ビー・ジーズの20曲:熱狂的フィーバーの歴史

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Photo: Courtesy of UMe

ビー・ジーズ(The Bee Gees)のキャリアの売上は2億2000万枚以上を記録し、彼らはいくつかの世代に渡ってポップカルチャーを発信し、ジャンルの変化に大きな影響を与え、様々なスタイルのアーティストに影響を与えてきた。簡単に言うと、ビー・ジーズは史上最高のバンドであり、作曲家としてのパートナーシップを築いてきている。彼らの最初の世界的な成功から半世紀以上が経った今、ビー・ジーズの最高の20曲をプレイリストとともにお届けしよう。

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プレイリストの幕開けに相応しい曲は、彼らの国際的なキャリアをスタートさせた魅力的なデビュー・ヒットのうちのひとつ、1967年の「New York Mining Disaster 1941(ニューヨーク炭鉱の悲劇)」だ。その年の初夏、彼らが初めてその名をオーストラリアに広め、故郷イギリスに戻った直後に、この勇気ある物語が、バリーとモーリスとロビンのギブ兄弟に、全英と全米の両方でトップ20入りのヒットをもたらした。

それから数年に渡って彼らは目覚ましい成功を続け、しばしばそのパワフルな楽曲の数々は、ビー・ジーズにとっても、それらをカバーした人々にとってもアンセムとなった。「To Love Somebody」はニーナ・シモンの代表曲となり、「How Can You Mend A Broken Heart (傷心の日々)」はアル・グリーンのソウル・チューンとなり、「Words」はエルヴィス・プレスリーのお気に入りのカヴァー曲となった。

イギリスで大成功した彼らの曲がアメリカであまり成功しないことや、その逆のことはよくあった。カントリーの影響を受けた「Don’t Forget To Remember(想い出を胸に)」は本国では2位を達成したが、アメリカでは73位。前述した「How Can You Mend A Broken Heart」は、彼らにとって初の全米ナンバー1シングルとなったが、どういうわけか英国ではチャート入りしなかった。

彼らは70年代初期に、他にも素晴らしいシングル曲を作っている。イギリスでヒットした「My World」と「Run To Me」。残念ながら、これらは今回のプレイリストではなく。2回目のプレイリストのためにとっておかねばならない。1974年の『Mr. Natural』のように、彼らの人気に陰りが見えた衰退期にも、素晴らしいアルバム生み出した。だが、その後に彼らは再生するのだ。

ビー・ジーズのディスコとの蜜月は、敏腕プロデューサーのアリフ・マーディンとの、革新的かつ爽快な「Jive Talkin’」から始まった。彼らの新章にあまり説明は必要ないだろうが、熱狂的フィーバーとなった。歴史を塗り替えた『サタデー・ナイト・フィーバー』時代の成功により、ビー・ジーズは、誰も、彼ら自身ですら予想しなかった世界のチャンピオンへと変貌を遂げるのだ。

「Stayin’ Alive」の現象的な熱狂から浮かび上がった3人は、「Night Fever(恋のナイト・フィーバー)」など巨大なヒット曲を次々に発表した。ここに収録した「Too Much Heaven(失われた愛の世界)」「Tragedy(哀愁のトラジディ)」も代表曲だ。

それから、再び振り子が大きく揺れ動き、1987年に彼らは「You Win Again」で、新たな全英1位を獲得した。それとは裏腹に、この曲はアメリカでは最高75位であったが。一番最近で彼らがイギリスのトップ20チャート入りした曲のタイトルは、ポップ史における彼らの音楽の驚異的な永続性性を端的に言い表している。

Written By Paul Sexton


  • ビー・ジーズの20曲をSpotifyで聴く Spotify



 

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