イングランド人ライターが選ぶベスト・サッカー・ソング11

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伝統的にイングランドの公式応援歌には代表選手が参加することで有名だ。だから有名アーティストが「公式応援歌をリリースするよ!」という言葉を聞いて、その出来を心配して恐怖に震え上がる音楽ファンは少なくないはずだ。もちろん、素晴らしいサッカー・ソングも山程ある。

しかし、かつて代表応援歌に参加したイングランド代表選手のグレン・ホドルや、クリス・ワドル、ポール・ガスコイン、そしてアンディ・コールらは皆、小説家ジョゼフ・コンラッドが描写した表現を借りれば、「粗野なエネルギーで静寂を台無しにしてきた」と言えるほど酷かったのも事実なのだ。

しかしながら、全てのサッカー・ソングで、必ずしもチームの公式スーツを着た選手達が下手くそな歌を披露しているわけではない。最高のサッカー・ソングには、例えばカルロス・サンタナや、ネリー・ファータド、カサビアン、アナスタシア、シンプリー・レッド、ヴァンゲリスらといった、世界的に有名なミュージシャン達が舵取りをした曲もある。セルジオ・レオーネ監督の名作映画でスコアを手掛けた映画音楽家エンニオ・モリコーネも、1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会に公式テーマ曲を提供していた。

サッカー・ソングとして最も象徴的な存在となっているのが、「You’ll Never Walk Alone」である。これは元々、1945年のミュージカル『回転木馬』の劇中歌「人生ひとりではない」として、オスカー・ハマースタイン2世とリチャード・ロジャースが書いた曲だ。

それ以降、フランク・シナトラ、レイ・チャールズ、ジョニー・キャッシュ、ルイ・アームストロングらのヴァージョンを含め、数え切れないほどのアーティストが、この曲をレコーディングしてきた。1963年にジェリー&ザ・ペースメイカーズが同曲をカヴァーし、全英チャート1位を獲得すると、リバプールFCのサポーターがこれを愛唱歌として採用。以来この曲は、世界中のスタジアムで、応援歌としてサッカー・ファンに親しまれている。

サッカー・ソングの多くは短命な傾向にあり、通常はイギリスのFAカップ決勝やワールドカップ等、特定のイベントに関連付けられていることが多い。2018年6月に開催されるワールドカップ・ロシア大会を記念して、今回はベスト・サッカー・ソング11選を紹介していきたい。そしてそこに3曲を恐らく永遠にベンチを温め続けるべきな控え選手のような楽曲も加えてみた。



1. ロニー・ドネガン「World Cup Willie」(1966年)

イングランド初の公式ワールド・カップ応援歌の歌い手として白羽の矢が立ったのは、“スキッフルの王様”こと、スコットランドはグラスゴー生まれのロニー・ドネガン。これは好奇心をそそられる選択だ。彼の経歴とサッカー界の繋がりは、過去にピーターバラ・ユナイテッドの練習生だったことがあるという点のみであったが、彼は英国全体で広く受け入れられている人気歌手と見なされていたのである。この曲で歌われているウィリー(Willie)とは、革新的キャラクター商品となった、1966年W杯イングランド大会の公式マスコットのことだ。

このマスコットは、児童小説家イーニッド・ブライトンの作品の幾つかで挿絵を担当していたレグ・ホイがイラストを手掛けた、ライオンのキャラクター。1950年代に「Rock Island Line」のヒットによってスターの座に着いていたロニー・ドネガンは、ここでシド・グリーンの書いた歌詞(「どこに行っても、彼は大人気/ウィリーは時代に新たなセンセーションを巻き起こすから」)を歌い、このフレンドリーなライオンを称えた。そのヴォーカルを背後から支えているのが、トニー・ハッチの編曲によるブラス・セクションだ。

しかし「World Cup Willie」は、史上初の国際的サッカー・ソングではなかった。その栄誉に浴したのは、1962年W杯チリ大会の公式ソングでロス・ランブラーズの「El Rock Del Mundial」だ。

残念ながらドネガンの曲は目標を達成できず、全英チャート入りを逃した。元イングランド代表FWのサッカー選手で、リーグでは得点王に何度も輝き、数々の記録を塗り替えてきたジミー・グリーヴスが、評論家として次のように説明している。

