スタイル・カウンシルのベスト・ソング20選 : ジャンルを超えた80年代の名曲たち
ザ・ジャム(The Jam)というパンク・ポップのテンプレートから脱却したポール・ウェラー(Paul Weller)が新たに結成したスタイル・カウンシル(Style Council)は、何ものにもとらわれないものだった。
ポール・ウェラーは最高のタイミングでジャムを解散したとよく言われている。1982年末にグループが解散したとき、アルバム『The Gift』とシングル「Beat Surrender」の両方がそれぞれイギリスのチャートで1位を獲得していた。当時の彼らは、まさに頂点に立っており、最後のツアーではロンドンのウェンブリー・アリーナでの5回公演すべてのチケットを完売にしている。
ザ・ジャムはその時点で既にイギリスを代表するバンドになっていたわけだが、ポール・ウェラーは、アルバムをリリースしてはツアーに出るという繰り返しに飽き飽きしており、次のプロジェクトであるザ・スタイル・カウンシルでは過去と完全に決別をしようと決意していた。
タイトなロック・トリオとして人気を博したザ・ジャムとは異なり、スタイル・カウンシルは柔軟性を特徴にしていた。建前的には、このグループは、ウェラーとミック・タルボット (元デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズのキーボード・プレイヤー) によるデュオで、スティーヴ・ホワイトがほぼすべてのレコーディングでドラムを担当したものの、それ以外は必要に応じて追加ミュージシャンが出入りするというスタイルだった。
ザ・ジャムが完成させたモッド・ムーヴメントの影響を滲ませた激しいパンク・ポップ・サウンドとは対照的に、スタイル・カウンシルの音楽は雑多な要素を取り入れたもので、場合によってはウェラーの忠実なファン層を遠ざけてしまうこともあった。しかし振り返ってみれば、このバンドは6年間のキャリアの中で見事なポップ・ミュージックを大量に蓄積しており、そのカタログは今再び評価されるにふさわしいものだった。そんなスタイル・カウンシルのベスト20曲をご紹介しよう
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視野の広がり
1. Speak Like A Child
ウェラーとタルボットは、スタイル・カウンシルで、スタート当初から外部のミュージシャンとのコラボレーションに積極的で、1983年にリリースしたグループとしてのデビュー・シングル「Speak Like A Child」ではオレンジ・ジュースのドラマー、ジーク・マニカヴォーカリストのトレイシー・ヤングを招いていた。
ウェラーのファンキーなベース・ラインとタルボットの洒落たハモンド・オルガン、そして明るいコーラスに後押しされたこの魅力的なポップ・ソングはイギリスで35万枚以上を売り上げ、シングル・チャートで最高位4位を記録。この結果はザ・ジャムに別れを告げたポール・ウェラーの未来が明るいものであることをはっきりと示していた。
2. The Paris Match
「Speak Like A Child」に続き、「Money-Go-Round」や「Long Hot Summer」といったシングルが相次いでヒット。幸先のいいスタートに自信を得たウェラーとタルボットは、スタイル・カウンシルのデビュー・アルバム『Café Bleu』にもコラボレーションを多用するというアプローチを採用している。
同作にはラッパーのディジー・ハイツやソウル・シンガーの (そしてその後ウェラーの妻になる) ディー・C・リーが参加。またエヴリシング・バット・ザ・ガールのトレーシー・ソーンのスモーキーなヴォーカルをフィーチャーした、たまらなくジャジーな「The Paris Match」というトラックも収録されていた。
3. Have You Ever Had It Blue
スタイル・カウンシルのセカンド・アルバム『Our Favourite Shop』では『Café Bleu』にあったジャズの影響は影を潜めていたが、ウェラーとタルボットは1986年の初めにサンバ風味のジャジーな名作「Have You Ever Had It Blue」をトップ20ヒットさせている。これらは、いずれも『Café Bleu』制作時に書かれていた曲で、のちにジュリアン・テンプル監督がデヴィッド・ボウイ、パッツィ・ケンジット、ジェームズ・フォックスを起用して映画化した『ビギナーズ(原題:Absolute Beginners)』のサウンドトラックにも採用された。
4. Fairy Tales
1950年代後半のロンドンを鮮やかに描いたヘレン・マッキネスのその小説の愛読者であったウェラーだが、映画『ビギナーズ』への楽曲提供に加え、翌年には、ソウル界のレジェンド、カーティス・メイフィールドがスタイル・カウンシルのサード・アルバム『The Cost Of Loving』収録曲のいくつかをミックスするという栄誉にも預かった。彼もまたウェラーに大きな影響を与えた人物だ。それらの中でも特にすばらしい「Fairy Tales」は、スタックス風の切れのあるブラスで盛り上がるパンチの効いたプロテスト・ソウルだった。
5. That Spiritual Feeling
