アストラル・ジャズの探究:ジョン・コルトレーンの『A Love Supreme』を起点として
未経験者は、あるいは自称ジャズ・ファンでも、スピリチュアル・ジャズもしくは“アストラル・ジャズ”と聞くと、眉をあげるかも知れない。古代エジプトのイコノグラフィー(図像)や宇宙風景が描かれたアルバム・カヴァーで、レコード・ショップのロープで囲いがされた、自分達のセクションに向かうように運命づけられているように見えたものだ。
アヴァンギャルド・ジャズとフリー・ジャズの間のどこかに位置するアストラル・ジャズは、ジャズ史上最もエクスペリメンタルな時期を象徴していた。混沌とした激動の60年代と新しい魂の目覚めの中から現われたアストラル・ジャズは、新しいインストゥルメンテーションや東洋からの影響を組み込み、抽象表現主義を更に掘り下げながら、引き続きこの形態の限界を押し上げていった。
ジョン・コルトレーンの『A Love Supreme(邦題:至上の愛)』からインパルス!レコードの出現や、彼の死後その創造力を受け継いだ信奉者達を通して、我々はアストラル・ジャズの、ジャズ&アヴァンギャルド・ミュージック界における立ち位置や、その作品で人々の心と視野を広げたスピリチュアル・ミュージック・メイカー達について研究してみた。
60年代半ばに文化が劇的に変化し始めた頃、ジャズもまた大変動を経験し、異なる方向へと引っ張られていった。オーネット・コールマン等アーティストに先導されたフリー・ジャズ・ムーヴメントの一方、ロックン・ロールのリズムに関心を向けた者はゲイリー・バートンに導かれジャズ・フュージョンを生み、その結果マイルス・デイヴィスの草分け的アルバム『Bitches Brew』が誕生した。
混沌とした新しい音楽の骨格が形成される中、ネーション・オブ・イスラム、東洋神秘主義、禅の哲学からエジプト学や仏教まで、さまざまな宗教や勢力による魂の目覚めが根底に芽吹いていた。
ジョン・コルトレーンの『A Love Supreme』は、神秘主義、ヒンドゥー教、スーフィズム(イスラム教の神秘主義哲学)、カバラ、アフリカ史、そしてプラトンとアリストテレスを探った、自らの魂の探求を表現したものだった。しかしながらアルト・サックス奏者のマリオン・ブラウンは書籍『The House That Trane Built: The Story of Impulse Records』で、次のように説明している。
「60年代の音楽の精神性は異国情緒溢れるものではなかったことに気づくと思う。それは教会から出現したものだった。教会にサクソフォンの伝統があったのは知っているし、アルバート(・アイラー)がこれに関わっていたかどうかは知らないが、彼がやっていたことは間違いなく関連があった」
1965年2月にインパルス!レコードからリリースされたジョン・コルトレーンの音楽的探求をすすめた4楽章からなる作品『A Love Supreme』で、彼はそれまで奮闘してきた悪霊を全て露わにし、曲を通してそれを清めていった。彼はその後も、トラディショナル・ジャズの限界に挑戦しながら、アルバム『OM』(1967年)、『Meditations』(1966年)、それから『Ascension』(1966年)でスピリチュアルの要素を更に多く取り込んでいった。
「インパルス!はちょうど良い時期に、ちょうど良い場所にいた」とベテラン・ジャズ・プロデューサーのエド・ミシェルは『The House That Trane Built』の中で述べている。「私達は文化の息吹を感じる恩恵を受けていた」。
1968年頃には、ザ・ビートルズがインドへ旅をし、その後まもなく他の文化もトランセンデンタル・メディテーション(超越瞑想)やアフリカ中心主義の覚醒等、東洋哲学に通じるようになっていた。ジョン・コルトレーンは1967年7月17日の突然の死の前までに、マリオン・ブラウン、アーチー・シェップ、ジョン・チカイ、デューイ・ジョンソン、ファラオ・サンダース、そしてアルバート・アイラー等の次世代プレイヤー達を認めていた。彼等の精神世界への傾倒は、文字通りに解釈されることもあった。「コルトレーンは父で、ファラオは子で、俺は聖霊だ」というアルバート・アイラーの有名な言葉がある。
ジョン・コルトレーンの死により精神的かつ創造的な喪失感が生まれたが、後に彼の妻アリス・コルトレーンとサックス奏者のファラオ・サンダースがその穴を埋めた(両者は晩年のグループのメンバーだった)。ジョン・コルトレーンがし終えたところから彼等は始め、メロディと空気感豊かな即興演奏を結合させ、アフリカとインドのパーカッション楽器、ハープ、チャイムとヴォーカルによる呪文を通して新しい音楽の表現法を発表し、それはやがてコズミックあるいはアストラル・ジャズとして知られるようになる。