「ロニーは偉大なアーティストだったが、この曲は企画物で、愛国心を鼓舞するためにBBCラジオでは流されたものの、当時の若者に人気だった海賊放送局でかかることはなかった。若者達は彼に親しみを感じていなかったのだ。彼らが興味を抱いていたのは、ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズだったのだ」

とは言え、ロニー・ドネガンの曲は、特にイングランドがこれまで唯一ワールドカップで優勝した歴史の一部であることから、人々の記憶に深く刻まれている。

4対2でイングランドが勝利を収めた西ドイツとの決勝戦では、当時人気のサッカー・コメンテーターだったケネス・ウォルステンホルムが実況を担当。ザ・ビートルズの『Anthology 3』に収録されている「Glass Onion」のアウトテイク版では、「ゴールが認められました!」という彼の有名な叫び声が、フェードアウト部分に用いられている(このように、ザ・ビートルズですらサッカー・ソングをやっているというわけだ……)。

2. イングランド・ワールドカップ・スクウォッド「Back Home」(1970年)

1970年W杯メキシコ大会で、イングランド代表公式ソングの作詞・作曲を手掛けたのは、スコットランド人(ビル・マーティン)とアイルランド人(フィル・コールター)だ。彼らが選ばれた理由は、愛国的な教育を受けていたかどうかではなく、サッカー用の曲を書く前に、「Puppet On A String」や「Congratulations」といったヒット曲を彼らが飛ばしており、そのソング・ライティング力が高い評価を得ていたからであろう。

ボビー・ムーアやボビー・チャールトンら、イングランド代表チームの選手達が歌い上げたキャッチーな「Back Home」は大成功を収め、今も尚、ベスト・サッカー・ソングの1つとしての地位を守り続けている。全英シングル・チャートでは46週間のランクインを記録しただけでなく、ノーマン・グリーンバウムの「Spirit In The Sky」を引き摺り下ろす形で首位に立ち、3週に渡ってその座に就いていた。

ちなみに、同シングルのB面曲は「Cinnamon Stick」というラヴ・ソングで、カフェでシナモン・スティックを食べている“瞳をきらきらさせた女の子”のことを歌っている。理由は不明だが、この曲をメジャーなポップ・スターがカヴァーしたことはない。

3. ニュー・オーダー「World In Motion」(1990年)

イングランド代表チーム応援ソング史において、記憶に残るような楽曲が世に送り出されない時期がしばらくあった。その中には、音楽的なスコアレス・ドローとも呼ぶべき、ストック・エイトキン・ウォーターマンが手掛けたユーロ88(1988年の欧州選手権、西ドイツ大会)の公式応援歌「All The Way」も含まれるといっていいだろう。

そんな時期を経て、久々の大ヒットとなったのが、ニュー・オーダーによる1990年W杯イタリア大会の公式応援歌「World In Motion」であった。ザ・ビートルズ同様、この曲の冒頭では、ウォルステンホルムが1966年大会の実況で口にした有名なコメントの一節「ピッチに降りてしまった観客がいます。もう試合は決まったと思っているのでしょう……ええ、正に今、決まりました!」が引用されている。

ありがたいことに、当時人気選手だったゲーリー・リネカーは、このレコーディング・セッションを欠席した選手の1人であった。ラップのソロ部分の担当には、言語不明瞭なことで知られるピーター・ビアズリーではなく、ジョン・バーンズが起用されている。この陽気なシンセ・ポップ・アンセムは、全英チャートで最高位5位を記録。イングランドのサポーターは、現在も最高のサッカー・ソングのひとつとして、この曲に愛着を抱いている。

 

4. ダリル・ホール&サウンズ・オブ・ブラックネス「Gloryland」(1994年)

サッカー界でパワー・バラードがどのくらい一般的かと言えば、トッテナム・ホットスパーFCの国内リーグ優勝回数(※2回)と大体同程度のものだろう。だが、1994年にW杯を開催した際、アメリカが公式テーマ曲に選んだのは、壮大なサウンドであった。

ダリル・ホールは、グラミー賞を受賞したブラック・オブ・ブラックネスと組み、伝統的な黒人霊歌「When I Lay My Burden Down」の歌詞の一部を基にした「Gloryland」の、高揚感溢れるバラード・ヴァージョンを録音。その歌詞は、英国のソングライター陣、チャーリー・スカーベックとリック・ブラスキーによって手が加えられ、さらにホールはそのスペイン語版も歌った。もしこの曲がユニフォームだったなら、それは眩しいほどの赤、白、青の3色に染められていることだろう。

