ついに1位の座を獲得したチャック・ベリー

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1955年から10年間、全米チャート上に25曲もの歌がチャート・インされたチャック・ベリー。6度もトップ10入りを果たし、1958年には「Sweet Little Sixteen」で最高2位にまで上昇した。その後、1970年代初頭まで7年間の空白期間を経て、ついに彼は新しい曲で1位を獲得した。

「My Ding-A-Ling」が、例えば「Maybellene」もしくは「Johnny B. Goode」と創造的に対等だったとの考えを示すチャック・ベリーのファンはそう多くないだろう。しかし、1972年の夏、その時代の非常な寛容さに現れた万人受けする挑発的な歌詞が否定されることはなかった。その曲の可能性はライヴ・レコーディングに参加したオーディエンスたちによって、さらに高められていた。

「My Ding-A-Ling」は、チャック・ベリーが25歳の時、チェス・レコードからドラマチックなデビューを飾るまだ3年前の1952年に、自分のオリジナルをレコーディングしたニューオリンズ出身の偉大なプロデュサー、デイヴ・バーソロミューによって書かれた曲である。1954年にはビーズ (The Bees) によってカヴァー、チャック・ベリー自身が「My Tambourine」としてレコーディングしたのは1966年だった。


チャック・ベリーは1972年、イングランドのミッドランズ州、コヴェントリーで開催されたランチェスター・アート・フェスティバルでのライヴ・セットの一部として、この曲を収録。その夜、彼のバック・バンドを務めたのは、アヴェレージ・ホワイト・バンドとしてその後、知られることになるグループのメンバーだった。フェスティバルのチラシには、ほかにスレイドやビリー・プレストンの名前があった。

チャック・ベリーは、それぞれの解釈によって下品とも無邪気ともとれる歌詞を、観客にそれぞれ反応させ、コーラスに合わせて歌わせるようにした。イギリスの若い観客たちはそれを楽しみ、その年の終わりには他国でも楽しまれるようになった。

「My Ding-A-Ling」はイギリスでベストセラーとなり、ノルウェーではトップ10に。そして1972年10月21日にはマイケル・ジャクソンの「Ben」を全米シングル・チャートのトップから追いやり、2週間首位の座を守った。もしかするとファンが期待したほどではなかったかもしれないが、それでもチャック・ベリーはやっと1位の座を獲得したのだ。

Written by Paul Sexton



チャック・ベリー『The Definitive Collection』

  

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