サーフ・ロックのベスト・ソング40:太陽の下で波に乗りたくなるゴキゲンな名曲たち
最高のサーフ・ミュージックとは、エネルギーと発想力に満ちた力強いロックンロールのことである。明瞭な音色のリード・ギターや、パワフルなリズム、そして、しばしば美しいハーモニーを適度に含んだサウンドで、サーフ・ミュージックは1950年代後半から1960年代前半にかけて絶大な人気を誇った。
当時、カリフォルニアのグループを中心に作られた同ジャンルの名曲群は、世界からみたカリフォルニアのイメージを形成した。つまり、大きなサーフ・ボードと、照りつける太陽、そして底抜けの楽しさ、といったイメージだ。
また、サーフ・ミュージックは一聴してそれとわかる特徴を備えている。それがスプリング・リバーブ(主にギターアンプに多く使われるエフェクター)である。ザ・ビートルズがニューヨークに降り立ったことで、本記事で取り上げる同ジャンルの最初の流行は陰りを見せはじめた。しかしそこで生まれた名曲は、現在まで愛され続けている。
ランキングに移る前に一点お伝えしておこう。ここでは1組のアーティストにつき1曲のみを選び、なるべく多くのアーティストを紹介できるようにした。では、前置きはこのくらいにして、サーフ・ロックの名曲ランキングに“飛び込んで”いただこう。きっと心地いい気分になれるはずだ。
<関連記事>
・ビーチ・ボーイズのベスト・ソング25
・ブライアン・ウィルソン80歳の誕生日を祝う豪華ミュージシャンたち
・ビーチ・ミュージックの歴史:太陽とサーフィンが音楽に与えてきた影響
40位 : リッチー・アレン&ザ・パシフィック・サーファーズ「Surfer’s Slide」
リッチー・ポドラーは、セッション・ギタリストとしてサンディ・ネルソンの「Let There Be Drums」などに参加したほか、プロデューサーとしてもスリー・ドッグ・ナイト、モンキーズ、ステッペンウルフ、アリス・クーパーなどを手がけて輝かしいキャリアを送った人物。
だが1960年代前半には、苗字の代わりにミドル・ネームのアレンを使用し、リッチー・アレンとしてサーフィンをテーマにした2枚のアルバム (どちらも1963年発表の『The Rising Surf』と『Surfer’s Slide』を制作。いずれのアルバムも現在では、コレクターの間でカルト的な人気を博している。
39位 : ザ・ギャンブラーズ「Moon Dawg!」
最古のサーフ・ロック・ナンバーと噂される楽曲は数多くあるが、カリフォルニアで活動したザ・ギャンブラーズの「Moon Dawg!」はその有力候補である。
ギターをブルース・ジョンストン、ドラムをサンディ・ネルソンが担当した同曲は、サーフ・ロックのグループがこぞってレパートリーに取り上げた定番曲で、ベンチャーズやトーネイドーズ、ビーチ・ボーイズなどによるカヴァー・ヴァージョンも存在する。
38位 : ザ・シャドウズ「Apache」
英国出身の4人組であるザ・シャドウズは、サーフ・ロックのサウンドをUKに広めた立役者である。そんな彼らの代表曲が1960年にヒットした「Apache」だ。
深いエコーがムードを演出するシャドウズのシングル・ヴァージョンを耳にしたデンマーク人ギタリストのヨルゲン・イングマンは、同曲を自らカヴァー。これが全米チャート2位の大ヒットとなり、シャドウズはお株を奪われてしまった。
37位 : ザ・レヴェルズ「Church Key」
サンフランシスコとロサンゼルスのほぼ中間に位置するサンルイスオビスポ出身のザ・レヴェルズ。彼らは1960年にサーフ・ロックの名曲として名高いインストゥルメンタル・ナンバー「Church Key」を発表した。
そのタイトルのイメージとは裏腹に、同曲の題材は宗教と何ら関係のないものだ。実はタイトルの“church key”は、ビールの缶を開けるための器具のこと。初期のサーフ・バンドがこぞって取り上げたこの1曲の曲中にも、缶を開けるときの音が再現されている。
36位 : ザ・サンセッツ「My Little Surfin’ Woodie」
