ブラックストリート「No Diggity」:ドレーとヘヴィDの説得によってリード曲となった全米4週1位曲
ブラックストリート(Blackstreet)にとって、1996年は新しいレコード契約とエリック・ウィリアムスとマーク・ミドルトンの加入により、新たなスタートを切る年となった。
1994年のデビュー・アルバム『Blackstreet』やその収録楽曲「Before I Let You Go」や「Joy」の成功により、グループはその波に乗り続けていた。そして中心メンバーのテディー・ライリーは、ホイットニー・ヒューストン、ボビー・ブラウン、ヘビー・Dなど、ヒップホップやR&Bの有名人のために時間を見つけてはプロデュースを行っていた。
<関連記事>
・ヒップホップとソウルの仕切りを吹っ飛ばしたメアリー・J. ブライジ
・ジャネット『janet.』:ジャム&ルイスとのケミストリーで生まれた全米1位作
当時、テディー・ライリーは最も才能があり、信頼できるトレンドセッターの1人とみなされていた。しかし、この後、ブラックストリートの2枚目のアルバム『Another Level』のリードシングルとなり、彼らのキャリアで最大の楽曲となる「No Diggity」は、当初は誰も売れるとは思っていなかった。
しかし、ライリーとプロデューサーのウィル・スチュワートによる魔法のようなプロダクションと、ドクター・ドレーとライリーの親友であるヘビー・Dによる後押しのおかげで、最終的には誰もがこの曲に乗ることになったのだ。
実際、「No Diggity」はR&Bの新しいサウンドの先駆けとなり、1996年から00年代の初期の間、何度も模倣された。この曲は、ブルース、童謡、未来的なR&Bを、楽しくて生意気な女性賛歌に包み込んだものだ。この曲はライリーの弟子であるクイーン・ペンを世界に紹介し、彼らの代表的なスロージャムである「Tonight’s The Night」や「Before I Let You Go」とは180度異なるものでもあった。今まで聴いたことのない曲なのに、とても親しみやすく、陳腐にならずにキャッチーな曲だ。今までで最も中毒性の高い曲のひとつであるのは間違いない。
レコーディングの様子
ライリーがフューチャー・サウンド・スタジオでウィル・スチュワートに出会い、彼がビル・ウィザースの1971年の曲「Grandma’s Hands」を何とかしようとしているのを聞いたとき、「No Diggity」は誕生した。ライリーはスチュワートにサンプルを渡すよう主張し、ドラムとリバースキックを加え、このトラックの基礎を築いた。ライリーはVIBE誌に対してこう語っている。
「このトラックを作り終えた後、ウィルがやってきて、『このレコードは大ヒットするよ。でも何か加えることはあるか?』って言うんだ。そこで俺は彼に“No Diggity”の歌メロを渡した。曲は“Shorty get down…”で始まってほしかったんだ。『それなら“Good Lord”という言葉をトラックに加えられないかな』と思ったんだ」
ライリーによると、ブラックストリートの他のメンバーにこの曲を売り込むことができなかったので、最初は自分がヴァースを歌い、作曲家であるウィリアムスに2番目のヴァースを歌わせた。
ライリーによると、レーベルも「No Diggity」を売れると思っておらず、レイリーの親友だったヘビー・Dとドクター・ドレーがレーベル重役のジミー・アイオヴィンを説得し、リードシングルにする十分な価値があることを認めたという。当時、ヘビー・Dはアップタウン・レコードのCEOに就任したばかりで、メアリー・J.ブライジやモニファ、ライリーの前のグループであるガイとの仕事のおかげで、プロデューサーとして尊敬されていたこともよい結果に作用した。
一方、ドレーは1996年3月にデス・ロウを離れ、インタースコープ・ファミリーの一員になったばかりだった。この悪名高いプロデューサーは、インタースコープ傘下で、アイオヴィンの指導のもと、自身のレーベル「アフターマス」を立ち上げたばかりだった。
この2人による説得は、まさに金字塔と呼ぶにふさわしいものだった。ドレーが「No Diggity」をシングルにしようと思った理由は、至極真っ当なものだった。彼は、レックスン・エフェクトの「Rumpshaker」ビデオの撮影を逃し、今度は「No Diggity」のビデオ撮影パーティーを逃したくなかったのだ。ジミー・アイオヴィン経由でドレーがビデオに出たいと言われた時、ライリーは曲のヴァースをドレーが歌ってくれるなら許可すると言い、実際にドレーが最初のヴァースをラップすることになった。
その反響
楽曲はすぐにヒットし、1996年には160万枚を売り上げた。全米シングルチャートではロス・デル・リオの世界的大ヒット曲「Macarena(マカレナ)」の連続1位獲得記録を14週で止めて、4週連続全米1位を獲得し、1998年のグラミー賞で「Best R&B Performance by a Duo or Group with Vocals」を受賞した。
「No Diggity」は1996年の大ヒット曲というだけでなく、発売後の10年間、そしてそれ以降も、最も大きな曲のひとつであった。人気オーディション番組『X-Factor』のファイナリストであるシェール・ロイドや歌手のエド・シーランなど、何人ものアーティストがこの曲をカバーしている。
Written By Tatyana Jenene
「No Diggity」収録アルバム
ブラックストリート『Another Level』
1996年9月10日発売
iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
- エリカ・バドゥ アーティスト・ページ
- メアリー・J. ブライジ『What’s The 411』
- ティナ・ターナーの完全復活作『Private Dancer』
- 00年代を定義したディアンジェロ 『Voodoo』
- ディアンジェロ、不朽の名作『ブラウン・シュガー』