ロックの殿堂入りに相応しい11のへヴィ・メタル・バンド
メタル・ファンを苛々させたかったら、次のふたつをやれば良い。
- そのアーティストが本当にメタルかどうか訊ねる
- ロックの殿堂について話を振ってみる
長きに渡り音楽賞は一様にこのジャンルを無視してきたし、それは長年業界でジョークとして語られるようになっていた。グラミー賞が例のジェスロ・タルの大失敗(*訳注:1989年にグラミー賞にHR/HM部門が新設されたが、メタリカ等のアーティストがノミネートされていたにもかかわらず、大穴とされていたジェスロ・タルが受賞)以来、信用を取り戻そうと今も懸命に取り組んでいるように、ロックの殿堂もまた、メタリカ、ブラック・サバス、KISS、そしてようやくディープ・パープルを、彼等がその資格を得てから23年近く後に加え、少しずつ前進しながら正しい方向へ行こうとしている。
へヴィ・メタルほど文化的、商業的、そして創造的に重要なジャンルを無視するわけにはいかないのに、そんな素晴らしい彼等をシャットアウトするその基準は何なのだろう? この4月にロック史を飾る新メンバー達の一群がパンテオンへ向かうのを期に、そのインパクト、影響力、そして強者ぶり全般によりロックの殿堂入りに十分値するグループを、有資格年数順を超えたものが長い順に並べてみた。(編註:ロックの殿堂は、そのミュージシャンの最初の発売から25年を超えて初めてその資格を有する。故人/解散後のグループにも適応される)。
メタルの領域にも少し触れ、絶大な影響力誇るハードロック・バンド、シン・リジィは、「The Boys are Back in Town(邦題:ヤツらは町へ)」「Jailbreak(邦題:脱獄)」、「Whiskey in the Jar」や「Chinatown」等々、タイムレスなロックの名作を無数生んだ貢献者であり、代理人を通じてモダン・パワー・バラードを作り出したことで知られる。(*訳注:シン・リジィの「Still in Love with You」はシャーデー等がカヴァー)
世界中に数多くのファンを持つ彼等だったが、フィル・ライノットの悲劇的な死により、その成功は無情にも断ち切られた。二本のギター・アタックと、フィル・ライノットの無鉄砲な幼年期についての洞察力溢れる歌詞のコンビネーションにより、その魅力は太平洋の向こう側の人々の心をも動かし、80年代に登場した多くのメインストリーム・ハードポップ・アーティストの基準となった。2005年にU2が殿堂入りを果たして以来、シン・リジィが呼ばれるのをずっと待ち続けているのだが。
ロックの殿堂がUS中心であるということは、つまりアイアン・メイデンやジューダス・プリースト等のニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・へヴィ・メタル出身である優れた長老達の何人かを見落としているということだ。ツイン・ギター・アタック・スタイルの元祖である彼等は(グレン・ティプトンとK.K.ダウニングのおかげ)、へヴィ・メタル・ムーヴメントを先導したのみならず、リード・シンガーのロブ・ハルフォードは頭の天辺から爪先までレザーで着飾り、ヘヴィ・メタルの正式なドレス・コードを生み出した。
基準を大きく上回るジュ―ダス・プリ―ストは、ロブ・ハルフォードの鍛錬された声や、グレン・ティプトンとK.K.ダウニングの壮大なリフと完璧な音楽的才能で、ヒット曲「Breaking the Law」や「Living After Midnight」などで、ポップ・センスのあるメタルを生み出した。このグラミー賞受賞者は、50年近くロックし続け、アルバム4千万枚以上を売り上げ、同ジャンルで最も愛されているバンドのひとつだ。
このリスト中、最大の手抜かりのひとつとして、我々はメタリカのジェイムズ・ヘットフィールドの言葉、「レニーとモーターヘッドほどロックン・ロールな存在はいない」に同意したい。
イギリスの最もラウドなトリオは、過去35年間スピードとスラッシュ・メタル・シーンに多大なる影響を与え続け、パンクとメタルの境界を越えた数少ないバンドのひとつだった。バンドはレミーの爆発的なヴォーカルと共に、ギタリストのフィル・キャンベルとドラマーのミッキー・ディーの優れた楽才と曲作りの腕も評価されるべきだろう。アルバム22枚の財産と、グラミーと世界中で3000万を上回るアルバム・セールス誇るモーターヘッドがいなかったら、今のバンドの半分は存在すらしなかっただろう。
