blink-182のベスト・ソング20:黄金のメンバーで復活したポップ・パンク・バンドの定番曲
もしblink-182の曲がなかったら、ポップ・パンクは今日のようなジャンルにはならなかっただろう。80年代の代表格がディセンデンツ、90年代の代表格がグリーン・デイだったとすれば、その次に来るのは当然blink-182になる。このジャンルにラジオ向けのスパイスをかけ、パンク・ロック原理主義たちを無視しておバカな振る舞いをするblink-182は一服の清涼剤のような存在であった。
1992年、ギタリストのトム・デロング、ベーシストのマーク・ホッパス、ドラマーのスコット・レイナーはカリフォルニア州パウエイで出会い、blink-182を結成しようと決めた。3人は映画を観たり悪ふざけをしたりする合間に曲の候補を考え、ライヴに向けたリハーサルを行っていた。
1994年、最初の作品『Buddha』が地元のレーベル、カーゴの目に留まり、blink-182は同レーベルから1995年のデビュー・アルバム『Cheshire Cat』をリリースすることになった。この2つの作品が過剰なまでにもてはやされた結果、blink-182はMCAレコードと契約。そして次のアルバム『Dude Ranch』を1997年にMCA/カーゴからリリースし、成功への道を歩み始めた。
とはいえ、このころスケジュールやその他の問題が発生したため、翌年にはドラムのレイナーがバンドを脱退してしまう。トム・デロングとマーク・ホッパスにとって幸いなことに、その穴はまもなく埋まった。ジ・アクアバッツのドラマー、トラヴィス・バーカーがすぐに曲を覚え、いくつかのライヴでサポート役を務めてくれたのである。やがてトラヴィスは、バンドの正式メンバーとなった。
それ以来、blink-182は上昇の一途をたどった。彼らは1999年の『Enema of the State』、2001年の『Take Off Your Pants and Jacket』、そして2003年の『blink-182』と数々の素晴らしいアルバムを続けて発表し、ラジオ、MTV、音楽雑誌を席巻した。そうした破竹の勢いは、本人たちが止めるというまでは止まりそうもなかった。しかしながら2005年、バンドの音楽的方向性をめぐる意見が衝突したため、blink-182は「無期限の活動休止」に入り、華やかなスポットライトから姿を消し、各メンバーは、他のサイド・プロジェクト、レコードのプロデュース、テレビ出演などを行うようになった。
それから数年後の2009年、メンバー3人が再び集結し、blink-182は正式に再結成した。2011年にはカムバック・アルバム『Neighborhoods』も作られたが、トム・デロングが突然脱退したため、バンドの活動は再び行き詰まったが、幸いなことにアルカライン・トリオのシンガー兼ギタリストのマット・スキバがトムの代わりを見事に務めることになった。
マーク・ホッパス、トラヴィス・バーカー、マット・スキバの3人は非常に相性が良かったため、2016年に曲作りのテストとして『California』を作り上げた。これはアンセムのような決めフレーズがたっぷり入った浮遊感のあるレコードだった。さらにその3年後にはエレクトロ・ポップに影響を受けた『NINE』をリリース。
そして2022年にはマット・スキバに代わりトム・デロングがバンドに復帰して、新作の発売のワールドツアーを行うことを発表している。
「1990年代のパンク・バンドの中で最も影響力があったのはblink-182だ」とニューヨーク・タイムズ紙に評される彼らの楽曲を項目ごとに分類したベスト20を紹介しよう。
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blink-182と南カリフォルニア・パンク
1. Carousel
その昔、東海岸と西海岸のポップ・パンクはサウンドだけでなく精神性も異なっていた。その西海岸の代表格といえるのがblink-182だった。ニューヨークのポップ・パンク・バンドたちはこのジャンルに対して冷たくて荒っぽいアプローチを取っていた。それに対しblink-182は、結成当初からサンディエゴの太陽のような明るいギター・トーンとヴォーカル・スタイルを特徴としていた。
