リック・ウェイクマンのベストソング20曲:ボウイ、イエス、そしてソロのキャリアを総括する
彼の名前は、過剰な行為と同義語である。ストーンヘンジよりも高く積み上げられたキーボードの音色、惑星間を行き来する宇宙船の外観のようなケープ姿、そして言うまでもなく、数々のコンセプト・アルバム。まさに極端である。
しかしながら、全ては彼の奮闘のもとに生み出された。ユーモアに富み、謙虚で人柄のよいキーボーディスト、リック・ウェイクマンは、その熟練の技を数多くの楽曲に提供してきた。彼自身の曲の他、セッション・ミュージシャンとしても2000曲を超える曲に参加している。彼の1974年の傑作『Journey To The Center Of The Earth(邦題:地底探検)』が再発されるにあたり、われわれはリック・ウェイクマンのキャリアを深く追求することに決めた。
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ボウイとの出会い
初期のセッションで重要な意味を持っていた作品は、ジュニアーズ・アイズというバンドの1960年のアルバム『Battersea Power Station』である。その後、このアルバムをプロデュースしたトニー・ヴィスコンティが、彼のクライアントの一人、かのデヴィッド・ボウイのシングル曲のレコーディングに参加してくれないかと、ウェイクマンとギタリストのミック・ウェインに尋ねたのだ。
くだんのシングルが、画期的な「Space Oddity」。ウェイクマンがこの曲のメロトロンのパートで稼いだギャラが9ポンドだったというのは、後の笑い話になったが、それよりも重要だったのは彼がこの後ずっと、仕事でもプライベートでも、関係を結ぶことになったという点である。
ウェイクマンは決定的に風変わりなこのシンガー・ソングライターを底抜けに敬愛していたが、ボウイの1971年のアルバム『Hunky Dory』のために書いた曲を、自ら12弦のハグストロム・アコースティック・ギターを手に次から次へと演奏し聴かせた後は、さらに彼のことを敬愛することになった。
ウェイクマンの回想によると、ボウイはそのギターの旋律をピアノで演奏して欲しいと彼に頼んだそうだ。しかし、公式サイトのBowieNetに掲載されたコメントによると、ボウイはこの「チャーミングな男」が、少々覚え違いをしていて、このアルバムのいくつかの曲(明らかなのは「Changes」と「Life On Mars?」)が、実際は最初からピアノで作曲されたと語っている。
特に後者は天の賜物である。ボウイとウェイクマン双方のキャリアのハイライトとなっただけでなく、音楽史上、最上の曲の候補なのだから。ポール・マッカートニーがザ・ビートルズの名曲「Hey Jude」で使ったトライデント・スタジオのべヒシュタイン・グランドピアノで奏でられた、さざ波のような、ラプソディーのような繊細なピアノは、最高の極みを見せている。
様々な名高いセッション
「Life On Mars?」はウェイクマンの珠玉のセッション曲の代表かもしれないが、それとは違う当時のライト・ポップな寄り道として、ブラザーフッド・オブ・マン、トニー・クリスティ、ホワイト・プレインズ、エジソン・ライトハウスらにも、彼の演奏はフィーチャーされていた。
彼が参加した中でも、名高いセッションは、ルー・リード、ザ・キンクス、エルトン・ジョン、そしてT.レックスとのものだ。T.レックスの「Get It On」で、ウェイクマンはピアノでのグリッサンド奏法だけを依頼された。しかし、彼の名誉にかけて言っておくが、マーク・ボランは彼に電話をかけて、充分なギャラを支払うことを伝えた。
キャット・スティーヴンスの「Morning Has Broken(雨にぬれた朝)」(1971年の『Teaser And The Firecat』収録)も、外せない。華麗なピアノ演奏が数々のヒットを生みだしたように、この曲もウェイクマンのパフォーマンスの中でも最も有名な曲のひとつであり、彼自身が誇りに思っている曲でもある。
ザ・ストローブズでの活動
彼のセッション・ワークは、彼の「日中の仕事」であった英国フォーク・バンドのザ・ストローブズの活動と共に、彼のプロフィールを押し上げていった。
彼がこのバンドに加入したのは1970年で、ライヴ・アルバム『Just A Collection Of Antiques And Curios』に収録された「Temperament Of Mind」のピアノでは、強烈な印象を残した。エレガントでありながら精巧なテクニックで奏でられるこの曲は、多種多様なムードつくりだし、ラグタイム、バロック、ブルースと様々モードが追いかけっこのように演奏されており、ハイレベルになりがちなところに喜劇的な要素も加えている。
翌年の『From The Witchwood』に収録されている「A Glimpse Of Heaven」は、ウェイクマンが一番好きなストローブスの曲でレスリー・スピーカー付ハモンド・オルガンによりまるで星の爆発のような勝ち誇った音色が鳴り響く。
イエスへの加入
そして1971年、彼は船を乗り換えてイエスに加入する。そこで彼の評判は確固たるものとなり、彼のギャランティーはザ・ストローブスでの週18ポンドから、週50ポンドに上がった。
ウェイクマンはその活動を続けていくことになる。1971年の11月に発表されたイエスの4枚目のアルバム『Fragile(こわれもの)』には、彼がハモンド・オルガン、メロトロン、ピアノ、ミニ・モーグを駆使し、テイストと音色が複雑に織り交ぜられた「Heart Of The Sunrise(燃える朝焼け)」が収録されている。ミニ・モーグは、モノラル様式を故障と勘違いした『オリバー!』の俳優ジャック・ワイルドから、販売価格の半額で買い取った。
