまることだ。これはザ・デッドに対してオウズリー・スタンリーが果たした最も目に見える形での貢献だが、決してこれだけというわけではない。彼は時代を大きく先取りしたバンドのサウンド・システムを構築したエンジニアであり、ザ・デッドに(そして彼のおメガネに叶う人物であれば誰でも)他のどこで手に入るよりもよく効くLSDを供給していた化学者でもあったのだ。
もっとも、ロゴのデザインを新たな高みに引き上げたのはメタル・バンドの功績が大きい。あるいは彼らのホラーからのインスピレーションや、地獄というテーマに対する愛情で深みを与えたと言うべきか。自尊心に溢れたヘッド・バンガーたちは、必ずひとつは強力なロゴを持っているものだ。時にはメタリカの稲妻を思わせるレタリングのように、単におどろおどろしい文字でバンド名を書くだけのこともあるが、中にはスラッシュがデザインしたガンズ・アンド・ローゼスのロゴのように、バンド名を文字通り表わしてみせるものもあった。
Photo by: Adweek
そして、最も有名どころではアイアン・メイデンのゾンビの同胞エディのように、明確な個性やコンセプトを持ったマスコットを登場させるバンドも存在する。元々は彼らの照明担当のデイヴ・ビーズリーによって生み出されたエディは、単に彼らのアルバム・カヴァーのメインキャラとして登場するにとどまらず、ライヴ・ステージにも登場する。当初は頭だけがセットとして置いてあったが、最近は実際にバンドとも共演しているほどだ。更にメガデスも負けじとリーダーのデイヴ・ムステインのアイディアによるオリジナルのゾンビ友達、スカル頭のヴィック・ラトルヘッドを起用している。そして勿論モーターヘッドには、断トツに恐ろしげなマスコットがいた。ヘルメットに角を生やした彼らのクリーチャーは、レミーその人のカリカチュアだ。これ以上にメタルらしいシンボルもないだろう。
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