ファッツ・ドミノの20曲:リズム&ブルースとポップの市場を股にかけるユニークな魅力

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Fats Domino - Photo: Michael Ochs Archives/Getty Images

アントワーヌ・’ファッツ’・ドミノは謙虚な紳士で、レコードのセールスの高さが彼の素晴らしさを物語る最たる例のようだ。彼は、ロックン・ロール誕生の時に居合わせたアーティストだっただけでなく、1955年以降のリズム&ブルースとポップの市場を股にかけるユニークな能力は、レコーディング・アーティストとしても、パフォーマーとしても成功を得る源となった。2017年10月24日に享年89歳で亡くなったファッツ・ドミノを偲んで、彼の名曲を20曲のプレイリストにまとめ、彼のキャリアを称えたい。

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覚えておいてほしいのは、ニューオーリンズの音楽と文化の頂点にいた彼は、ロックン・ロールという名前がつく以前からスターだったということだ。1950年、ちょうど22歳の誕生日の直前にファッツ・ドミノは、その後インペリアル・レコードで無数のゴールドを達成していく中で、最初のヒットとなる「The Fat Man」でBillboard R&Bベストセラーにデビューした。

その後の5年間は、常にチャートにランク・インしたが、当時の市場の厳しい差別によりポップ・マーケットにおける成功には恵まれなかったが、さらにR&Bのでは好調で10曲のヒット曲を生んだ。どの曲もファッツ・ドミノのベストに入るものだが、その中から1952年の1位「Goin’ Home」と1953年の「Going To The River」、「Please Don’t Leave Me」をプレイリストに加えよう。

そして彼の人生を変える年となる。ロックン・ロールが到来し、ファッツ・ドミノはその台頭の中心にいたのだ。ソウル・メイトであり、同じくニューオーリンズ、通称クレセント・シティ出身の巨人、デイヴ・バーソロミューと共作した「Ain’t That A Shame」が大きなきっかけとなり、R&Bチャートのトップに11週も君臨しただけでなく、パット・ブーンのありきたりのカヴァーがその市場のほとんど独占していた中で、ポップ・チャートのトップ10入りも果たしたのだ。

すると堰を切ったようにファッツ・ドミノはその核となるファン層を築き、チャート、ステージそして映画でも常連となり、見ると安心する存在になった。1956年のロックン・ロール溢れる映画『Shake, Rattle & Rock』と『女はそれを我慢できない』に出演し、さらなるビッグ・ヒットが舞い込んだ。R&Bで1位を記録した「All By Myself」と「Poor Me」はポップチャートでは成功しなかったものの、1920年代の人気曲「My Blue Heaven」の独自のリヴァイバルや「I’m In Love Again(邦題:再び恋して)」は成功をおさめた。

印象深い1956年は、おそらく最も偉大なアンセムを生んだ年である。ファッツ・ドミノのカヴァー「Blueberry Hill」は1940年のグレン・ミラーのヒット曲をリメイクしたものだ。忘れられないピアノのイントロと、すべてのレコーディングを特徴付けるディテールで再びR&Bチャートで11週トップを記録し、ポップで2位、そしてのちにグラミーとロックン・ロールの殿堂入りを果たした。1970年までにこの曲は1,100万枚もの売り上げを達成した。

デイヴ・バーソロミューの「Blue Monday」は映画『女はそれを我慢できない』で使用され、確実なゴールド・ヒットとなったが、「I’m Walkin」も同様だった。50年代の残る年月はさらなるシングルを生み、ファッツ・ドミノのキャリアの売り上げが控えめに考えても推定6,500万枚達成していた。最後のR&B1位となった「I Want To Walk You Home」、そしてファッツ・ドミノの愛する故郷を歌ったボビー・チャールズの曲「Walkin’ To New Orleans」もこの当時の楽曲である。

最後にトップ10入りしたR&Bシングルは1961年の「Let The Four Winds Blow」で、この頃にはファッツ・ドミノに対して多くのニュー・カマーが挑んでおり、ファッツ・ドミノのスタイルは時代遅れになりつつあった。それは、間も無く大西洋を渡って挑んでくるイギリスのアーティストが、ファッツ・ドミノの影響に敬意を表したとしてもだ。しかし、ファッツ・ドミノはあらゆる場所で観客を喜ばし続け、年間で200回も公演を行った。

ポール・マッカートニー自身が、ピアノの存在が圧倒的なザ・ビートルズの「Lady Madonna」のスタイルは、偉大なるエンタテイナーに完全にインスパイアされたと話した。そこでファッツ・ドミノ名曲リストの最後の曲として、ファッツ・ドミノ本人のヴァージョンを乗せるのがふさわしいだろう。1968年、これがファッツ・ドミノの最後にチャート入りを果たした曲だ。レコーディング史上最も喜びに溢れた音楽の遺産をこれからもずっと感じられるのだ。

Written by Paul Sexton

20曲のプレイリストはこちらから



 

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