33歳の若さで亡くなったジーン・ヴィンセントへの10のコメント
あまりにも多すぎるロックン・ロールの第1世代は早すぎる死を迎えた。1960年に友人、そしてバンド仲間のエディ・コクランの命を奪った恐ろしい交通事故で、ジーン・ヴィンセントは負傷はしたものの生き残った。しかし33歳の時、1971年に出血性胃潰瘍で早すぎる死を迎えてしまった。
本名ヴィンセント・ユージン・クラドックは1935年2月11日にヴァージニア州、ノーフォークにて生まれた。ファンはもちろん、のちのスターたちへ与えた彼の影響は計り知れないが、チャート記録上は「Be-Bop-A-Lula」と「Lotta Lovin」のたった2曲しか全米トップ20入りを果たせなかった。イギリスでは、「Be-Bop-A-Lula」はデビュー・アルバム『Bluejean Bop!』の成功によって全英トップ10入りを果たし、「My Heart」や「Pistol Packin’ Mama」でもほぼ同じような規模の成功を収めた。
ユニークで、非常に愛されたジーン・ヴィンセントについて語られたコメントや本人の発言を10本選んでみた。彼の短い人生の中で彼が与えてくれたインパクト、そして彼が残してくれた遺産が伝わると思う。
「テレビ番組のBoy Meets Girlに3度出演、次の土曜日にはイギリスに到着しているというアメリカのロックン・ロール・シンガー。ジャック・グッドが連れてきた今までの中で最も多忙なスターの一人になるだろう」― ジューン・ハリス (ディスク・マガジン / 1959年12月)
「事故が起きたときには車で寝ていたジーン・ヴィンセントは鎖骨に損傷を受け、そして月曜日には彼の妻に電話をかけられるほど復活した。火曜日には病院から退院、その体でアメリカへと帰国した。4月30日よりハンリーを皮切りに始まるツアーのために彼は戻ってくるだろう」― (ディスク・マガジン / 1960年4月)
「ヴィンセントは以前よりもさらに素晴らしい。彼のパフォーマンスの見どころはより定評のある曲“Blue Jean Bop”や“Summertime” だった。そして締めくくりの曲 “Be-Bop-A-Lula ” では、彼の熱狂的な動きによりマイクが2本壊われたほどだ」― ジューン・ハリス (ディスク・マガジン、イースト・ハム・グラナダのコンサート・レビューより / 1961年2月)
「私が掘り出した刺激的なアルバムはエルヴィスによるもの、“Be-Bop-A-Lula” のようなものはジーン・ヴィンセントやカール・パーキンス、エヴァリー・ブラザーズのような人たちによるものである」― ロジャー・”ジム”・マッギン / バーズ (ヒット・パレーダー誌 / 1966年12月)
「3枚目のアルバムのために… 僕はジーン・ヴィンセントやビル・ヘイリー、ファッツ・ドミノ、エルヴィス・プレスリー、リトル・リチャード、バディ・ホリーのような僕が本当に評価している人たちがやっているような曲をやりたいんだ。彼らの曲の多くはすでにやられてしまっているが、僕は本当にやりたいのは彼らの非常に良い曲で、どういうわけか、大ヒットしていない曲たちなんだ」― ジョン・ケイ / ステッペンウルフ (サーカス・マガジン / 1969年3月)
「僕が最初に始めたころは、カール・パーキンスのような単独のシンガーたちがいた。そして徐々に、ペンギンズやプラターズのようなコーラス・グループが活躍するようになった。そして再び、ファビアンやアヴァロンのような単独のアーティストに移行し、そしてザ・ビートルズがやってきてグループが活動的になった。今はまたトム・ジョーンズやエンゲルベルトのような単独のアーティストも出てきたね。何もあまり変わっていなかったんだ。今現在、有名になったグループたちは、何も新しいことをやっちゃいない。カール・パーキンスのフレーズを弾いてるクリーデンス・クリアウォーターを聞いたときに、僕は確信したんだ」― ジーン・ヴィンセント (メロディ・メーカー誌 / 1969年11月)
「ロックン・ロールの再来はすでにアメリカに上陸していた。特に猛烈な勢いでLAに上陸していた。リトル・リチャード、チャック・ベリー、そして僕自身はアメリカとカナダでしっかりと活動しているが、多くのグループはロックン・ロールへと転向しなければいけなかった」― ジーン・ヴィンセント (メロディ・メーカー誌 / 1969年11月)
「長年の健康障害と負傷の末、ジーン・ヴィンセントは穿孔性潰瘍により今週亡くなった。50年代のロックン・ロールにおいて何が粋で、何がくどいかという大部分にとって、不屈の、ヴァージニア出身の若者だったヴィンセントはエディ・コクランやジェリー・リー・ルイスらと共に重要な人物であった。エルヴィスが沢山のガールフレンドを従えていた10代の時期に、ヴィンセントはハイスクールのダンス中に壁に寄りかかり、スイッチ・ブレードのナイフで爪を磨いているようなパンクを象徴していた」― ミック・ファレン (インターナショナル・タイムス紙 / 1971年10月)
「彼の初期作品は力強い作品だった。それはファビアンやパット・ブーンの方向に、まっすぐな若者たちを向かわせたかもしれない。しかしヴィンセントは背中にイーグルが描かれた黒のレザー・ジャケットをいつも欲しがるような誰からも愛される人物となった」― ミック・ファレン (ニュー・ミュージック・エクスプレス / 1975年2月)
「サンダーバード・ワイン、そしてブラック・ハンカチーフと共に身を落とすあなたの死を悲しみましょうか。あなたの悲しそうなヴァージニアの囁き声が恋しいです。私の心を揺さぶる声がないことを寂しく思います」― “愛しいジーン・ヴィンセント” イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ (『New Boots and Panties』/ 1977年)
Written by Paul Sexton