ファラオ・サンダースはサン・ラやドン・チェリーまで、あらゆる人達とギグを行なったことがあり、ジョン・コルトレーン後期の探求から生まれたアルバムの多くで演奏した。彼はジョン・コルトレーンと共にした時代に、より耳障りなフリー・ジャズに背を向けることはなかった一方、音楽の剥き出しのエネルギーを更に魅力的なものに変え、アラビアやインドのフォーク・ミュージック、アフロ・キューバン、サザン・ゴスペルやR&Bの要素を取り混ぜながら、1967年の『Tauhid』、1969年の『Karma』、1971年の『Thembi』、1974年の『Love in Us All』と、ソロ・アルバムをインパルス!から続々と発表した(同レーベルから計11枚)。
『A Love Supreme』リリースの5年後、ファラオ・サンダースは『Karma』とその名高いナンバー「The Creator Has A Master Plan」で、ジョン・コルトレーンの普遍的なサウンドをロジカルにクライマックスで取り入れている。この曲は長さが32分強あり、この曲だけで収録時間の大半を占めているが、当時メインストリームFMラジオ局でもオンエアもされた。
循環するベース・ライン、平和と幸福の呪文とフリー・ジャズの探求で、ファラオ・サンダースはアストラル・ジャズのみならず、この後“ワールド・ミュージック”となるもののテンプレートを作り出した。同ジャンルのパイオニアであり、数少ない現役でもあるファラオ・サンダースは、ソロ・アルバムを36枚発表している。好きなファラオ・サンダースの楽曲を訊ねては、それぞれにしばらく思い巡らせるのは、パーティーの定番ゲームとして楽しめる。
ファラオ・サンダース同様、クラリネット奏者のトニー・スコットもまたワールド・ミュージックの初期からの支持者で、彼の1964年作品『Music for Zen Meditation & Other Joys』は、初のニューエイジ作品だと考えられている。トニー・スコットはサラ・ヴォーン、マイルス・デイヴィス、そしてベニー・グリーン等幅広いタイプのアーティストとプレイし、異なるスタイルを経験して回ったことがある、ジャズ界で相当な経歴の持ち主だったが、その後それ等から離れている。
1960年、彼は日本へ密かに旅立ち、有名な琴奏者の唯是震一や尺八奏者の山本邦山と交流した。その後も70年代から80年代を通して、即席でクラリネットとシンセサイザーを融合させながら、世界中からのさまざまな影響を活用し続けていった。トニー、スコット曰く、「エキスペリメンター(実験者)達がいなければ、ジャズはじわじわ苦しみながら死んでいくだろう。私はどんな音楽も快く受け入れたいと思っている。もし学ぶのを止めてしまったら、もうホルンを廃棄した方が良いだろう」。
また“もうひとりの”コルトレーン、アリス・コルトレーンは、ジャズ界で何かと物議を醸す人物だった(自らの意志だったわけではないものの)。彼女の才能は尊敬を集めたが、夫のリズム・セクションにマッコイ・タイナーの代わりにピアニストとして加入し、60年代半ば最高のジャズ・グループを解散させたとして非難された。
ビバップの制約を払い除けたアリス・コルトレーンのアルバムは、モダン、エキスペリメンタル・エレクトロニック・ミュージックの先駆けとしての役割を果たした。そのスピリチュアル・シンセ・ミュージックに対するアプローチで、インドの伝統的な楽器や、ハープを多用し、瞑想的で感動的なストリングスに彩られた豪華なアルバムを産出した。インパルス!レコードからリリースされた初ソロ作品『A Monastic Trio』では、アリ・コルトレーンは初めてハープを手にし、ファラオ・サンダース、ジミー・ギャリソン、そしてラシッド・アリがゲスト参加、亡き夫が激賞した自由で制約のないスタイルのジャズをプレイした。
『Huntington Ashram Monastery』は、最後の楽曲「Jaya Jaya Rama」を除いて、アストラル・ジャズを深く掘り下げた作品とは言い難い。アリス・コルトレーンが本領を発揮したのは、ファラオ・サンダースのベース・クラリネットがフィーチャーされた、昔のブルース・レコードのような感動を呼び覚ますアストラル・アルバム『Ptah, The El-Daoud』(1970年)を発表してからだった。いずれにしても、「Turiya & Ramakrishna」のメランコリックなピアノ・ソロだけでも聴く価値ありだ。
アリス・コルトレーンはオーネット・コールマン(1971年『Universal Consciousness』)等、気の合うアーティストとコラボレートしながら、独自のスタイルを開拓し続けた。アストラル・ジャズの女教皇として、アリス・コルトレーンは中東と北アフリカの音楽と文化を混ぜ、タンブーラからウーリッツァーまで、さまざまな楽器を試しながら、70年代を通して旋法の探究を続けた。
もうひとり、アストラル・ジャズ・ムーヴメントのピアニストであり、キー・プレイヤーといったら、ロニー・リストン・スミスだ。スムーズ・ジャズの先駆者としての名声を博する以前には、ファラオ・サンダースの画期的なアルバム『Tauhid』に参加。ファラオ・サンダースの5枚のアルバムでピアニストとして(そして時には共同アレンジャーとして)フィーチャーされ、経験を積んでいった。アリス・コルトレーンがウーリッツァーで魔法を使っている間、ロニー・リントン・スミスはフェンダー・ローズ・エレキ・キーボードの開拓者となった。
