イギー・ポップのベスト・ソング20曲 : 終わらない生への欲望を伝える名曲たち【全曲動画付】
予測不可能で圧倒的にワイルドなロックン・ロールを体現する者として、イギー・ポップ(Iggy Pop)に太刀打ちできるミュージシャンはそうそういない。破天荒な私生活や度肝を抜くライヴ・パフォーマンスで話題となる彼だが、しかし、彼がレジェンドとして崇められている最大の理由は、彼が50年間に渡って常に時代を先取りするレコードを発表してきたことにあるのを見逃してはいけない。
デトロイトを拠点とする画期的なバンド、ザ・ストゥージズ(The Stooges)のメンバーとしてリリースした作品によって初期の彼は“ゴッドファーザー・オブ・パンク”という評価を獲得したが、1977年に画期的なソロ・デビュー・アルバム『The Idiot』をリリースしてからというもの、1947年4月21日に生まれのイギー・ポップは、” worth a million in prizes (値千金) ”というに相応しい作品をリリースし続けている。さてどこから始めたものか…イギー・ポップのベスト・ナンバーを挙げていこう。
あなたのお気に入り作品がもし取り上げられていないとしたら、是非コメント欄を通じ、お知らせいただきたい。
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20位「Sonali」
1999年にリリースされた内省的な『Avenue B』とニュー・オリンズ・ジャズの影響を受けた2009年の『Préliminaires』は、イギー・ポップには高オクタン価のガレージ・ロック以外にも多くの要素があることを明らかにしたが、2019年の『Free』で彼は再び「自分が長い間、頑なに保持したロックの枠から外れる」という試みを再び成功させてみせた。
ジャズ的なアプローチを見せる作品が多く収められた『Free』だが、中でも印象的なのが、シンセサイザーを主役に据えた「Sonali」だ。内省的でどのジャンルにも属さないこの曲について、ニューヨーク・タイムズ紙は同紙の論評で「畳み掛けるような、羽ばたき舞うような、変わり種のワルツ」と表現している。
19位「I Need More」
イギーの過去を振り返る際、1980年リリースの『Soldier』の完成品というよりもその制作時の激しいセッションをどうしても思い出さずにいられない(訪問中のデヴィッド・ボウイがプロデューサーのジェームズ・ウィリアムソンと激しく争ったと言われている)。しかし今改めて思うのは、このアルバムはイギーが元セックス・ピストルズのメンバーでベーシストのグレン・マトロックと共作した数曲を始めとする名曲のショーケースだということだ。
中でも「Ambition」と「Take Care Of Me」はその筆頭格だが、しかしマトロック/ポップ作品のベストは間違いなく「I Need More」だ。エネルギーを持て余すイギーが「もっと毒液を もっとダイナマイトを もっと災いを!」と歌う、獲物を付け狙うかのような不敵なロッカーだ。
18位「Real Wild Child」
「Real Wild Child」はいかにもイギー・ポップにうってつけのタイトルでよく知られたこの曲だが、実は1958年にオーストラリア人のジョニー・オキーフによってレコーディングされたオーストラリア産の最初の本格的なロックン・ロール・ナンバーだ。歌詞は、オーストラリアのとある結婚披露宴でのどんちゃん騒ぎが本格的な大乱闘に発展した事件が元ネタになっているらしい。
イギーが自分のアナーキーさを伝えるにはうってつけの一品だったわけだ。デヴィッド・ボウイを迎えて1986年に制作されたアルバム『Blah Blah Blah』の代表曲として「Real Wild Child (Wild One) 」のタイトルで収録されている。まさにイギーの魅力を存分に伝えるこの曲は1987年1月にイギリスのシングルチャートで10位にまで上昇し、彼は再びロック界の最前線に復帰することになった。
17位「Repo Man」
1980年代初頭から中期にかけての時期は、イギー・ポップにとって苦しいものだった。公私に渡る一連の問題や不運が重なり、1983年のイギーは完全に落ち込んでいた。だがその時、映画監督のアレックス・コックスが彼に救いの手を差し伸べた。主演にハリー・ディーン・スタントンとエミリオ・エステベスを起用したコックスのLAカルト作品『レポマン』のテーマ曲を監督はイギーに依頼したのだ。