 

5. フランク・スキナー、デヴィッド・バディール&ザ・ライトニング・シーズ「Three Lions」(1998年)

これは元々、コメディアンのフランク・スキナーとデヴィッド・バディールがザ・ライトニング・シーズと組んでユーロ96(1996年欧州選手権、イングランド大会)のためにリリースした曲だ。1998年W杯フランス大会の際に発売された新ヴァージョンのシングルは、全英1位を獲得。これが史上最高のサッカー・ソングのひとつであることは恐らく間違いないが、陽気なメロディと楽観的な歌詞——「長年にわたる傷心の日々はもう終わり/夢を見ているだけの日々ももう終わり」 ——は、イングランド代表が再び途中で敗退したことにより、またも見当外れなものとなってしまった。

しかしながら、この曲の大衆を惹きつける魅力には変わりがない。不思議なことに、同曲はドイツでもヒットし、ドイツ公式チャートで最高位17位を記録した。2018年、52年にわたり優勝していないという傷心の日々を経た今年のワールドカップでもまた、この曲のオリジナルの96年版にあったジミー・ヒル(※元サッカー選手/イングランド・プロサッカー選手会長。引退後は指導者及び解説者)の言葉「このままだと悪い結果になりそうです」が、悲しくも繰り返されそうだ。

 

6. ファット・レス「Vindaloo」(1998年)

1998年、全英チャートで上記の「Three Lions」が首位に立った際、それに続く第2位に輝いたのが「Vindaloo」だった。ファット・レス(ブラーのベーシストであるアレックス・ジェイムス、アーティストのダミアン・ハースト、そしてイアン・デュリー風に歌う俳優のキース・アレンから成るユニット)によるこの曲は、イングランドのサッカー・ソングの中でも特に馬鹿馬鹿しい部類の作品だ。

歌詞の大部分は、絶えず繰り返される“ナー、ナー、ナー”という言葉と、“ヴィンダルー”(※英国で一般的な激辛インド・カレー)という単語から成っている。ついでながら、ミュージック・ビデオに登場するコメディアンのマックス・ウォールのそっくりさんは、ニューカッスル、QPR、ダービー他の監督を歴任したジム・スミスに驚くほど似ている。

 

7. ジャン・ミッシェル・ジャール「Together Now」(1998年)

日本は長らくワールドカップ本大会への出場を果たせずにいたが、1998年のフランス大会で遂に初出場が決定。史上最高のサッカー・ソング集にエネルギッシュな曲を新たに加えることで、その快挙を祝った。

ロイ・キーンのタックルと同じくらい攻撃的なエレクトロニカに仕上がった「Together Now」は、フレンチ・テクノの鬼才ジャン・ミッシェル・ジャールと日本人プロデューサーである“TK”こと小室哲哉とのコラボレーションだ。ジャールは10代の日本人歌手OLIVIA(オリヴィア・ラフキン)の“天使のような歌声”に感銘を受け、彼女がこの曲のヴォーカルを担当した。

この「Together Now」と、1990年のワールドカップ時にリリースされたザ・ファーム(リヴァプールのバンド)による反戦歌「All Together Now」を混同しないよう、ご注意を。

 

8. ユッスー・ンドゥール&アクセル・レッド「Les Cour Des Grands」(1998年)

セネガルの歌手兼作曲家のユッスー・ンドゥールとベルギーの歌手アクセル・レッドとのコラボレーションは、高揚感溢れる人道的賛歌で、1998年W杯フランス大会の公式アンセムとなった。

この曲はミュージック・ビデオも素晴らしく、また要所でクリスチャン・ポローニが卓越したギターを披露している。この4年後、W杯本大会に初出場したセネガルが準々決勝に勝ち進んだ際、ユッスー・ンドゥールは「私が15年を費やしてやろうとしてきたことを、彼らは15日で成し遂げた」と語った。

 

9. デラミトリ「Don’t Come Home Too Soon」(1998年)

これまでスコットランドがワールドカップに際して犯してきた応援歌での失敗の連続は、いつも悲喜劇の入り混じったものだった。まず、ロッド・スチュワートによるサンバの駄曲「Ole Ola」で、出だしから躓いたのが1978年のこと。