伝えられるところによると、『Tauhid』のスタジオ・セッション中にこの楽器を偶然に見つけ、さっそく弄っている内に、「Astral Traveling」が生まれたのだとか。ロニー・リントン・スミスはその後マイルス・デイヴィスのエレクトロニック・ピアノ・アドヴェンチャーに参加した後、1973年に自らのグループのロニー・リストン・スミス&ザ・コズミック・エコーズを結成し、ファラオ・サンダースとの作品にインスパイアされたデビュー・インストゥルメンタル・アルバム『Astral Traveling』をリリースした。
アルバート・アイラーもまた、ジョン・コルトレーンの教えを受けたサックス奏者だった。ビバップやその他モダン・ジャズ・スタイルの脇を擦り抜けながら、アストラル・ジャズ・スペクトルの反対側を表わす束縛のない自由なサウンドを出す為に、楽器をアンプに変えながら“ファイアー・ジャズ”の爆発音を表現した。その題材は輸入したものではなく、サザン・ブルースとスピリチュアルの地元のサウンドだったと、彼は1969年に『Music is the Healing Force of the Universe』の中で打ち明けている。
通常は同じグループに分類されることはないが、シンセサイザーのイノベーター達のビーバー&クラウスは、ポップ・ミュージックにモーグ・シンセサイザーを導入したことで、アンビエント、エクスペリメンタル、或いは後年“エレクトロニカ”と呼ばれるようになる音楽で偶像的な地位を得た。サウンド・エフェクトマンのポール・ビーバーとセッション・ミュージシャンで元ウィーバーズのバーニー・クラウスのふたりの生み出す作品は、非常に実験的で分類出来ない類のものだった。アルバム『In a Wild Sanctuary』(1970年)と『Gandharva』(1971年)では、ファンク、聖歌、そしてニューエイジの宇宙を探索した要素も融合されていた。
ピアニスト兼バンドリーダーのサン・ラに触れずして、アストラルやコズミック・ジャズを語ることは出来ない。500枚ほど詰まった膨大なディスコグラフィーの前ではファラオ・サンダースさえ小さく見えてしまうし、そのライヴ・パフォーマンスはまさに伝説そのものだ。彼は20世紀初期ジャズを基盤にした、アフロ・フューチャリズム、宇宙論、トライバル・パーカッション、フリー・ジャズ等々、まったく共通点がないが、アストラル・ジャズの道筋となるものを具現化した。
サン・ラは常に自分の領域を占領しながら、独自の審美眼で斬新な衣装とシアトリカルなステージを創造し、更に友人のアルトン・エイブラハムと音楽業界初の黒人所有レコード・レーベルのひとつ、エル・サターン・レコードを創立した。その音楽集団“アーケストラ”と改造された電子楽器で、サン・ラはリズミック・プレイのセンスを維持しつつ、アヴァンギャルドの周辺を探求した。その音楽は今日のサンプラーとクレイト・ディガー(*訳注:サンプリング・ネタを求めて、古いレコードを漁る人)にとり、尽きることのない発見の源になっている。
フリー・ジャズ・スペクトルのより荒れ狂う耳障りなサウンドとは異なり、ドン・チェリーの『Brown Rice』(1975年)は、このサブ・ジャンルの近づき易い入り口と見なされており、僅か4トラックだが、一聴しただけで多くの批評家を虜にしてしまう。タイトル・トラックではドン・チェリーのスキャットに影響されたヴォーカルが、ブラックスプロイテーション音楽(*訳注:1970年第前半にアメリカでうまれ、主に郊外のアフリカ系アメリカ人をターゲットとした音楽)のワウワウ・ギターの上に重ねられ、その結果かなりフリーキーなフリー・ジャズになっている。
このジャズ・トランペッターもまたジョン・コルトレーンとアルバム『The Avant-Garde』で共に演奏し、アレハンドロ・ホドロフスキーのサイケデリック・カルト映画の傑作『ホーリー・マウンテン』のサウンドトラックに貢献している。しかし彼が最も良く知られているのは、フリー・ジャズ/ファンク/ワールド/サイケを混成した1968年のベルリン・ジャズ・フェスティヴァルでレコーディングされたライヴ・アルバム『Eternal Rhythm』だ。アストラル・ジャズのカテゴリーには収まらないが、上述の実験的なスタイル全てが登場し、全てがひとつの見事なアルバムに集められた様子を堪能出来る。
この10年が終わろうとしていた頃、多種のサブ・ジャンルが同じサウンドになり始めた。音楽は境界線がないと非常に窮屈なものにもなり得る。アストラル・ジャズは常に批評家からは待ち望まれ、メインストリーム層からは実験的過ぎると考えられてきた。しかしだからこそ、多くの人々に好かれているのだ。幸いなことに、新世代のアーティスト達が(その尽きぬ技術を駆使しながら)現代的な視点を通して、アストラル・ジャズとアンビエント・ジャズをクリエイトし続けている。
Written By Laura Stavropoulos
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