ジェネシスの20曲:輝かしき約50年の歴史
ジェネシスのキャリアを20曲のリストにするというのは、彼らの作品の量と質を考えると、考えただけでも尻込みしたくなる。われわれはその挑戦に挑んで、彼ら自身の“世代”から最近のリリースまで、60年代から現在までに及ぶこのバンドの自伝となる20曲を、厳選した。
最初の曲としてこれほどスタートに相応しい曲はないだろう。1968年に、デッカ・レコードから発表された彼らの初のシングル曲「The Silent Sun」である。このシングルに続き、同年秋にデビュー・アルバム『From Genesis To Revelation(邦題;創世記)』が発表された。この時点でのバンドは、ピアノ兼バック・ヴォーカルがトニー・バンクス、アコースティック・ギター兼バック・ヴォーカルがアンソニー・フィリップス、ベース兼バック・ヴォーカルがマイク・ラザフォード、ドラムがクリス・スチュワート、そしてリード・ヴォーカルが、ピーター・ガブリエルであった。
「The Silent Sun」から「The Knife」ほど、サウンド面で大きな前進をしたバンドは、他にはいないであろう。『Trespass(邦題;侵入)』に収録されたこの曲は、ファースト・シングルの2年後にレコーディングされた。この時には、ジョン・メイヒューが彼らの3人目のドラマーになっていたが、『Trespass』の発表後間もなく、フィル・コリンズが彼に取って代わった。
時代が変わり、音楽のモチーフと、楽曲と歌詞の複雑さの変化が、増加した彼らのファンの耳には明らかであった。彼らのライヴの定番曲となり、過激で強烈さの頂点を創出する曲となっていた。ピーター・ガブリエルが一度、この曲でステージからジャンプし、足首に怪我をしたほどである。
この事故は、1971年6月、アイルズべリーのフライアースでの公演で起こった。アンソニー・フィリップスに代わってバンドに加入したスティーヴ・ハケットによると、「誰も、それがショウの演出じゃないって気づかなかった。彼はフロアーに座ったままで、”なんで、誰も助けに来ないんだ?” って言ってた。最終的に、ミキシングをしていたリチャード・マックファイルが、何かがおかしいことに気づいた。ショウの終わりに、彼は激痛を堪えながら、ストイックにそこに座って救急車が来るのを待ってた。それから僕達は数回ギブスを着けて車椅子に乗った彼とギグをやった。驚きはなかったけど、やはりそれは上手く行かなかったね」。
1971年11月、『Nursery Cryme(邦題;怪奇骨董音楽箱)』が発表された。このアルバムのオープニング曲が「The Musical Box」だ。ピーター・ガブリエルによって書かれた歌詞で、田舎の家で暮らす二人の子供達の物語だ。シンシアという名の少女が、ヘンリーという少年の頭にクロッケーのマレットを叩き落として殺す。この曲のテーマはアルバムのアートワークをインスパイアし、その後20年間、彼らのライヴの定番曲となった。
『Nursery Cryme』の発表の11ヶ月後に、 『Foxtrot』がリリースされた。そして、このアルバムのオープニング曲もまたファンに大人気の曲となった。「Watcher In The Skies」という曲名は、ジョン・キーツの1817年の詩「On First Looking Into Chapman’s Home」の、「それから、私は誰かが天空で見張っているのを感じた。新たな惑星が彼の視界に入る時に」に由来する。トニー・バンクスのメロトロンがこの曲を強化しており、バンドのファン全員が大好きな曲だが、彼らの曲がどれほど魅力的で、どれほど感情を喚起するものかを提示した作品でもある。トニー・バンクスとマイク・ラザフォードの作詞で、1972年4月、ナポリのショウの前に彼らがインスパイアされて作られた。彼らは廃れた飛行場を見ながら、宇宙からエイリアンが空っぽになった地球を見たら、どんな風に見えるだろうと考えたのだ。
『Foxtrot』で最も重要な曲は「Supper’s Ready」で、われわれジェネシスの1977年のライヴ・アルバム『Seconds Out(邦題;魅惑のスーパーライヴ)』収録のヴァージョンを選んだ。何についての曲なのかと質問されて、ピーター・ガブリエルは、この曲は「聖書のヨハネの黙示録のシーンを歩いている場面で終わる、個人的な旅路だ……ということにしておく」と語った。ピーター・ガブリエルがバンドを脱退した後の、1977年の「The Wind & Wuthering」ツアーからのライヴ録音である。
『Foxtrot』の1年後、『Selling England By The Pound(邦題;月影の騎士)』が彼らの5枚目のスタジオ・アルバムになった。このアルバムには「I Know What I Like (In Your Wardrobe)」が収録されており、ジェネシスが始めてシングル・チャート入りする曲となった。アルバムの発表に先駆けてリリースされ、ゆっくりと火がついたために、1974年の4月に、遂にチャートの21位を記録した。この時点でのジェネシスはシングル・ヒットで知られるバンドではなかったが、この曲は彼らにそれが達成できることを証明し、ダンス・グループのパンズ・ピープルが、BBCのTV番組『トップ・オヴ・ザ・ポップス』でこの曲が流される際に踊っていた。