その20年後、グラスゴーのロック・バンド、デラミトリがキャッチーなギター・ソング「Don’t Come Home Too Soon」をリリースした時には(少なくとも音楽的には)教訓を学んでいたと言える。リード・ヴォーカルのジェイミー・カーティスは、スコットランドがワールド・カップ、フランス大会での“大穴”になるよう、期待というよりは願いを込めて、この曲を歌った。この爽やかな曲は、全英チャート15位を記録。ジェイミー・カーティスは「特に女性サッカー・サポーターが、この曲を気に入ってくれているようだ」と語っている。

悲しいかな、タータンの奇跡は起きず、3位のモロッコに次ぐ最下位で予選グループ敗退が決まったスコットランドは、間もなく帰国の途に着いた。

 

10. リッキー・マーティン「La Copa De La Vida」(1998年)

1998年のワールドカップ本大会は、サッカー・ソングにとって(コラップスト・ラングの奇妙な「Eat My Goal」を除いては)大豊作の年。そこにはリッキー・マーティンの「La Copa De La Vida」(英題:The Cup Of Life)も含まれている。

この快活なラテン・ポップ・ソングを手掛けたのは、ルイス・ゴメス・エスコラール、デズモンド・チャイルド、そしてロビ・ドラコ・ロサから成る経験豊富なチームだ。ミュージック・ビデオはエネルギーに溢れ、歌詞はポジティヴさに満ちており、大衆はこの曲を大いに気に入っていたようだ。同年のベスト・サッカー・ソングの中でも上位に位置するこの曲は、8カ国のチャートで首位を制覇、50万枚以上を売り上げた。

 

11. シャキーラ「Waka Waka (This Time For Africa)」(2010年)

脈打つラテンのリズムを、響き渡る歌声とアフリカン・パーカッションに溶け合わせ、キャッチーなポップ・チューンに乗せたこの曲は、2010年W杯南アフリカ大会の公式テーマ・ソングだ。近年の記憶に残る中で最高のサッカー・ソングのひとつとして際立っているだけでなく、ビルボード・アワードのトップ・ラテン・ソングにもノミネートされた。

シングルは高いセールスを上げ、人目を引くミュージック・ビデオには、若き日のリオネル・メッシの映像も含まれている。これとは別に、より正統派の伝統的なアフリカン・ソング「Shosholoza」(レディスミス・ブラック・マンバーゾがかつて録音した曲)もまた、南アフリカ代表チームが開幕戦で入場する際に歌われた。

 

ここからは永遠の控え選手として3曲

クレイジー・フロッグのリミックス版「We Are the Champions (Ding A Dang Dong)」をパーティーでかけるのは、レッドカードに値する反則とするべきだが、実際にはこのシングルは、ベストセラーとなった。

ドイツ人は、たまに一風変わったフットボール・ソングをリリースすることで知られている(1974年には、フランツ・ベッケンバウアー率いる西ドイツ代表のスター選手陣が歌う「Fussball Ist Unser Leben」[英訳:“Football Is Our Life”=フットボールは我が人生]が、シングルとして発売された)が、音楽的なオウン・ゴールとしては、悪趣味な失敗作「Far Away In America」に匹敵するものはないだろう。これは1994年W杯アメリカ大会のドイツ代表公式ソングで、ドイツ代表チームの選手達がヴィレッジ・ピープルとコラボしたものだ。

曲の中では、“タフな男の楽園”でプレーすることについて歌い上げている。だが、ドイツ代表にとってタフだったこの大会は楽園などではなく、前回優勝国だった彼らだが準々決勝のブルガリア戦で敗退が決まった。

サッカー・ソングが抱えるもうひとつの問題は、大会開幕前のリリース時に曲を取り巻いていた楽観的な雰囲気が、あっと言う間に萎んでしまう点だ。 2002年W杯日韓大会のイングランド代表公式ソングだったアント&デックによる忌まわしき「We’re On The Ball」の歌詞の中では、“超一級品のスウェーデン・スウェード(かぶ)”としてスヴェン・ゴラン・エリクソン監督を賞賛。

その後間もなく、そのスウェーデン・スウェードは叩き潰され、イングランドは準決勝のブラジル戦で敗退した。2018年W杯ロシア大会で、イングランド代表公式ソングが作られていないのも不思議なことではない。

Written By Martin Chilton


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