ロックの殿堂は、デヴィッド・カヴァデールをディープ・パープルでの業績で評価したものの、彼の次のバンドのホワイトスネイクは殿堂入りするのを袖で出番待ちしている状態だ。ディープ・パープルほどの影響力はないかもしれないが、ホワイトスネイクは同等に革新的であり、メタル界で最も過小評価されているバンドのひとつだ。ポップ・メタル・バンド目白押しの80年代において、ホワイトスネイクは本格的なロックの血筋を継ぐ素晴らしいライヴ・アクトとして自分達を守り抜いた。
初期のホワイトスネイクは、気骨のあるブルース・ロック・サウンドのデビュー作『Trouble』で登場し、ディープ・パープルのメンバーだったキーボード・プレイヤーのジョン・ロードとドラマーのイアン・ペイスの恩恵を受け、ブルース・ロック・ギタリストのバーニー・マースデンとミッキー・ムーディー、そしてプロデューサーのマーティン・バーチの手を借り、そのサウンドを確立していった。キャリアを通してデヴィッド・カヴァデールはアルバム毎に実験的なことをやり続け、その過程で素晴らしいギタリスト達を加入させたりした。多くの人は今でも彼等とタウニー・キティン(*訳注:デヴィッド・カヴァーデイルの元嫁であり、女優、モデル)を関連づけて考えてしまうかもしれないが、それでもその音楽は生き続けている。
多くの伝説的バンドが、ギター・ストラップを壁に吊り下げた後も、ブリティッシュ・メタルの巨人アイアン・メイデンは、世界中のスタジアムを満員にし続けている。ラジオ・ヒットを一度も生んだことがないにも拘わらず、プラチナム・セールスを記録し、ヘッドライナー・アクトを務める彼等は、誰もが認める過去35年間で最もビッグなロック・バンドのひとつだ。ブラック・サバスが始めたものを受け継いだアイアン・メイデンは、へヴィ・メタルを新しい領域へと誘う担い手として、なくてはならない存在だった。
非常に情熱的なファン層を持つ彼等は、世界中で9000万枚以上のレコードを売り上げ、メインストリーム・ロック・アーティストでさえも対抗できないようなエリート・カテゴリーに分類された。彼等のアルバム『Iron Maiden(邦題:鋼鉄の処女)』、『Seventh Son of a Seventh Son(邦題:第七の予言)』、『Brave New World』及びこの後に続くリリースは、誇り高きメタル・ファンにとり最も重要なタイトルと見なされている。
文化的&商業的勢力として80年代後半から90年代前半を独占してきたにも拘わらず、ヘア・メタルとその派手なメンバー達は、メタル・ファンの間では意見の分かれるアーティストとなっている。彼等のことを愛しているか大嫌いかのどちらかだ。ヘア・メタル・バンドの最たるものがモトリー・クルーだ。その強烈なライヴ・ショウを生み出す為の、劇的な内容と観衆を引きつける演出ぶりは徹底していた。サンセット・ストリップの名を世に広める手助けをし、その堕落した芸は時として彼等の音楽的価値を曇らせたが、『Too Fast For Love(邦題:華麗なる激情)』と『Shout at the Devil』はポップ・メタルの主要産物であり続け、バンドはデビュー以来の世界アルバム・セールスは1億万枚以上を記録している。
メタリカが2009年に殿堂入りを果たした後、メタル・ヘッズはどの“ビッグ・フォー”が後に続くか賭けをした。「Raining Blood」でスレイヤーはついにスラッシュ・メタルの為の非公式アンセムを作り出した。現在スタジアムをソールド・アウトする巨大なファン層とパワーを持つ彼等は、どんなメタル・バンドも目指す基準を打ち立てた。
スレイヤーそれぞれのメンバーが同等に賞を受けるに値するが、ファンが最も喜ぶのは、今は亡き素晴らしい人物ジェフ・ハンネマンに栄誉を授けることだろう。その熱狂的なギター・プレイとソングライターとしての見事な腕前で、数え切れないほどの名作を生んだ彼は、メタル・ヘッズ全員が絶賛する数少ない才能の持ち主のひとりだ。物議を引き起こす彼等の歌詞だが、それでもグラミー賞からも締め出されることはなかったが、一方ロックの殿堂の審査員等は、このジャンルのよりダークな分子の受賞に二の足を踏むこともあり得る。