多くの人々にとって、『Selling England By The Pound』の中で特に優れている曲は、「Firth Of Fifth」であろう。トニー・バンクスのネオ・クラシカルなピアノのイントロと、スティーヴ・ハケットの見事なギター・ソロが美しく、プログレッシヴ・ロックの最高傑作のひとつだ。それに、この曲名はどうだ? スコットランドのファイフと、エジンバラと東路ロジアンを分ける川の名前をもじったユーモア溢れた名前である。その川は、The Firth of Forthと言う。
1974年発表の『The Lamb Lies Down On Broadway(邦題:眩惑のブロードウェイ)』は、ジェネシスのフロントマンにピーター・ガブリエルをフィーチャーした最後のアルバムとなった。アルバムの内容は、ニューヨーク市に住むプエルトリコ人のハーフの非行少年、ラエルが、弟のジョンを救出するために過酷な危険に立ち向かうという非現実的な物語を伝える強力なコンセプト・アルバムである。「The Carpet Crawlers」は非常に感動的な曲で、ピーター・ガブリエルが抜けた後も、ライヴでの重要な曲として残り続けている。
1976年の『A Trick of The Tail』は、フィル・コリンズをリード・ヴォーカルに据えた初の“ポスト・ガブリエル”・アルバムだ。しかし、ファンの間で評価が別れたこのアルバム収録の「Los Endos」をリストに入れない訳にはいかない。大半の部分はインストゥルメンタルで、強力なリフが詰まっており、彼らのライヴの中で大事なパートを構成する曲である。ファンの中にはそれ以前の楽曲をより好む人達もいたが、この曲は商業的にこのバンドの記念碑となった曲だ。トニー・バンクスは『A Trick Of The Tail』がその前のアルバムの2倍のセールスを達成したと語っている。
1976年の最後の週に発表された『Wind And Wuthering(邦題;静寂の嵐)』は、新たな傑作である。全米アルバム・チャートの上位30位に始めて入ったアルバムであり、シングル・チャートで62位を記録して、彼らのアメリカでの初のヒット・シングルとなった「Your Own Special Way」が収録されていた。これはマイク・ラザフォードの作曲で、ピュアなポップ感覚を伴う優れたロックのラヴ・ソングが見事に生み出されている。
全てのファンが、1978年のアルバムのタイトル『…And then There Were Three(邦題:そして3人が残った)』を知っている。このアルバムで、スティーヴ・ハケットがソロ・キャリアを追求するために脱退。バンドは古い作曲方法を脱出し、リスナー達が非常に気に入った独特の“サウンド”を有するアルバムを作った。そして、「Follow You, Follow Me」の成功に支えられて、イギリスのアルバム・チャートで3位を達成した。しかしながら、われわれが20曲のリストの11曲目に選んだ曲は、素晴らしい「The Lady Lies」だ。このアルバムの特徴を最も現している曲を選ぶとしたら、この曲だからだ。トニー・バンクスの作曲で、昔のジェネシスを感じさせながらも、新鮮でエキサイティングで新しいサウンドの曲になっている。トニー・バンクスは、キーボードの音を何重にも重ねて巨大なサウンドを作っており、フィル・コリンズのヴォーカルが、この曲を最高に魅力的にしている。
その2年後に、もう少しで全米チャートのトップ10入りを果たせたアルバム『Duke』が発表される。このアルバムは、全英のアルバム・チャートでは首位を達成した。シングル「Turn It On Again」が、イギリスで8位になったおかげだ。アメリカでも、MTVが放送を開始した日にこのシングルのミュージック・ビデオが流されたので、そこそこのヒットとなった。
全英1位のアルバムに続く作品は常に挑戦となるが、ジェネシスは『Abacab』で再び全英1位を達成した。アメリカでは、1981年の末に7位を達成し、初のトップ10入りアルバムとなった。アルバム・タイトル曲は、バンドの代表曲となっている。編集されたシングル・ヴァージョンはイギリスでは9位を記録、全米チャートではトップ30入りした。
1982年は、再びジェネシスのライヴ・アルバムが生まれた。『Three Sides Live』は、名前の通り3面の、主に1981年秋のツアーを収録したライヴ・アルバムで、それにスタジオ・レコーディングが一面、加えられていた。1981年11月に、ロング・アイランドのナッソー・コロシアムでレコーディングされた「Duchess」は、元々は『Duke』収録の曲である。
