ビーチ・ボーイズが全米TOP10入りと波に乗った「Surfer Girl」
1963年5月、「Surfin’ U.S.A.」が3位を記録したことで、初めてアメリカのヒット・チャートのトップ10入りを果たしたビーチ・ボーイズは見事に波に乗ることに成功した。前作「Surfin’ Safari」で20位を記録したのに続き、ブライアン・ウィルソンがチャック・ベリーのメロディを脚色したこの曲のヒットによって、グループは全国的にその名を知られることになったわけだが、それだけに「Surfin’ U.S.A.」の次のシングルの重要性が増すことにもなった。
それまでマイク・ラヴとの共作によるシングルをリリースしてきたブライアン・ウィルソンだったが、作曲者として、そしてプロデューサーとして彼単独の名義による初のビーチ・ボーイズのヒット曲が1963年8月に誕生することになる。まだ彼が19歳だった1961年に書かれたこの曲は、リリース時に21歳の青年となっていたブライアン・ウィルソンの優しさとグループの洗練された見事なハーモニーが特徴的な曲で、1963年8月3日にチャート・デビューを果たしている。その曲とは、シングルとしてリリースされた「Surfer Girl」だ。
この曲は、ビーチ・ボーイズが初めてスタジオで録音してから16ヶ月ほど後の1963年の6月、ブライアン・ウィルソンとエンジニアのチャック・ブリッツによってウェスタン・レコーディング・スタジオでレコーディングされた。メロディは1940年のディズニー映画『ピノキオ』に使用された「When You Wish Upon a Star(邦題:星に願いを)」にインスパイアされたものだ。
ブライアン・ウィルソンの作曲能力の限界を危惧する必要はなかった。B面に、これまた初期ビーチ・ボーイズの傑作「Little Deuce Coupe」(ブライアン・ウィルソンとロジャー・クリスチャンの共作) を収録したシングル「Surfer Girl」は、全米シングル・チャートを瞬く間に駆け上っていった。この曲が85位でチャート入りしたその週は、これもまたカリフォルニア御用達アンセムであるジャン&ディーンの「Surf City」が1位の座を明け渡したのと同じタイミングだった。この曲はデュオの一人、ジャン・ベリーとともにブライアン・ウィルソンが共作したものだった。
そして「Surfer Girl」はわずか2週間で49位、そして20位へとトップ40圏内にランクを上げていく。このサマー・オブ・ラヴ賛歌は、最終的に学校の新学期が始まる頃の9月に9位にまで上昇し、2週間その座を守ったのだった。1960年代のシングルは、A面とは別にB面の収録曲もヒットする例が多くあったが、「Little Duce Coupe」もまた、「Surfer Girl」に2週間遅れてチャート・インした後15位まで上昇するヒット曲となっている。
Written by Paul Sexton
「Surfer Girl」収録のアルバム『Surfer Girl』