“Woodie”とは車体に木材を使用したステーション・ワゴンのことで、サーフ・ロックやホット・ロッド・ロックの楽曲で歌われている通り、後部にサーフ・ボードをたくさん積めるのが特徴だった。
ホット・ロッド・ロックはサーフ・ロックの双子の兄弟といえるもので、サウンドはほぼ同じだが、タイトルや歌詞の題材がサーフ・ボードではなく自動車になっている。ゲイリー・アッシャーがプロデュースし1963年にシングルとしてリリースされた同曲は、そのふたつを掛け合わせた逸品だ。
35位 : ザ・サンレイズ「I Live For The Sun」
ビーチ・ボーイズの一員であるカール・ウィルソンは、当時のマネージャーであった実父のマレー・ウィルソンにサンレイズを紹介。
カリフォルニアでのライフスタイルを描いたサンレイズによる陽気なナンバー「I Live For The Sun」は全米チャート入りを果たし、息子たちのバンドのような成功を他のグループでも手にする、というマレーの野望が現実になるかと思われた。
最終的にサンレイズは大きな成功を掴み損ねたが、この曲は西海岸生まれの爽やかなポップ・ソングとして現在も親しまれている。
34位 : ザ・ファビュラス・プレイボーイズ「Cheater Stomp」
常に多くのミュージシャンや多くのレコード、多くのバンドが生まれては消えていく中で、初期のサーフ・ロックの名曲をすべて把握するのは不可能といえる。
南カリフォルニア大学の学生たちが結成したファビュラス・プレイボーイズに関しても、情報はほとんど残されていない。分かっているのは、1962年に発表された同シングルのタイトルにある“Cheater = 詐欺師”とは、サウス・ベイのカー・クラブ(自動車愛好家のコミュニティ)のことだということくらいだ。こういった楽曲があることも、この時代の音楽の大きな魅力である。
33位 : ザ・ホンデルズ「Little Honda」
サーフ・ロックが南カリフォルニアで人気のスポーツであったサーフィンを題材にしていたのは当然だが、そこには1960年代初頭のアメリカの若者の生活にまつわる他の要素が描かれることもあった。その代表格が車やバイクで、中にはホンダの新しい車種についての曲も生まれた。
ザ・ホンデルズを結成したプロデューサーのゲイリー・アッシャーは、ホンダ車に強く魅せられていた男のひとり。『Go Little Honda』と題された同バンドのファースト・アルバムには、「Haulin’ Honda」や「Hon-Da Beach Party」など、いずれもバイクをテーマにした12の楽曲が収められている。
32位 : ボ・ディドリー「Surf Sink or Swim」
1963年当時、サーフ・ロックの人気ぶりは凄まじく、幅広いアーティストやレーベルがそれに便乗しようとしていた。シカゴに拠点を置くチェッカー・レコードはサーフィンと縁遠かったはずだが、伝説的なブルース・ギタリストであるボ・ディドリーの影響をサーフ・ロックに見出していた。
1963年、同レーベルはそのことを逆手にとって『Bo Diddley’s Beach Party』と『Surfin’ With Bob Diddley』という、サーフィンをテーマにした2枚のアルバムをリリース。鋭いギター・サウンドの「Surf Sink or Swim」は、そのうち後者に収録された1曲だ。
31位 : ジェリー・コール&ヒズ・スペースメン「Midnight Surfer」
引く手あまたのセッション・ギタリストで、レッキング・クルーの一員でもあったジェリー・コール。ビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』やバーズの『Mr. Tambourine Man』を含む1960年代の名盤の数々に参加したことでも知られる人物だ。
一方で彼は、キャピトル・レコードから自己名義のアルバムも複数リリース。この曲を収録している『Surf Age』や『Hot Rod Dance Party』もその一部である。
30位 : ザ・クロスファイヤーズ「Dr. Jekyll and Mr. Hyde」
