チャーリー・パーカー『Charlie Parker With Strings』:非常に美しいジャズ作品
1949年1月、チャーリー・パーカーはマチート・アンド・ヒズ・オーケストラと共に、ノーマン・グランツのクレフ・レコードで初のレコーディング・セッションを行った。それから幾つものセッションが行われ、2月にはファッツ・ナヴァロ(トランペット)、トミー・ターク(トロンボーン)、ソニー、クリス、フリップ・フィリップス(テナーサックス)、ハンク・ジョーンズ(ピアノ)、レイ・ブラウン(ベース)、そしてシェリー・マン(ドラム)といった顔ぶれが揃ったカーネギーホールでのジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック(以下、JATP)にも参加した。しかし、最初に行われたセッションから、あの素晴らしい『Charlie Parker With Strings』を生まれたのだった。
さらに同年9月にもJATPに出演し、幾つかのスタジオ・セッションに参加、1949年11月には多くの素晴らしいクラシック音楽愛好家たちと一緒にレコーディングを行った。彼らはNBC交響楽団、ピッツバーグ交響楽団、そしてミネソタ管弦楽団の楽団員で、その他にもジャズ・リズム・セクションに、スタン・フリーマン、レイ・ブラウン、そしてバディ・リッチが迎えられ、レイ・キャロルのアレンジに合わせて、チャーリー・パーカーのボップ・アルトが前面で押し出されている。
マーキュリー・レコードとも仕事をしていたプロデューサーのミッチ・ミラーは当時をこう振り返る。「彼にプロデュースを頼まれました。彼自身もその場にいましたが、プロデュースは私に任せると言われたんです‥そこでそれまで何度もアレンジをお願いしてきたジミー・キャロルを招くことにしました」。ノーマン・グランツはこう語る「チャーリー・パーカーはストリングスを使いたいと懇願してきました。ストリングスはジャズのようにスウィングできないのですが、彼があまりにも懇願するので私は折れました」。
このセッションにてオーボエとイングリッシュ・ホルンを演奏したミッチ・ミラーによると、彼らはニューヨークのリーヴス・スタジオにてレコーディングをしたそうだ。「チャーリーが入ってきて演奏を聴くと、 “ちょっとやり過ぎじゃないか?” と言いました」。そう言い放った彼はスタジオを出て行ったまま戻ってこなかったためにミュージシャンたちを家に帰らせることになったという。最終的にノーマン・グランツが彼の居場所を見つけて、1週間ほど経ってからセッションが再開した後、録音されたものが『Charlie Parker With Strings』の一部として収録された。
『Charlie Parker With Strings』は元々クレフ・レコードから2枚のアルバムとしてリリースされ、共に非常に美しいジャズ作品となっている。アルバムの発売前には、クレフからのレコーディング作品をリリースしていたマーキュリーが78rmpセラックを立て続けに制作し、その中には「Everything Happens To Me」とカップリングされた素晴らしい「Just Friends」も含まれていた。90年代にヴァーヴ・レコードの会長となったプロデューサーのトミー・リピューマは「Just Friends」を初めて聴いた衝撃についてこう語っている。
「50年代はジュークボックスが主要だった。サックス奏者だった私はまだ学生だったけどライヴで演奏していた。黒人のミュージシャンたちと一緒になってね。ジュークボックスは当時の僕の地元ではまだ真新しいものだった。ある日、未成年だったの僕は目立たないようにその場にいたら、突然ジュークボックスからチャーリー・パーカーの”Just Friends”が流れてきて、初めて聴いたときはあまりの素晴らしさに現実のものとは思えなかったよ」。
1950年9月16日にバードは、ノーマン・グランツの全米JATPツアーシリーズの一環としてカーネギーホールで演奏を行った。ツアーは前夜にコネチカット州ハートフォードにて初日を迎え、バードと共にトミー・メース(オーボエ)、テッド・ブルーム、サム・カプラン、スタン・カーペニア(ヴァイオリン)、デイヴ・ウチテル(ヴィオラ)、ビル・バンディー(チェロ)、ウォレス・マックマナス(ハープ)、アル・ヘイグ(ピアノ)、トミー・ポッター(ベース)、そしてロイ・ヘインズ(ドラム)がスタージに立った。
年を追ってカーネギーホールでのレコーディングは様々なアルバムに収録され、ヴァーヴ・レコードの『Charlie Parker With Strings』にも収められている。
Written By Richard Havers
『Charlie Parker With Strings』