ブラック・サバスは2006年にロックの殿堂入りを果たしたが、今は亡きロニー・ジェイムス・ディオは殿堂入りを果たしておらず、彼が除外されたことは見落とされてはいない。エルフ、レインボー、ブラック・サバス、そして自らのバンドのディオで成功を収めたそのキャリアは、メタル史で無類の存在だ。
オジ―・オズボーンの後を継ぐのは誰もがやりたがる任務ではないが、それでもロニー・ジェイムス・ディオはサバスに新しい生命を吹き込み、自らの力によりメタル史にその名を残す素晴らしいシンガーのひとりだ。1982年にサバスを去った後、彼はディオを結成しそのデビュー作『Holy Diver』でニュー・バンドの文化的力をまざまざと見せつけた。90年代初頭にサバスへ戻った後も、彼はディオとツアーを行ない、音楽を生み続け、2010年に癌に倒れるまで、アルバムを10枚リリースした。バンドが殿堂入りを果たすのは遥か先のことかも知れないが、レジェンドであり音楽史上最も偉大なロック・ヴォーカリストのひとりである、この男ロニー・ジェイムス・ディオは、もう随分前からその地位に相応しい人物だ。
これまたスラッシュ界の“ビッグ・フォー”のひとつ、アンスラックスは群れの中でより実験的な存在であり、このジャンルでは時に激しく欠如するユーモア・センスと自己認識を新たにもたらした。70年代、80年代、そして90年代でさえ男性ホルモンがたくさん駆け巡っていたヘヴィ・メタル界で、アンスラックスはその曲作りとパフォーマンスに関して言えば、異なるアプローチを取りながらも他に勝るとも劣らないハードさでロックした。ニュー・メタルの分類の中のどこに立っていようと、1987年にパブリック・エネミーと「Bring The Noise」でコラボレートしたアンスラックスは、ラップとメタルを融合した先駆者のひとりとして知られ、この数年後には事実上ラップ・メタルのサブジャンルを効果的に生み出した。最も象徴的なスピード・メタル・バンドのひとつである彼等は、モッシュ・ピットやその他のハード・コア・エレメントをメインストリーム・メタルに持ち込んだバンドとしてもまた、敬意を表されるべき存在だ。
グラミーを手にし、既にバケット・リスト(死ぬまでにしたいことリスト)の一項目にチェック・マークを入れているデイヴ・ムステインは、ロックの殿堂を獲得するだけのことを、このジャンルの為に成し遂げてきた。厳密に言うと、デイヴ・ムステインはメタリカのデビュー・アルバム『Kill `Em All』収録曲4曲の共作者としてクレジットされ、バンド初期の頃の貢献に対し称賛を得た。スラッシュ・メタルの“ビッグ・フォー”の当事者のひとりであり。このサブジャンルの創造者、デイヴ・ムステインなくしてはメタルを語ることは出来ない。彼とそのバンドのメガデスは、パワフルなサウンドでメタルの戦略本を作り、このゲームで繰る名リフの幾つかを生み出した。『Rust in Peace』、『Peace Sells…But Who’s Buying?』、『Countdown to Extinction(邦題:破滅へのカウントダウン)』を履歴書に記したバンドは、既にロック史にその名を残している。
ロブ・ゾンビは自作のマニアックな映画で、オーディエンスを震え上がらせる以前の80年代半ばから、自ら率いるバンドのホワイト・ゾンビとニューヨークのCBGBでノイズ・ロックをプレイしていた。1989年にメジャー・レーベルからリリースされたセカンド・アルバム『Make Them Die Slowly』でバンドは初めて、ごてごてのノイズ・ロックからよりホラーに影響されたインダストリアル・メタルへと方向転換し、何百万ものセールスを記録するようになる。
90年代を代表するインダストリアル・メタル・バンドのひとつとして、ホラー・イメージでプレイし音楽にヴィデオ・クリップを組み込みながら、同ジャンル内で独自の境地を切り開いた。何よりも彼等はジャンルを超え多くの人々を魅了し、1995年のアルバム『Astro-Creep: 2000』はホールの『Live Through This』やマリリン・マンソンの『Antichrist Superstar』の2倍(300万枚近く)売れた。ロブ・ゾンビはそのソロ・ワークや、或いは映画やミュージック・ビデオの監督等のノンパフォーマー・カテゴリーで、かつてのバンドよりも先に殿堂入りを果たすこともあり得る。
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