タイトルが表す通り、このシングルには“ふたつの顔”がある。冒頭はサックスを中心とした軽快で穏やかな演奏だが、甲高く大きな笑い声が聞こえると、ディック・デイル風の高速ギターと力強いドラムが曲を支配し始める。
ザ・ビートルズがアメリカにやってきてサーフ・ロックの最初の流行が終わりを告げると、クロスファイヤーズはその音楽性を転換し、ザ・タートルズに改名。その数年後に彼らが発表した「Happy Together」は、ザ・ビートルズの「Penny Lane」を全米チャートの首位から引きずり落とす1曲になった。
29位 : ザ・リヴィングトンズ「Papa-Oom-Mow-Mow」
タイトルは言葉として意味をなしていないが、1962年にリリースされた「Papa-Oom-Mow-Mow」はサーフ・ロック・バンドの間で人気を博し、多くのカヴァー・ヴァージョンも生んだ。
ビーチ・ボーイズもそんなグループのひとつで、1964年の『Beach Boys Concert』と翌年の『Beach Boys’ Party!』で同曲を取り上げている。
実のところアメリカ西海岸出身のリヴィングトンズ自体は、ドゥ・ワップ調のヴォーカルを得意としたグループで、サーフ・ロック・バンドではなかった。だがこのパーティー・チューンは、他のグループによってサーフィン文化の一部に組み入れられたのである。
28位 : ザ・フロッグ・メン「Underwater」
1961年にビーチ・ボーイズのデビュー・シングル「Surfin’」をリリースしたことで知られるキャンディックス・レコードだが、それ以前にもサーフィンにまつわる楽曲を全米チャート入りさせていた。それがフロッグ・メンによるこの1曲である。
ほとんどのサーフ・ロック・バンド同様、フロッグ・メンも10代の若者たちによるグループだった。大きな成功を掴みかけた彼らだったが、このシングルを宣伝するためのツアーに出る許可が保護者から得られなかったことで、絶好のチャンスを逃すことになった。
27位 : ザ・ファイヤーボールズ「Bulldog」
バディ・ホリーとの仕事で知られるノーマン・ペティのプロデュースで1959年に制作された「Bulldog」は、サーフ・ロックの原型といえる名曲のひとつ。これはリード・ギター担当のジョージ・トロムソが、レイ・チャールズの「What’d I Say」に着想を得て書いたものだという。
トロムソはフェンダー・ジャズマスターをフェンダーのツイン・アンプに繋ぎ、深いエコーのかかったギターを披露。お手本のようなサーフ・ギター・サウンドが聴ける最初期の1曲である。
26位 : ミスター・ガッサー&ザ・ウィアードス「Surfink!」
短期間に大流行した音楽にはありがちだが、初期のサーフ・ミュージックにもそれなりの数のコミック・ソングが作られた。ミスター・ガッサーとは、アメリカのイラストレーターであるエド・”ビッグ・ダディ”・ロスの別名。彼はミッキー・マウスに対抗してラット・フィンクというキャラクターを生み出した人物として有名である。
ロスはウィアードス(グレン・キャンベル、レオン・ラッセル、ハル・ブレインなどを含んだロサンゼルスの名セッション・ミュージシャンたち)を従え、キャピトル・レコードからいくつかのアルバムを発表。1963年の『Hot Rod Hootenanny』と1964年の『Surfink!』のジャケットにはどちらも、ロス自身が手がけた見事なアートワークが使用されている。
25位 : ザ・チャレンジャーズ「Let’s Go Trippin」
ベル・エアーズの残党により結成されたザ・チャレンジャーズは、サーフ・シーンを代表するプロデューサーとしても一目置かれたリチャード・デルヴィ(ドラム)を中心としたグループ。「ブライアン・ウィルソンやフィル・スペクターを意識していたんだ」と彼自身は話している。
1963年にリリースされたアルバム『Surf Beat』はサーフ・ロック史上屈指の成功を収め、同ジャンルが本拠地のカリフォルニア以外でも人気を集める大きなきっかけとなった。同作にはサーフ・ロックの有名曲のカヴァーが多く収められており、そのひとつがディック・デイルの傑作「Let’s Go Trippin」のカヴァーである。
24位 : ザ・スーパー・ストックス「Surf Route 101」