1984年3月にリリースされたサウンドトラックには、カリフォルニアのパンク・シーンの主だった面々 (ブラック・フラッグ、サークル・ジャークス、スイシダル・テンデンシーズ) もフィーチャーされていたが、元セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズやブロンディのバンド・メンバーたちの協力を得て制作したイギーの荒々しいアンセムと並べられては勝負にもならなかった。
16位「I’m Bored」
おそらくは『The Idiot』と『Lust For Life』という強力な2連発の後にリリースされたためだろう。イギーの3枚目のソロ・アルバムである1979年の『New Values』についての評価は低いことが多い。だが実際はこのアルバムは、ギタリスト兼プロデューサーのジェームズ・ウィリアムソンと、元ストゥージズのメンバーでギターもキーボードもプレイする多彩な人物スコット・サーストンを擁するバンドによる強力なバックアップを得て絶好調のイギーを楽しめる、正真正銘のニュー・ウェーブの名盤だ。
「Five Foot One」と強烈なタイトル・トラックがまず目立つところだが、「俺は退屈なんだ、退屈の王様だ」と歌う虚無的でアンニュイなガレージ・ロック・アンセム「I’m Bored」の魅力がなんと言っても強烈だ。
15位「Loves Missing」
アルバム『Free』についてのワシントン・ポスト紙のレビューには「イギーのこれらの新曲には厳かな魂を感じる」とあり、アルバムが「死または超越、あるいはその両方についてのもの」であることを示唆している。
しかし、『Free』は珍しく静謐さを感じさせるデザインだが、イギーの諦観したような歌詞「Love’s absent, it’s failing her once again, again / 愛はない。彼女はまた見放された」の説得力が抜群の「Loves Missing」によって深く内面を探る深みのある内容になっている。ピクシーズを思わせる高域の効いたサウンドと、レロン・トーマスの別世界へ誘うかのようなトランペットがすばらしいロック作品だ。
14位「Run Like A Villain’」
1981年の『Party』によって、イギーとアリスタ・レコードとの契約は終了したが、ブロンディのギタリスト、クリス・ステインが自身のアニマル・レコーズを設立するのと同じ時期に、絶好のタイミングでイギーはブルックリンに居を移していた。アニマル・レコーズはスタインが深刻な皮膚疾患を患い1984年に閉鎖したことで短命なレーベルとなったが、1982年にカルトのクラシックと呼ばれる2作品、ザ・ガン・クラブの『Miami』、そしてイギーの『Zombie Birdhouse』をリリースしている。
ギタリストのロブ・デュプリーとの共作であり、ベースにステイン、ドラムにブロンディのバンドメイトであるクレム・バークをフィーチャーした『Zombie Birdhouse』で、イギーはかつて『The Idiot』であったベルリン時代の実験性に再び挑戦してみせ、涎が出るほどのご馳走をこれでもかと披露した。
キャプテン・ビーフハート風の一風変わった「Bulldozer」やアフリカ音楽の影響を感じさせる「Street Crazies」がすばらしいが、アドレナリン噴出確実の「Run Like A Villain」をここでの金メダル級の1曲として推したい。
13位「Cold Metal」
イギーがA&M移籍後に最初にリリースしたポップ志向のアルバム『Blah Blah Blah』は彼にとっての商業的な意味での復帰作になったが、1988年の『Instinct』ではそのヒットの公式はなぞらず、ハード・ロック/メタル路線で「復活」してみせた。
PiL、アフリカ・バンバータ、ハービー・ハンコックなどを手掛けていた若き名プロデューサーのビル・ラズウェルを迎え、リード・ギターにはスティーヴ・ジョーンズをフィーチャー。粗野で憎らし気なこのアルバムには「High On You」や「Easy Rider」などの強烈なアンセムが収録されているが、中でも最高なのはシングル・カットされた「Cold Metal」で、リスナーをどうにも熱くさせるこの曲によってイギーはグラミー賞にノミネートされた。