彼らのデビュー作となったフル・アルバム『Cheshire Cat』で冒頭を飾った「Carousel」は、マーク・ホッパスの比較的複雑なベース・ライン、トム・デロングの速いギター・カッティング、スコット・レイナーの速射ドラムが売りとなっていた。
2. Dammit
デビュー・アルバム『Cheshire Cat』は、ポップ・パンクが得意とするメロディーとエッジをすべて含んでいたが、同時に南カリフォルニアならではの気ままな雰囲気も漂わせている。それから2年後の1997年、blink-182はセカンド・アルバム『Dude Ranch』をリリースし、いかにも南カリフォルニアらしい自分たちのスタイルにさらに磨きをかけた。収録曲「Dammit」では、どうしようもないくらいキャッチーなギター・リフとツイン・ヴォーカルで別れの物語を表現している。
3. Apple Shampoo
別れの物語を表現しているのは「Apple Shampoo」でも同じだった。ここでの彼らは、バギー・ショーツにVANSというスタイルでマイクに向かい、時の試練に耐えられないようなセリフをハーモニーで歌い上げている。陽気な態度と非の打ち所のないエネルギーで、blink-182は知らず知らずのうちに南カリフォルニアのパンク・シーンの個性を作り上げていたのである。
ラジオでの人気曲
4. What’s My Age Again?
スコット・レイナーの代わりにトラヴィス・バーカーがバンドの正式メンバーになると、blink-182は自らのサウンドをよりポップ・パンク的な方向性に変化させた。1999年には大ヒット・アルバム『Enema of the State』をリリースし、とてつもない成功を収めている。
子供っぽい歌詞とメンバー3人が全裸でロサンゼルスを疾走する伝説的なミュージック・ビデオのおかげで「What’s My Age Again?」はラジオで大人気の曲となり、すぐにMTVの定番曲となった。
5. All The Small Things
「What’s My Age Again?」と同じく『Enema of the State』から出た2枚目のシングル「All the Small Things」も、やはり人気を集めた。こちらは、彼らのシングルの中では全米シングル・チャートで一番の好成績を挙げた曲でもある。この曲の悪名高いミュージック・ビデオは、バックストリート・ボーイズ、98ディグリーズ、NSYNCなどのボーイズ・バンドをバカにしたような内容になっている。
6. First Date
blink-182の快進撃は、2000年代初頭まで続いた。2001年の4枚目のアルバム『Take Off Your Pants and Jacket』に大成功をもたらした曲が「First Date」である。このシングルは、恋人と一緒にいるときの緊張した興奮状態を完璧に表現している。ちなみにこの曲は「気持ちの良い夏のヒット曲を作ってほしい」というマネージャーからの依頼に応えてトム・デロングが作ったものだ。
当然ながら、バンドはこのシングルの安っぽい誠実さとバランスをとるかのように、70年代の若者文化をパロディにしたようなミュージック・ビデオを作り上げている。
7. I Miss You
続くアルバム『blink 182』では、チェロをふんだんに使ったラブ・ソング「I Miss You」でバンドは再びセンチメンタルな顔を見せている。これは、ザ・キュアーや『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』などにインスパイアされて作られた曲だった。
この曲の確信に満ちたサビはリスナーの脳裏に刻まれ、全米シングル・チャートではblink-182にとって2番目に高い順位まで上がった。その人気を後押しした要因のひとつは、不気味でゴシック風味のミュージック・ビデオにあった。
きわめつきのポップ・パンク
8. Dumpweed
少し経験を積み、より大きな制作費を得たblink-182は、21世紀の始めに彼らの個性を決定付けるサウンドを生み出した。このトリオは、中毒性のある決めフレーズとムードを盛り上げるメロディーを作る能力に長けていたのだ。さらには各メンバーのパートを際立たせるスタジオ・ミキシングを駆使して、自分たちの曲作りの能力を誇示している。