サーフ・ロックの需要が急騰していたのを、抜け目ないプロデューサーたちは見逃さなかった。彼らはセッション・ミュージシャンたち(その多くは1960年代にレッキング・クルーのメンバーとして名を馳せることになる)と制作していた作品の表看板として、新たなサーフ・ロック・バンドをでっち上げた。
スーパー・ストックスもそうしたグループのひとつで、その仕掛人はプロデューサー/作曲家のゲイリー・アッシャーであった。この曲を聴いて初期のビーチ・ボーイズを思い出したなら、それは単なる偶然ではない。ゲイリー・アッシャーは「409」や「In My Room」など数々のビーチ・ボーイズの楽曲をブライアン・ウィルソンと共作した人物なのだ。
23位 : プレストン・エップス「Bongo Rock」
プレストン・エップスは南カリフォルニアのレストランやクラブを中心に活動したボンゴ奏者で、若手のサーフ・ロック・バンドと共演することが多かった。この「Bongo Rock」は、インクレディブル・ボンゴ・バンドというそのままの名前のグループによって1973年にカヴァー。
そのヴァージョンはヒップホップ界の大物たちにサンプリングされるなど、同曲に新たな命を吹き込んだ。
22位 : ザ・ダコタス「The Cruel Sea」
「The Cruel Sea」ほどにカリフォルニアの海岸から遠い場所で生まれたサーフ・ロック・ナンバーは珍しい。アメリカでは「The Cruel Surf」としてリリースされ、ほどなくしてベンチャーズにもカヴァーされた1曲である。同曲はもともと1964年に、イングランドはマンチェスター出身のダコタスがリリースしたもの。
マネージャーにブライアン・エプスタイン、プロデューサーにジョージ・マーティンがついていた彼らは、リバプール出身のシンガー、ビリー・J・クレイマーのバック・バンドとして名を知られるようになった。
21位 : ザ・ファンタスティック・バギーズ「Tell ‘Em I’m Surfin’」
P.F.スローンとスティーヴ・バリから成るソングライター・チームは、バリー・マクガイアの「Eve Of Destruction(明日なき世界)」やブリティッシュ・インヴェイジョンの担い手であるハーマンズ・ハーミッツの「A Must To Avoid(あの娘に御用心)」などのヒット曲を作り出した。
だがそれ以前のふたりは、ファンタスティック・バギーズというサーフ・ロック・バンドで活動。同グループはジャン&ディーンのヒット曲に参加したほか、自己名義でもいくつかのレコードを残している。その中の代表曲がこの1曲だ。
20位 : ザ・トラッシュメン「Surfin’ Bird」
ミネソタ州出身のトラッシュメンは、南カリフォルニアのバルボア半島での休暇中にシャンテイズとディック・デイルの演奏を目の当たりにしたのをきっかけに、サーフ・ロック・バンドへと鞍替えした。
「帰って一から勉強したんだ。ミネアポリスでは誰もあんな音楽を聴いたことはなかった」とリード・ギターのトニー・アンダーソンは話している。そんなトラッシュメンの「Surfin’ Bird」は、「Papa-Oom-Mow-Mow」と「The Bird’s the Word」というリヴィングトンズの楽曲をふたつ組み合わせた1曲だったが、思いがけずカルト的な人気を博した。
19位 : ザ・ピラミッズ「Penetration」
サーフ・ギター・サウンドのインストゥルメンタル・ナンバーとして間違いなく最高峰に位置する「Penetration」は、サーフ・ロックの流行が終息する直前に登場した1曲だった。
そのリリースと時を同じくしてザ・ビートルズが『エド・サリヴァン・ショー』に出演。サーフ・ロック・ブームの終焉を告げるとともに、一夜にしてすべてを変えてしまったのだ。
それに対する最後の抵抗としてか、ピラミッズの面々は1964年の映画『ビキニ・ビーチ』にビートルズ風のカツラを着けて登場。だが最後にはそれを脱ぎ捨て、トレードマークのスキン・ヘッドを露わにしている。
18位 : リンク・レイ「Rumble」
