グレン・キャンベル自身初の全米1位「Rhinestone Cowboy」が快挙な理由
グレン・キャンベルは、1961年に初めて全米チャート入りし、心に残る名曲を多く残していた。しかしチャート的には結果を出すことはなく、初めてのチャートインから14年が経過した時、ようやくポップ・チャート1位を獲得した。
アーカンソー州デライト出身の素晴らしいヴォーカリストは、1961年の秋、25歳の時に「Turn Around, Look At Me」で初めてチャート入りし、62位を記録した。人気のセッション・ギタリストとして、そしてビーチ・ボーイズのツアー・メンバーとしても活躍していた彼は、1968年に「Gentle on My Mind」をリリースするまでは、トップ40入りも果たせなかったが、果たせたときもギリギリ39位だった。
グレン・キャンベルがレコーディングしたジミー・ウェッブの作曲した曲は、ポップ音楽史の一部だ。「Wichita Lineman」「Galveston」などその他もヒット曲ばかりだったが、それでも1975年9月6日までグレン・キャンベルは全米シングル・チャートの1位を獲得することはなかった。そんな時、グレン・キャンベルは、ラリー・ワイスが作曲した「Rhinestone Cowboy」をデニス・ランバートとブライアン・ポッターによるプロデュースのもとレコーディング。発売すると非常に好評を得て全米チャート3位にランクしていたが、その翌週に1位にいたK.C.&ザ・サンシャイン・バンドの「Get Down Tonight」からトップの座を奪ったのだ。
トップについて2週目にはカントリー・チャートでも1位を達成し、両チャートでのトップは1961年のジミー・ディーンの「Big Bad John」以来の快挙で、不思議なことにそれはグレン・キャンベルが初めてチャート入りを果たした翌週のことだった。
1975年9月にはディスコが世界中で流行していた時代だったが、それでもポップがチャートに入る余地は十分あり、「Rhinestone Cowboy」はアメリカだけではなくカナダとアイルランドで1位、オランダで3位、イギリスとベルギーで4位、オーストラリアで5位を記録した。わずか18か月後、アレン・トゥーサンの「Southern Nights」でグレン・キャンベルは再びチャートのトップに君臨した。
ちなみに「Rhinestone Cowboy」を作曲したラリー・ワイスは自身が歌ったオリジナルヴァージョンが売れなかったことに落胆し、店舗を借りて家具業を始めようかと悩んでいたほどだった。グレン・キャンベルのカヴァーが世に出るまでは。
Written by Paul Sexton
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