『Enema of the State』のオープニング曲「Dumpweed」には、弾むようなギター、突風のようなドラム・フィル、そして「女の子はいつだって頭が良すぎて、俺たちとは付き合ってくれない」という痛烈な実感がたっぷりと含まれていた。
9. Anthem Part Two
『Enema of the State』から2年後の『Take Off your Pants and Jacket』で、blink-182は「自らの価値を自覚し、それをどうするか」というテーマの歌を作るために若々しいエネルギーを注ぎ込んだ。
そのアルバムに収録された「Anthem Part Two」は若い世代に向けた大曲であり、ここで彼らは政治的権威に反発し、権力のある大人たちに疑問を投げかけ、自分の可能性を擁護していた。
10. Reckless Abandon
さらに「Reckless Abandon」では、ティーンエイジャーの裏の側面を描き出している。つまり、自然な衝動に身を任せ、酒を飲んで酔っぱらい、大人としての責任に束縛される前の最後の夜を友人たちとワイルドに過ごすというわけである。
ダークなリアリズム
11. Go
blink-182は、自分たちをただバカ騒ぎしたいだけの無自覚なポップ・パンク・キッズとして位置付けていた。それにもかかわらず彼らは、ティーンエイジャーの生活や青年期のダークなリアリズムに彩られたシリアスな曲を次々に作り出している。そうしたタイプの曲のほとんどは、2003年に発売された5枚目のアルバム『blink-182』に収録されている。
パンク・ロック調の「Go」では、DVから逃れられず、身の危険を感じている母親が描かれていた。この中で「どうして邪悪な男達は罰せられないままなんだ?」とマーク・ホッパスは叫んでいる。
12. Asthenia
「Asthenia」ではトム・デロングが宇宙に取り残された絶望的な宇宙飛行士を描いている。しかしその宇宙飛行士は自分の故郷が帰るに値する場所なのかどうか考えている。なぜならその故郷も、荒涼として周りから孤立した場所だからだ。
13. All Of This
「All Of This」は元恋人に利用され、その結果、打ちのめされて前に進めなくなったことを歌った曲だ。ここにはゴスの第一人者であるザ・キュアーのロバート・スミスがゲスト参加している。
14. Adam’s Song
blink-182のディスコグラフィーの中で最も暗い曲は、『Enema of the State』のシングル「Adam’s Song」だろう。この曲のテーマは、我が身が押しつぶされそうな孤独や鬱、自殺願望だった。
この曲の中で、語り手は自分の命を絶つことを考えている。ある時点では、ニルヴァーナの「Come As You Are」を引用するところまで追い詰められている。やがて語り手はガラリと態度を変え、未来がどうなるかを確かめるためにもう少し頑張ろうと決意するのである(関連記事:ニルヴァーナ「Come As You Are」解説)。
この「Adam’s Song」はMTVでもミュージック・ビデオが定期的に流れ、商業的な成功を収めた。そして、のんきな冗談好きのバンドという世間のイメージを変えることになったのだ。
コミカルな楽曲
15. Happy Holidays, You Bastard
「Adam’s Song」などで単なるおバカ・バンドではない部分を証明したバンドだが、それでも彼らはローリング・ストーン誌の言葉を借りれば、「パンク・ギター+オナラのジョーク=blink-182」である。彼らはジョークを飛ばして悪ふざけをすることに時間を費やしていた20代男の3人組であり、メインストリーム・メディアに受け入れられた時ですら、自分たちの子供っぽさを隠す必要性を感じていなかった。
blink-182の楽曲の中には、自分たちをあまり真剣に考えていないと思い出させる面白おかしい曲が散りばめられている。そういったタイプの曲の中で最も人気があるのは「Happy Holidays, You Bastard」だろう。この曲は、射精、嫌悪感、そして自分の祖父がウンチを漏らすのを見ることについて歌った曲だ。
16. I Won’t Be Home For Christmas