1984年1月、ジェネシスは遂に、アメリカのシングル・チャートで10位を達成した、彼らの1983年の傑作に収録された「That’s All」は、ザ・ビートルズ的な構成とサウンドの曲だ。最高の4人組の曲と同じように、この曲はキャッチーで、なぜアメリカのラジオで大ヒットしたかが良く分かる。イギリスでは、シングル・チャート16位止まりであった。1986年7月、ジェネシスはアルバム『Invisible Touch』のアルバム・タイトル曲で、全米1位を獲得。このシングル曲は、ピーター・ガブリエルの「Sledgehammer」に、1位を奪われることになった。
『Invisible Touch』から2曲選ぶとしたら? このアルバムからのセカンド・シングル「Throwing It All Away」を入れない訳にはいかない。全米シングル・チャートで4位になり、アルバムも3位を獲得し、アメリカで最も成功したジェネシスのアルバムとなった。「Throwing It All Away」には、素晴らしいフックが入っており、数が拡大されていく彼らのポップ・ロックの名曲の一つである。もしわれわれがプレイリストを21曲まで選べたら、「Tonight, Tonight, Tonight」も選んだことだろう。
1991年のアルバム『We Can’t Dance』に収録された「I Can’t Dance」は、再びアメリカでトップ10入りするヒット曲となり、イギリスではそれほどヒットしたシングルではなかったが、アルバムがチャートの首位を達成するのを助けた。その後6年間、新しいアルバムは発表されなかったが、次のアルバムはフィル・コリンズのいない作品となった。1997年の『Calling All Starions』はマイク・ラザフォードとトニー・バンクスと、元スティル・スキンのヴォーカリスト、レイ・ウィルソンをフィーチャーしたこのアルバムから、われわれは素晴らしい「The Diving Line」を選んだ。
2007年、フィル・コリンズが復帰したジェネシスは、再びツアーに戻った。6枚目のライヴ・アルバム『Live Over Europe 2007』が、このツアーの産物である。アルバム『Genesis』収録の「Mama」は、プレイリストから外せなかった。スタジオ・レコーディング・ヴァージョンが1983年に発表された時、イギリスではチャートの4位を記録し、彼らの本国で最も成功したシングルとなった曲だ。このライヴ・ヴァージョンのフィル・コリンズのヴォーカルは決定的で、情熱と驚異とシアトリカルな華やかさに満ちた曲になっている。
なんと素晴らしいバンドだろう。そして、なんという作品群だろう。20曲を厳選するのは難しく、この20曲のプレイリストに入れられなかった名曲は沢山ある。しかし、このプレイリストはジェネシスの自伝を伝えるものになっていると思う。そんなわけで、今度誰かになぜジェネシスはそんなに偉大なのかと聞かれたら、このプレイリストをかけて欲しい……大音量で。
1.The Silent Sun (First single) 1968
2. The Knife (Trespass) 1970
3. The Musical Box (Nursery Cryme) 1971
4. Watcher of the Skies (Foxtrot) 1972
5. I Know What I Like (In Your Wardrobe) (Selling England By The Pound) (1st UK hit single) 1973
6. Firth of Fifth (Selling England By The Pound) 1973
7. The Carpet Crawlers (The Lamb Lies Down On Broadway) 1974
8. Los Endos (A Trick of the Tail) 1976
9. Your Own Special Way (Wind & Wuthering) (1st US Hit single) 1977
10. Supper’s Ready (Seconds Out) 1977
11. The Lady Lies (And Then There Were Three) 1978
12. Turn It On Again (Duke) 1980
13. Abacab (Abacab) 1981
14. Duchess (Three Sides Live) 1982
15. That’s All (Genesis) (1st US top 10 single) 1983
16. Invisible Touch (Invisible touch) (Only US No.1 single) 1986
17. Throwing It All Away (Invisible Touch) 1986
18. I Can’t Dance (We Can’t Dance) 1991
19. The Dividing Line (Calling All Stations) 1997
20. Mama (Live Over Europe) 2007
Written By Richard Havers
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