音楽的な視野を広げようとしていたウェラーとタルボットだったが、そうした姿勢はスタイル・カウンシルのキャリアを通じ、常に一貫しており、ウェラーは1980年代後半に急成長したアシッド・ハウス・シーンにも接近。その成果は1989年に録音されたアルバム『Modernism: A New Decade』で結実した。
彼らの最後のアルバムとなった同作は、所属レーベル、ポリドールによってリリースを拒否され、1998年にようやく日の目を見ているが、ジェームス・ブラウンのバック・バンドをフィーチャーした傑作「That Spiritual Feeling」を筆頭とする同作の収録曲を聴けば、バンドが当時のハウス・ミュージックのコンテンポラリーなサウンドを消化し、珠玉の作品を残していたことに気付かされる。
ソウル・ミュージックの探究
6. You’re The Best Thing / 7. Shout It To The Top
ザ・ジャムの”ゼロからのスタート”という姿勢は同時代のパンク・バンドと共通するものだったが、1977年には、既にウィルソン・ピケットの「Sweet Soul Music」やスプリームスの「Back In My Arms Again」のパンキッシュなヴァージョンをステージで披露していた。ポール・ウェラーは当時からソウル・ミュージックに対する愛情を表現していたのである。
もっとも、ウェラーのソウルに対する思いがより強まったのは、スタイル・カウンシル時代のことで、この時期の作品からは、バンドを起ち上げたころウェラーが頻繁に聴いていたカーティス・メイフィールド、スティーヴィー・ワンダー、そしてマーヴィン・ゲイといったソウル/ファンク・ミュージシャンの影響が色濃く感じられる。
ソウルフルでセクシーな「You’re The Best Thing」、溌剌としたフィリー・ソウル風の「Shout To The Top」、そして名曲の誉れ高い「My Ever Changing Moods」はその好例と言っていいだろう。
8. My Ever Changing Moods
現在に至るまでウェラーのライヴ・セットの定番となっている「My Ever Changing Moods」は、イギリスでトップ10ヒットとなっただけでなく、アメリカでもトップ30圏内に入る成功を収め、ウェラーにとって北米における最大のヒット作となっている。
ウェラーとタルボットはバンドの3枚目のアルバム『The Cost Of Loving』を制作する際にもアメリカに目を向け、ジャネット・ジャクソンやアレキサンダー・オニールらの作品で有名なジミー・ジャムやテリー・ルイスを意識。彼らの関わってきた作品の流れを汲む、モダンなソウル・サウンドを追及した。
9. Heavens Above
スタイル・カウンシルは、トップ10入りを果たした豪華でスタイリッシュなサウンドのヒット作「It Didn’t Matter」や、それを凌ぐ出来栄えのマーヴィン・ゲイを思わせる「Heavens Above」などを収録した『The Cost Of Loving』によって、ウェラーとタルボットは自身の理想を具現化することに成功している。
10. How She Threw It All Away
彼らのソウル・ミュージックに対する愛情は、バラード主体の静かな佇まいが特徴的な4枚目のアルバム『Confessions Of A Pop Group』にも受け継がれている。過小評価に甘んじているものの、同作にもまたソウル・タッチのライトなポップ・ソング「How She Threw It All Away」など特筆すべきトラックが含まれている。
ポップ・ミュージックと政治性の融合
11. Money-Go-Round
ザ・ジャムの代表的なヒット曲「The Eton Rifles」「Going Underground」、そして「A Town Called Malice (悪意という名の街) 」は、ウェラーがシンガー・ソングライターとしてのみならず、ポスト・パンク時代の社会問題に対するコメンテーターとしても成長したことを示していた。
そのザ・ジャムの時代も、ウェラーはロック・アゲインスト・レイシズム (Rock Against Racism) やCND (核軍縮キャンペーン) といった政治性の強いベネフィット・コンサートに参加しているが、スタイル・カウンシル結成後のウェラーは、メディアが何度も彼に押し付けようとしていた「世代を代表する声」というレッテルを警戒しながらも、より直接的に政治問題に関わるようになっていった。
あの悪夢のような炭鉱労働者ストライキ、マーガレット・サッチャー保守政権の常に意見対立を生む性質など、1980年代半ばのイギリスには憂慮すべき事態が幾多も発生している。スタイル・カウンシルが2枚目のシングルとしてリリースしたファンキーでクラブ・フレンドリーな「Money-Go-Round」はそうした世相に呼応した楽曲で、チャート上も成功を収めている。資本主義の弊害を攻撃するこの曲で自分達のスタンスを明確に表明したウェラーは、同曲から得た印税をユースCNDに寄贈した。
12. Walls Come Tumbling Down / 13. The Lodgers / 14. Internationalists