北カリフォルニア出身のギター・ヒーローであるリンク・レイが「Rumble」を発表したのは、サーフ・ロック・ブームが興る数年前の1958年のこと。それでも同曲は、初期のサーフ・ロック・バンドがこぞって演奏する大人気曲になった。
エディ&ザ・ショウメンのエディ・バートランドはこう話す。「みんなに好まれていた。シンプルだから取り上げやすかったんだ」。彼の言う通り、シンプルさこそ同曲の最大の武器だ。ボブ・ディランほどの才人もこの曲を“史上最高のインストゥルメンタル・ナンバー”と評している。
17位 : ジャン&ディーン「Surf City」
初めの頃にヒットしたサーフ・ロックのインストゥルメンタル・ナンバー (インストロ (instro)とも呼ばれる)は、決まったパターンに則っていることがほとんどだった。流麗なリード・ギターに、それを支える力強いリズム、そして一風変わったコード進行がその特徴だ。
だが1963年になると、キャッチーなメロディやヴォーカルのハーモニーを売りにした楽曲が多くなった。その変化を牽引したのが、クールなカリフォルニア文化を賛美した「Surf City」である。
当時、そこでは誰もが「サーフィンしているか、パーティーして (either out surfin’ or they got a party growin’)」いて、「男ひとりに女の子がふたり (two girls for every boy)」という状況だったのだ。
16位 : ザ・ビーチ・ボーイズ「Surfin’ Safari」
ビーチ・ボーイズがキャピトル・レコードに移籍して最初に発表したシングルである「Surfin’ Safari」は、カリフォルニアのサーフ・ロックを世界に知らしめた楽曲といわれることが多い。彼らと契約したキャピトルの若きプロデューサーであったニック・ヴェネットはこう回想する。
「あれは若者向けの音楽の新しい形だった。そこでは彼女にフラれることも、車で崖から飛び降りることもない。あれはカリフォルニアならではのものだったんだ。ビーチ・ボーイズはカリフォルニアを代表して世界に飛び立っていった」
15位 : ジャック・ニッチェ「The Lonely Surfer」
グレン・キャンベルやレオン・ラッセルなどのセッション・ミュージシャンを迎えて制作された1963年のシングル「The Lonely Surfer」は、サーフ・ミュージックに映画音楽のような新たなサウンドをもたらした劇的な1曲。その作者であるジャック・ニッチェは、輝かしいキャリアを歩んだ人物だ。
彼はフィル・スペクターが手がけた多くの大ヒット曲のアレンジを担当した後、ニール・ヤングやザ・ローリング・ストーンズらの作品に関わった。
14位 : アル・ケイシー「Surfin’ Hootenany」
黎明期のサーフ・ロックの担い手は、ロサンゼルスの南に位置するバルボア半島のランデブー・ボールルームなどに出入りしていたサーファーやその仲間たちだった。アル・ケイシーはその例外で、彼はサーフ・ロックが流行する以前からギタリストとして名の知られた人物だった。
そんな彼が1963年に発表したシングル「Surfin’ Hootenany」(リー・ヘイズルウッドがプロデュースし、ヴォーカルはブロッサムズが務めた)は、ディック・デイルやベンチャーズといった先駆者たちにオマージュを捧げた1曲だ。
13位 : ザ・ハニーズ「Shoot The Curl」
「Surfin’ Safari」の一節からその名を取ったというハニーズは、さぞビーチ・ボーイズから愛されたことだろう。というのもブライアン・ウィルソンは、彼女たちの一連のシングル(ハニーズのメンバーが自ら作曲した「Shoot the Curl」を含む)をプロデュースしただけでなく、ヴォーカルのマリリン・ローヴェルと結婚したのだ。
彼女とその妹であるダイアン、そして従姉妹のジンジャー・ブレイクから成るハニーズは、ブライアンがビーチ・ボーイズとしての活動以外にプロデューサーとしても名前を売るきっかけになった。
12位 : クリス&キャシー「Shoot That Curl」