『Fragile』に続くアルバムとしてイエスが1972年に発表した『Close To The Edge(危機)』は、彼らの能力を極限まで押し出し、プログレッシヴ・ロックの話題作の最高峰となった。特に、アルバム・タイトル曲は頑までに野心的だった。
この曲の中間で、ウェイクマンはセント・ジャイルズ=ウィズアウト=クリップルゲート教会のチャーチ・オルガンを使用し、レコーディングした(このオルガンは、彼のファースト・ソロ・アルバム『The Six Wives Of Henry VIII(ヘンリー八世の六人の妻)』収録の「Jane Seymour」でも使われた)。しかし、この曲の胸に染み入るハモンド・オルガンの独奏こそ、40年経過した今も圧倒される部分だ。
辛辣にもリチャード・バートンとエリザベス・テイラーの関係(訳注:結婚と離婚を繰り返した)になぞらえて語られていたが、ウェイクマンはその後、イエスを離れては戻ることを繰り返した。
皮肉なことに、イエスでの彼の最もスリリングで見事なパフォーマンスの一つは、1977年のアルバム『Going For The One(究極)』収録のパンク曲「Awaken(悟りの境地)」に残された。纐纈な楽曲に宿る勇敢な尊大さは、パンク精神そのものであった。
その4年前の1973年、ウェイクマンの演奏はかつてないほどの需要に達していた。イエスでの世界的な成功に加えて、彼はブラック・サバスというもうひとつの有名バンドの「Sabbra Cadabra」(『Sabbath Bloody Sabbath(邦題:血まみれの安息日)』収録)にも参加。
この曲では、華麗なシンセサイザーが、ファンキーなパブピアノの旋律と対比を成している。信頼のおけるレジェンドの話によると、ウェイクマンはこのセッションのギャランティーを断って、代わりにビールを選んだそうだ。
多作すぎるソロ・キャリア
同年。彼は、病的に多産なソロ・キャリア(今日までに100枚以上のアルバムを発表)を開始し、『The Six Wives Of Henry VIII』を発表した。これは後に彼の商業的成功のピークを築いた大げさで長いコンセプト・アルバム3部作の1枚目であった。
このアルバム収録の「Catherine Parr」は、ハモンド・オルガンとピアノとモーグのお手本で、その速さと腕前に耳を疑う。この見事なアルペジオだけでも、どれほどのスタミナと集中力が必要であるか考えてみるといい。ウェイクマンはその腕前を隠さない。
翌年発表の『Journey To The Centre Of The Earth』は、ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールでライヴ録音され、彼の唯一のナンバー1アルバムとなった。
そして彼がクリスタル・パレス・ボールで演奏をした後、心臓発作で倒れるという事件も起こった。ウェイクマンは病院での何週間もの回復期間を、「The Last Battle(最後の戦い)」の制作に費やした。この曲は、1975年リリースの次の彼のコンセプト・アルバム『The Myths And Legends Of King Arthur And The Knights of the Round Table(アーサー王と円卓の騎士たち)」に収録。そう、ウェイクマンがウェンブリー・アリーナのスケートリンクの上にステージを作って披露されたアルバムである。
このアルバムのハイライトの一曲、「Sir Lancelot And The Black Night(湖の騎士ラーンスロットと黒騎士)」は、後にJ・ディラが「Sum Epic Shit」でサンプリングした際に、脚光を浴びた(実際のところ、ウェイクマンの曲は、長年に渡ってデ・ラ・ソウルやL.L.クール・Jを始めとするアーティスト達のサンプル源として使われている)。
リックの3桁に及ぶカタログの内容を、1行にまとめようとするのは愚かな行為である。おそらく、ウェイクマンはキャリアの頂点を極めた後、礼儀を尽くして彼のファン層の隅々にまで届く曲を作ってきたと言った方が無難であろう。
1977年に本国でトップ30入りした『Criminal Record(罪なる舞踏)』収録の「Statue Of Justice(正義の女神)」は、強烈でダイナミックな複雑さを伴う激しい炎のようであり、1979年の『Rhapsodies』収録の「The Pulse」は、当時流行していたシンセ・ポップに対する冷ややかな回答であった。
ウェイクマンの演奏を控え目に愛し、ネオ・クラシカル・モードを理解する人々は、1993年の『Heritage Suite』収録の「The Peregrine Falcon」や、1994年、彼同様に優れた演奏家である息子のアダムとレコーディングした『Romance Of The Victorian Age』収録の「The Swans」に導かれた。
また、ポップ指向のスペース・ロックを熱望する人には、2003年の『Out There』収録の「The Mission」を聞いて欲しい。この曲でウェイクマンは、メロトロンと70年代の伴奏者であったイングリッシュ・ロック・アサンブルと再び組んでいる。
最高に価値ある作品として、2010年の『The Living Tree』は、かつての仲間であったイエスのヴォーカリスト、ジョン・アンダーソンを迎えてレコーディングされた。ロー・キーで、感動的で、愛情のこもった一枚だ。「Morning Star」や「Garden」といった曲は、日の陰りを優しく拒む、彼のキャリア後期のハイライトである。
Written By uDiscover Team
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