レインボー『Ritchie Blackmore’s Rainbow』解説:ディープ・パープルから離れた新バンドの船出
ディープ・パープルのギター・ヒーローからのメッセージは明確だった。アルバム・カヴァーには新しいバンドの名前がはっきりと綴られていたのだ。バンドにとって最初のレコードで、カラフルなスリーヴに名前が大きく掲げられたアルバム『Ritchie Blackmore’s R-A-I-N-B-O-W(邦題:銀嶺の覇者)』は、1975年8月4日に発売され、9月6日に初めて全米チャート入りを果たした。
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アルバムは、1975年前半にミュンヘンのミューシックランドでレコーディングされた。この作品でロック・ギターの第一人者としても、そしてバンドのリード・シンガーのロニー・ジェイムス・ディオとともにほとんどの楽曲を書いた作曲者としても、リッチー・ブラックモアの才能が新たに発揮されたものとなった。彼らはオープニング曲「Man On The Silver Mountain(邦題:銀嶺の覇者)」を含む9曲のうち7曲を共作し、サポートにはキーボードのミッキー・リー・ソウル、ドラマーのゲイリー・ドリスコール、とベーシストのクレイグ・グルーバーが参加している。
オリジナル以外の2曲のうちの1曲は、リッチーがディープ・パープルのアルバム『Stormbringer』でやりたかったイギリスのプログレ・バンドのクォーターマスの「Black Sheep of the Family」のカバーだ。このレコーディングは1974年12月にフロリダ州のタンパベイで行われていた。その頃はまだディープ・パープルに在籍していたが、新しいバンドの構想のもと、リッチーが一人でレコーディングをしていたのだった。
そしてこの曲は当時ディープ・パープルの全米ツアーでサポート・アクトを務めていたアメリカのハード・ロック・バンドのエルフのロニー・ジェイムズ・ディオとゲイリー・ドリスコールがフィーチャーされている。そしてアルバム『Ritchie Blackmore’s R-A-I-N-B-O-W』の最後には、1964年後半にイギリスでトップ3入りし、「Evil Hearted You」と両A面でリリースされたヤードバーズのヒット曲「Still I’m Sad」のエネルギー溢れるインストゥルメンタル・ヴァージョンが収録されている。
『Ritchie Blackmore’s R-A-I-N-B-O-W』は全米79位でチャート入りし、15週間チャートにランク・インし続け、最高位30位を記録した。その秋にはレインボーはツアーに出向き、1975年にはロック界のビッグ・ネームへと成長していった。
Written by Paul Sexton
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レインボー『Ritchie Blackmore’s Rainbow』