ハニーズの「Shoot The Curl」と紛らわしいタイトルの「Shoot That Curl」は、チャート入りを逃した1964年のシングルのB面曲である。1964年には世間にウケなかったようだが、それ以来カルト的な人気を集めるようになった。
11位 : ザ・チャンプス「Tequila」
チャンプスが1958年に発表した名曲で、現在も定番のパーティー・チューンとして親しまれる「Tequila」には、のちに“サーフ・ミュージック”として知られるようになる音楽の特徴が多く含まれている。
ジーン・オートリーが映画で乗っていた馬、“チャンピオン”からその名を取った同グループは、リッチー・ヴァレンスなどによるラテン音楽の影響を受けたという。その両者がレコーディングを行ったロサンゼルスの新興スタジオ“ゴールド・スター”では、サーフ・ロックの名曲が次々生み出されていった。
10位 : ザ・シャンテイズ「Pipeline」
サーフ・ロック・ナンバーとして最初に世界的なヒットを記録した「Pipeline」だが、その誕生秘話はあまりに素朴だった。ピアノ奏者のロブ・マーシャルはこう語る。
「俺の実家のリビングで週2回練習して、あとは近所をひたすらドライヴしていた」
その中で、この曲の原案を出したのはドラマーのボブ・ウェルチだったという。ロブ・マーシャルはこう話す。
「彼がさわりだけ演奏してみせてくれたんだ。だけど中間のパートが思いつかないと言うので、俺が“こんなのはどう?”と提案した。そうしたらそれがうまくハマったんだ。曲は30分くらいで完成したよ」
9位 : ザ・ベンチャーズ「Walk, Don’t Run」
ベンチャーズの代表曲として知られる「Walk, Don’t Run」は、実質的に“カヴァー曲のカヴァー”といえる。もともとジョニー・スミスが1954年に発表したジャズ・ナンバーを、チェット・アトキンスが独自のアレンジでカヴァー。さらにこれをベンチャーズのボブ・ボーグルとドン・ウィルソンが取り上げて、1960年発表のこのヴァージョンが生まれた。
彼らはその後にも、同曲をアレンジし直した「Walk, Don’t Run ’64」をリリース。これも前ヴァージョンと同じく全米トップ10入りを果たした。ひとつのグループが、同じ曲をふたつのヴァージョンで大ヒットさせた稀有な例である。
8位 : ザ・ライヴリー・ワンズ「Surf Rider」
サーフ・ロックのパフォーマンスをするには、多大なエネルギーが必要になる。その意味で、地元のDJであるジーン・ウィードに“ライヴリー・ワンズ”(直訳で、元気な奴ら)と名付けられたグループに敵うものは少ない。ギタリストのジム・メイソナーもこう証言している。
「俺たちはとにかく動き回った!アンプの上で飛び跳ねたり、宙返りしたり…とにかく色んな動きをやったよ」
そんな彼らの「Surf Rider」は、クエンティン・タランティーノ監督作『パルプ・フィクション』に使用されたことで、1990年代前半のサーフ・ロック・ブーム再燃の一翼を担った。
7位 : エディ&ザ・ショウメン「Squad Car」
エディ・バートランドは、エディ&ザ・ショウメン(フェンダー社のアンプ“ショウマン”が名前の由来。このアンプ自体もサーフ・ロック界最高の”ショウマン”であるディック・デイルに因んで名付けられたもの)を結成する前から、ベル・エアーズとしての活動で一定の成功を収めていた。
リバティ・レコードから1963年に発表された同シングルにはサイレンの音が使用されているが、そのサウンドもまさに強盗による襲撃のようだ。激しいドラムで幕を開けると、バートランドの見事なリード・ギターが加わって主役の座を奪う。ぜひ音量を上げて聴いていただきたい1曲だ。
6位 : ディック・デイル&ザ・デルトーンズ「Miserlou」
サーフ・ロックの王者として君臨するディック・デイルのもたらした功績は計り知れない。彼はサーフ・ロックのスタイルを確立しただけでなく、その独特なサウンドを作り出す機材の進化にも貢献した。
ギター界に革命をもたらしたレオ・フェンダーと親しい間柄だったことも、その大きな要因である。「Miserlou」は、デイルのおじがウードで弾いていた中東のフォーク・ソングを基にしたものだという。デイルの代名詞ともいえるギターの高速ピッキングを存分に堪能できる1曲だ。
