ボン・ジョヴィ初の全米シングル1位「You Give Love A Bad Name」
ボン・ジョヴィの3枚目のアルバム『Slippery When Wet(邦題:ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)』は1986年10月25日に全米アルバム1位を獲得しプラチナを記録していたが、同年11月29日に彼らは初の全米シングル・チャートでもトップの栄冠に輝いた。シングル「You Give Love A Bad Name(邦題:禁じられた愛)」は全米チャートで4位から1位に登りつめ、スタジアムを観客で埋め尽くすボン・ジョヴィのアンセムの始まりとなった。この曲は、その週にアメリカが最も好きな曲となったのだ。
「You Give Love A Bad Name」は、ニュージャージー出身の5ピースのバンドと、ライターのデズモンド・チャイルドの実りある関係から生まれた曲だ。アルバムにはデズモンドとの共作曲は4曲収録。同じようにアンセムとなった次のシングル「Livin’ On A Prayer」もその中の1曲であり、その11週後に全米No.1を達成している。
ボン・ジョヴィは世界中のロック・ファンの注目の的へと駆け上がり、アルバムは現在までに2,500万枚もの売り上げを達成している。その彼らの成功に貢献した新たな要素としては、カナダ人のプロデューサー、ブルース・フェアバーンがあげられる。彼は『Slippery When Wet』と後に続いた1988年の『New Jersey』で舵を取り、さらにエアロスミスやAC/DCのマルチ・ミリオンを達成したアルバムでも活躍したが、悲しいことに1999年に49歳の若さで急死している。
「You Give Love A Bad Name」と「Livin’ On A Prayer」で、ボン・ジョヴィは1986~87年の間、シングル・チャートで最も熱いバンドとなった。当時のジョン・ボン・ジョヴィは、スピン誌に対して、最も好きなシンガーはボノ、ブルース・スプリングスティーン、トム・ペティ、フレディ・マーキュリー、そしてエリック・バードンであると話していた。また、ライヴの中で感じるバンドの発展も振り返っていた。
「4年という歳月と3枚のアルバムを経て、どの地域もなんとなく男女比が均等になってきた」と話す。「今ではヨーロッパのお客さんは半分男性、半分女性だ。アメリカでは女性が多かったけど、今はそれも半分半分。最初はみんなボン・ジョヴィが何なのかさっぱり知らなかったから、ちょっと時間がかかったね。ボン・ジョヴィってバンド名がジーンズなのかピザ屋なのかも分かってなかったんだ」。
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ボン・ジョヴィ『Slippery When Wet』