ふざけたクリスマス曲「I Won’t Be Home For Christmas」は、ダサい伝統やわざとらしく被せられる偽物の歓声にうんざりしている人のためのアンセムとなっている。彼らの楽曲カタログは、笑いを必要とする人すべてに何かしら笑える曲を提供してくれる。
17. Built This Pool
子供じみたジョークを弄ぶ年齢を脱したあとも、blink-182は大好きなギャグを飛ばし続ける方法を見つけていた。つまり、自分たちをジョークのネタにしたのである。
2016年の『California』では、「Built This Pool」のようなギター・ポップに親父ギャグを織り交ぜた曲を発表している。これはわずか17秒しかない曲で、軽薄なリフと「ウー」という元気なコーラスに続けてマーク・ホッパスがこう歌う。「観たいのは男のヌード/だから作ったこのプール」。それに対してスキバが「それだけ?」と返す。単純極まりなく、実にばかばかしい。けれどblink-182はこうした曲にも全力投球しており、そのおかげで彼らのギャグは未だに面白く感じられるのである。
2009年再結成後の作品
18. Up All Night
blink-182の待望の再結成は、悲喜こもごもの時期に行われた。長年にわたってこのバンドのプロデューサーを担当し、90年代と00年代のポップ・パンク・シーンで裏方を務めてきたジェリー・フィンが2008年に急逝したのである。その結果、blink-182は多くの新しいプロデューサーと組むことになった。
マーク・ホッパス、トム・デロング、トラヴィス・バーカーの3人は2009年のグラミー賞授賞式に出席し、blink-182の再結成をテレビの生中継の場で発表。そして、それを祝福するワールド・ツアーが計画され、以前の作品に比べるとかなりダークなアルバム『Neighborhoods』が制作中であるというニュースが流れた。
そうした状況をすべて詰め込んだのが「Up All Night」である。これは新時代の到来を告げるヘヴィなリード・シングルで、悪魔との対決がテーマとなっていた。
とはいえ、その後数年間、トムは居心地の悪さを感じ続け、最終的にはblink-182と袂を分かつことを決心した。彼は公式声明の中で、「辞めるつもりはなかった」が「バンドの活動に参加し続けるのは地獄のように辛く感じた」と述べている。
マークとトラヴィスは結成当初から参加していたギタリストの後任をどうするべきか迷っていたが、blink-182としての曲作りを止めるのはあまりにも惜しいと考えていた。そうしてふたりはアルカライン・トリオのシンガー/ギタリストであり、ポップ・パンク・シーンの象徴的存在だったマット・スキバに目をつけた。マットは、ホッパスが昔から一緒に組んでみたいと考えていたミュージシャンだった。
19. Cynical
マークとトラヴィスとマットの3人はシームレスに融合し、互いから新鮮なインスピレーションを得た。そしてスタジオに飛び込み、2016年のきらびやかなフル・アルバム『California』を作り上げたのだ。オープニング曲の「Cynical」はblink-182の新しいラインナップを紹介する曲であり、それと同時に新たなサウンドを披露する曲でもあった。
ここでは、切迫感のあるギターのメロディー、情感たっぷりのコーラス、さらには非常に洗練された音作りを楽しむことができる。こうした音作りによって彼らの演奏は実に滑らかになり、アリーナでも十分に通用するようなものになった。
20. Darkside
blink-182は、『California』のスタイルを3年後の2019年のアルバム『NINE』でさらに増強した。
「Darkside」ではエレクトリック・ドラム・キットを導入し、スキバのシャウトする歌詞も、これから長く一緒にいることを約束してくれる。そういった点で、この曲はblink-182の特徴を改めて思い出させてくれる。彼らは決めフレーズを生み出すことが実に上手だ。そして何よりも、何十年経っても全力で楽しい活動を続けているのである。
Written By Nina Corcoran
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