12位「Kill City」
悪名高きライヴ・アルバム『Metallic K.O.』を聴けばわかる通り、ザ・ストゥージズは1974年初めに文字通りの暴力の嵐の中で分裂した。しかしイギー本人が底を打ったのはその翌年のことで、彼はロサンゼルスのUCLAキャンパス内の精神科施設に入り世間から隔離されたのだった。
その期間中に音楽活動復帰に向けて週末の外出を許されたイギーがストゥージズのギタリスト、ジェームズ・ウィリアムソンと再会して作り上げアルバムが『Kill City』だった。正式なアルバムとして最終的にリリースされたのは『The Idiot』がヒットした後だが、収録曲は既に1975年に二人がジミー・ウェッブの自宅スタジオでレコーディングしてあったのだ。
精神的にかなり参っていた状況でのアルバムだが、イギー及びストゥージズの本気のファンならば必聴する他ない。中でも、ウィリアムソンのドライブ感あふれるリフが炸裂するタイトル・トラックは無敵のクラシック作品だ。
11位「Shades」
1986年にデヴィッド・ボウイの協力を得て制作された『Blah Blah Blah』の商業的成功はイギーのキャリア復活という意味で大きなものだったが、このアルバムに対する評価は二分している。
評論家は当時の流行だったシンセサイザーや仰々しいサウンドに頼っているとして批判的で、ボウイの伝記作家デヴィッド・バックリーは、かの有名な彼の友人は歌も演奏もしていないのにイギーは「名前以外は全部ボウイのアルバムだ」と言っていると訴えた。
しかし、『Blah Blah Blah』で最も印象的な曲「Shades」はボウイとイギーの共作によるものだ。恋人からサングラスをプレゼントされたイギーの感動的なラブソング「I’m not the kind of guy who dresses like a king, And a really fine pair of shades means everything / 俺は派手に着飾るタイプじゃない、このいかしたなサングラスさえあればいいんだ」を、イギーは優しく切々と歌ってみせている。
10位「Candy」
1990年の「Candy」はアメリカでトップ30を記録した唯一のイギーのソロ作品で、彼のコラボレート作品で最大のヒット曲だ。ティーンエイジャーの恋人ベッツィーへの極めてパーソナルな歌詞と伸びやかなコーラスを備えたこの極上のポップ・ソングでイギーはこれ以上ないほど熱の入ったヴォーカルを聴かせてくれるが、The B-52’sのケイト・ピアソンがベッツィー役を見事に演じてくれたことで作品は一層輝いて完璧なものになった。
イギーはピッツバーグポストガゼット紙でのインタビューで「都会擦れしていない声で歌う女の子が欲しかった。ケイトの少し鼻にかかった声には田舎っぽい素朴さを感じるんだ」と語っているが、その選択は完全に正しかった。イギーの豊かなバリトンとピアソンのレトロでクールな声のコントラストが見事な「Candy」は、今聴いても相変わらずすばらしいままだ。
9位「Sunday」
2016年にリリースされて音楽的にも商業的にも大きな成功を収めた17枚目のスタジオ・アルバム『Post Pop Depression』は、その年にリリースされたアルバムで最も高く評価された1枚だ。
クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジの中心的人物ジョシュ・オムがプロデューサーおよび共作者として関わり、同じくQOTSAのメンバーであるディーン・フェルティタやアークティック・モンキーズのドラマー、マット・ヘルダースの協力を得て、このアルバムはイギーにとって初となるUSトップ20、そしてイギリスでも5位を記録するヒット作品になった。
後にはアンドレアス・ニューマン監督による優れたドキュメンタリー映画『アメリカン・ヴァルハラ』も生むことになったこの『Post Pop Depression』には、シネマティックなフレーバーとデヴィッド・ボウイとのベルリン時代の残影が感じられる楽曲がぎっしりと詰め込まれている。その名曲群の中の1曲「Sunday」は、ヘルダースのタムを主体としたドラミングとオムの耳にこびりつくようなリフを軸にしたミドルテンポの強烈なロック作品だが、曲の締めくくりに予想外に登場する厳かなオーケストラが実に魅惑的だ。