スタイル・カウンシルは1985年のセカンド・アルバム『Our Favourite Shop』によってイギリスのプロテスト・ポップの旗手になったが、実際、1980年代半ばの彼らの活動の多くはウェラーがイギリスの中道左派である労働党に対する共感を反映していた。
トップ10入りを果たした『Our Favourite Shop』からのシングル「Walls Come Tumbling Down」では怒りとエネルギーを炸裂させたものだったし、「The Lodgers」やワウ・ギターが印象的な「Internationalists」ではサッチャー政権、不正、貪欲といったものに対する憤りを、ウェラーのかつてのバンドに劣らない激しさで表現した作品になっていた。
15. Life At A Top People’s Health Farm
時流とのタイミングが上手くマッチした『Our Favourite Shop』は音楽的評価と商業的評価の両方で成功を収め、スタイル・カウンシルにとって最初となり最後でもあるイギリスでのNo.1を獲得した。1986年の、ビリー・ブラッグやザ・コミュナーズといった労働党支持のアーティスト達をフィーチャーしたレッド・ウェッジのUKツアーでスタイル・カウンシルは中心的存在であった。
しかし彼らの精力的な活動もむなしく、1987年のイギリス総選挙ではサッチャーの保守党が再び政権に就いた。このことによってウェラーとタルボットは政治から一定の距離を置くようになったが、1988年にリリースした「Life At A Top People’s Health Farm」では、侮蔑的な歌詞を用い、国の状態に対する懸念を表現していた。
知られざる名曲
16. Headstart For Happiness
ザ・ジャム時代、ウェラーは「The Butterfly Collector」や「Tales Of The Riverbank」といった優れた楽曲をシングルのカップリング・ナンバーとしてひっそりと世に送り出したが、そうした手法はスタイル・カウンシルでも踏襲された。彼らのファンはしばしばウェラーとタルボットによる珠玉の楽曲がアルバムの収録曲のひとつとして、あるいはシングルのカップリング・トラックに採用されていることに気付き、歓喜した。
「Headstart For Happiness」は「Money-Go-Round」のB面に、軽快なアコースティック・アレンジで収録。その後、グループの最初のフル・アルバム『Café Bleu』に、ウェラー、タルボット、ディー・C・リーが代わる代わるリード・ヴォーカルを取る、バンド色濃いヴァージョンで収録された。
You can move a mountain / you just need the confidence
その気になれば山だって動かせる / 必要なのは自信を持つこと
ウェラーの作品の中でも一二を争う明るく前向きな表現が印象的なこの曲は、スタイル・カウンシル解散後のウェラーのステージで定番となったが、もしも当時シングル・カットされていたら、おそらくヒットしていただろう。
17. The Piccadilly Trail
「The Piccadilly Trail」もまた卓越したB面曲のひとつで、ここでは「Can you ever explain your need to cause me pain? /どうして俺をこんなに苦しめる?」と裏切りを受けたことに対する私的な思いと孤独のイメージが細やかに表現されている。軽快なボサノヴァのビートと洗練されたアレンジを伴った1曲だが、ウェラーの声に滲む痛みが、このトラックをひときわパワフルなものにしている。
18. A Man Of Great Promise
「The Piccadilly Trail」と同じく私的な視点で書かれた「A Man Of Great Promise」は、『Our Favourite Shop』に収録された曲で、1982年に亡くなった作家のデイヴ・ウォーラーに捧げられている。ウォーラーはウェラーの旧友で、ふたりはライオット・ストーリーズという出版社をともに設立していた (同社はウォーラーの死後閉鎖されている) 。ウォーラーに向けた弔辞ともいえる歌詞を乗せたこの曲は、スタイル・カウンシルの最高傑作のひとつに数えられている。
19. Down In The Seine / 20. Changing Of The Guard
スタイル・カウンシルで、ウェラーとタルボットは、大胆なまでに多彩な音楽を残した。中にはジャック・ブレルを想起させる「Down In The Seine」やストリングスが駆け巡るバラード「Changing Of The Guard」はその一例だ。
ソロ・アルバム『Wake Up The Nation』や、彼の2020年に発売したアルバム『On Sunset』で、ウェラーに寄せられた新境地の開拓という賛辞に異議を唱えるつもりはないが、過小評価されてきたスタイル・カウンシルの作品群をひもとけば、彼は既に40年近く前から音楽的な冒険を続けてきたことに気付くはずだ。
ポール・ウェラーは2018年にレコード・コレクター誌で語っている。
「スタイル・カウンシルはどんなものにも縛られていなかった。(そんなアプローチを取るには)またとない時期だったし、またとない年齢だったんだろうね」
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