5位 : ザ・マーケッツ「Surfers’ Stomp」
マーケッツ(当初の表記は“Mar-Kets”だったが“Marketts”に変更)はヒット曲のタイトルにいち早く“surf”という単語を使用したグループだったが、彼ら自身はサーファーではなくセッション・ミュージシャンだった。プロデューサーのジョー・サラセーノはこう回想する。
「バーに入ると、みんなが見たこともないようなダンスをしていた。ある女の子に聞くと“サーファー・ストンプ”というんだと教えてくれた。それで、その動きを思い浮かべながら曲を書いたんだ」
4位 : サンディ・ネルソン「Let There Be Drums (ドラムを叩け)」
ドラムを中心に据えた楽曲をヒット・チャートのトップ10にいくつも送り込んだドラマーは非常に珍しい。だがサンディ・ネルソンは、1950年代後半から1960年代前半にかけてそれを成し遂げた人物だ。ネルソンが通っていた高校のバンドには、ジャン・ベリーとディーン・トーレンス(のちのジャン&ディーン)、のちにビーチ・ボーイズのメンバーとなるブルース・ジョンストンも在籍していたという。
彼はその後、セッション・ドラマーとしてフィル・スペクターやジーン・ヴィンセントの作品に参加。ほどなくして自身でもインストゥルメンタル・ナンバーを制作するようになり、1961年にはこの名曲を世に送り出した。
3位 : ザ・トルネイドーズ「Bustin’ Surfboards」
「Telstar」の大ヒットで知られるイギリスの同名バンドと混同しやすいが、こちらはカリフォルニア州レッドランズ出身のグループ。この情熱的な楽曲の題名の由来になっているのは、サーフィンで転倒した際に起こりうる最悪の事態、つまり、“サーフ・ボードの破損”だ。
1962年にシングルとしてリリースされた同曲は、サーフ・ボードだけでなくチャートという壁も打ち壊し、サーフ・ロックのインストゥルメンタル曲として初めてビルボードのホット100チャート入りを果たす快挙を成し遂げた。
また、こちらも『パルプ・フィクション』のサウンドトラックに使用されたことで。後年になって再び注目を浴びた。
2位 : ザ・ベル・エアーズ「Mr. Moto」
「Mr. Moto」は、実際のサーファーから成るバンドによるサーフ・ロック界初のシングルと言われている。サーフ・ロックが南カリフォルニアで人気を博すようになったのは1960年代前半のこと。ベル・エアーズは、そんな黎明期のシーンにおける重要グループのひとつだった。
ドラマーのリチャード・デルヴィが話す通り、当初「サーフ・ミュージックはダンス向けで、サーフィン映画のBGMとして流れていたものだった」のだ。
1位 : ザ・サファリーズ「Wipe Out」
サファリーズの「Wipe Out」は経験の乏しい若者がスタジオに入ってその場で作り上げた楽曲であるにもかかわらず、時代を超えて愛され続けている。1963年に全米2位を記録した同曲は、現在ではサーフ・ロック史上屈指の有名曲となっている。
もともと当日のレコーディングのメインは「Surfer Joe」という曲で、「Wipe Out」はそのB面にする予定だったという。だが、1時間のレコーディングの最後に同曲を録り終えたメンバーは、収録順を逆にすべきだと感じたのだった。その後のことは、サーフ・ロックの歴史に刻まれている通りだ。
Written By Paul McGuinness
2022年6月17日発売
日本盤3CD / 日本盤1CD / 6LP / 2LP
iTunes Store / Apple Music / Spotify / Amazon Music / YouTube Music
- ビーチ・ボーイズ アーティストページ
- チェックすべきビーチ・ボーイズの名曲10曲
- なぜ、ビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』が芸術品であり続けるのか?
- ザ・ビーチ・ボーイズが『1967 –Sunshine Tomorrow』を発表
- ビーチ・ボーイズ関連記事