8位「Mass Production」
『The Idiot』に収録された重々しい息苦しさを感じさせる「Mass Production」は、成長期にあったイギー・ポップを魅了した生まれ故郷ミシガン州の煙突と工場が立ち並ぶ景色から発想を得た曲だ。
ベーシストのローラン・ティボーによる、8分間の中で嫌というほど繰り返されるインダストリアルなノイズのテープ・ループから立ち現れる単調な連続音が不気味なバッキング・トラックに、デストピアを想像させる歌詞「Though I try to die, You put me back on the line, Oh damn it to hell / 心安らかに眠りたい、それなのにお前はまた俺を苦しめようとする、また地獄へ戻すのか」が見事に一体化している。
ポスト・パンクの黎明期、ジョイ・ディヴィジョンやデペッシュ・モード、そしてナイン・インチ・ネイルズなどの先駆者的グループに影響を与えたのが「Mass Production」だとされているが、現代に聴いても依然として未来的なサウンドだ。
7位「Tonight」
『Lust For Life』での見事なバラードはデヴィッド・ボウイとの共作になるもので、ボウイは後に彼自身のヴァージョンをティナ・ターナーとのデュエットでレコーディングし、1984年リリースのアルバムのタイトル・トラックに起用している。
2016年に行われたカーネギーホールのハウス・ベネフィットにボウイを偲んでイギーが出演したのはよく知られているが、そのステージでイギーは「驚くほどシンプルな歌詞のすばらしくエレガントな曲で、今この時に似つかわしい、今夜に似つかわしい歌詞だと思う」と言って「Tonight」を披露している。
6位「Wild America」
セールス的には前作である1990年の『Brick By Brick』を下回ったものの、1993年の『American Caesar』はより一貫性のあるアルバムで、間違いなく1990年代のイギー・ポップを代表する作品だ。
主にニューオーリンズでダニエル・ラノアの愛弟子マルコム・バーンをプロデューサーに起用してレコーディングされたこのアルバムには、政治意識を持った強烈なアンセム「Hate」や「Mixin’ The Colors」、ザ・キングスメンのガレージ・ロックの傑作「Louie Louie」の気合の入ったカヴァーなどが収められているが、中でも傑出しているのが「Wild America」だ。この曲は、ヘンリー・ロリンズをバッキング・ヴォーカルに起用した、大騒ぎの夜遊びをヴィヴィッドに描き、「可愛いメキシコ娘と黒い車の中 / 女はメスを持っていたが俺はハッパのほうがいい」と歌う切れ味鋭いロックだ。
5位「China Girl」
一聴してそれとわかるモチーフで、『The Idiot』収録の「China Girl」は即定番曲としての地位を確立した。デヴィッド・ボウイとの共作になるこの曲の歌詞はシュールで時にかなりの物騒ささえ漂っている「俺はヨロヨロと町に出た / 聖なる牛みたいに迷い込んだ / 頭の中に鉤十字が浮かんだ / さてみんなをどうしてやろうか」。しかし発想の源になったのはイギーの恋人のベトナム人Kuelan Nguyen夢中になったことだった。
後にナイル・ロジャースのプロデュースによってレコーディングされたボウイのすばらしいヴァージョン (1983年の『Let’s Dance』に収録) が英米でトップ10を記録して大ヒットしたが、決定版はやはりイギーのダークなオリジナル・ヴァージョンで間違いない。
4位「American Valhalla」
イギーの17枚目となる大傑作アルバム『Post Pop Depression』はこの偉大なアーティストにとってのランドマークとなるもので、収録された各曲 (中でも「Break Into Your Heart」と「Gardenia」はすばらしい) に触れていきたいのだが、ここではあえて割愛させていただく。しかし、魅了されずにはいられないタイトル・トラックが絶対に必聴だということは断言しておきたい。
この曲は、なぜ北欧神話の天国 (ヴァルハラ) が他の文化圏に存在する死後の世界よりも「楽園」の名にふさわしいのかについてのジョシュ・オムとイギーの会話から生まれた。イギーがそれからどういう経緯であの見事な自己を投影した歌詞の「American Valhalla」を作り上げるに至ったのかを、オムが後にモジョ誌に語っている。
「パンク・ロックの創始者としてのアイコンも人生の後半戦に突入です。嫌われながらも多くのすばらしいバンドの誕生を促したバンドで、逆境にもかかわらず常に自分であり続ける姿を体現してきた人です。あの『誰も理解できない孤独な行為 / 俺にあるのはこの名前だけ』という歌詞。彼は死を目の前にしても何も恐れることはないとわかっている。あのセリフに関われた自分は本当に幸せだと思います」
3位「The Passenger」
イギーとギタリストのリッキー・ガードナーによって作曲された『Lust For Life』のハイライトである「The Passenger」は、スリリングで切れのあるギター・リフ、波打つようなビート、そして1970年代中頃にヨーロッパと北アメリカで繰り広げたデヴィッド・ボウイの車での夜のドライブを鮮やかに描いた歌詞によって、一聴してそれとわかる印象的な楽曲だ。
過去40年間の全ての自尊心に満ちたインディー/オルタナ系ロックのカタログに欠くことのできないこの曲は、スージー・アンド・ザ・バンシーズからR.E.Mに至るまで多くの一流アーティストたちによってレコードやライヴでカヴァーされ続けている。また、ドイツのT-モバイルや日本のトヨタなど様々な企業の宣伝でも起用されており、後者の1998年のテレビCMの時にはイギリスでトップ30の返り咲きヒットを記録した。
2位「Nightclubbing」
ミニマリスト、エレクトロニック、そして実験的なイギー・ポップの堂々たるソロ・デビュー・アルバム『The Idiot』は、ザ・ストゥージズのニヒリスティックなプロト・パンクからの大きな出発点になった。
デヴィッド・ボウイのプロデュースによるこのアルバムはかの有名なフランスのエルヴィル城で主にレコーディングされたものだが、収録曲の中で最も強力な「Nightclubbing」はむしろボウイとイギーが一時居住したベルリンのいかがわしい繁華街の匂いや空気を想わせる。ローランド製ドラム・マシンによる弾むようなリズムをバックに歌うイギーならではの超俗的なヴォーカルはあたかも霊を呼び寄せるかのようなムードだ。
グレイス・ジョーンズやヒューマン・リーグなどによる優れたカヴァー・ヴァージョンが生まれているが、この雰囲気はどれほど真似しようとも決して超えることのできないものだ。
1位「Lust For Life」
「Lust For Life」は、その猛烈な激しさからは意外に思えるかもしれないが、デヴィッド・ボウイが米軍放送網 (Armed Forces Network) のコールシグナルをウクレレで模倣してみたことから始まった作品だ。ボウイがこう述懐している。
「1970年代後半のベルリンでは、AFNは英語で聴くことができる数少ない放送のひとつでね。ニュースが始まる時のジングルがとても心躍らせる感じのリフだったんです」
『Lust For Life』のセッションはベルリンのハンザ・スタジオで行われた。ハント・セイルズによるタム連打の怒涛のドラミングがイギー・ポップを代表する偉大なヒット曲の開始の合図を告げ、続いてベーシストのトニー・セイルズとギタリストのカルロス・アロマーがモータウン風のリフを延々と繰り返し、そしてイギーが登場してウィリアム・バロウズの1962年の著作『爆発した切符』の登場人物ジョニー・イェンを題材にして即興で歌詞を紡いでいく。それが今や誰もが知っているあの歌詞だ。
「Lust For Life」はリリース以来高く評価されているが、1990年代の大ヒットを記録した映画『トレインスポッティング』の冒頭で使われたことで更に新しいオーディエンスを獲得した。現在では最強最高のロック・アンセムのひとつとして広く認められている。
Written By Tim Peacock
イギー・ポップ『The Bowie Years』(7CDボックス・セット)
2020年5月29日発売
CD / iTunes
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