ザ・ハートブレイカーズのフロントマン、トム・ペティが66歳で死去
非常に愛されていたザ・ハートブレイカーズのフロントマン、トム・ペティが66歳で亡くなった。彼は意識不明、呼吸も止まった心停止の状態で、10月1日(日)の夜にマリブの自宅で発見され、その後病院に搬送され、生命維持装置につながれた。
10月2日月曜日(日本時間10月3日)の昼には、多くのメディアが彼の死の誤報を流したが、後にその誤報はすべて撤回されている。しかし月曜の夜に彼の家族の広報担当者により、その死が確認され、彼の長年のマネージャー、トニー・ディミトリアデスが声明をFacebookに掲載した。死因は発表されていない。
トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの長年のマネージャー、トニー・ディミトリアデスは、「トム・ペティの家族を代表して、父親であり、夫であり、兄弟であり、リーダーであり、友人でもあったトム・ペティが突然亡くなったことお伝えしなくてはならないことに、打ちのめされています。彼は本日未明にマリブの自宅で心停止の状態で発見され、UCLAメディカル・センターに搬送されましたが、残念ながら、回復することはありませんでした。西海岸時間午後8時40分、彼は、家族や、バンド仲間、友人に囲まれて穏やかに息を引き取りました」と発表した。
トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズは、先週の月曜日に、3日間に及ぶハリウッド・ボウル公演で夏のツアーを終えたばかりだった。この伝説的なツアーは、バンドの40周年を祝うものであり、トム・ペティは、デビュー作に収録されている「Rockin’ Around (With You)」をオープニングにしたり、『Wildflowers』からの楽曲を演奏するなど、めったに演奏されない曲をプレイしていた。このツアーは彼の最後のワールド・ツアーとなる予定だった。
「ショックで、打ちのめされるニュースだ」と彼の長年の友人であり、トラヴェリング・ウィルベリーズのバンド・メンバーでもあるボブ・ディランは語った。「トムのことが大好きだよ。かれは素晴らしいパフォーマーで、光にあふれた人だ、そして友人だった。彼のことは絶対に忘れないよ」。
2006年に行われたアメリカのラジオ番組『Fresh Air』で、子供時代にフロリダで生活していた頃、「エド・サリヴァン・ショウでザ・ビートルズを見た瞬間」にバンドに入りたいと思ったと語っている。 彼は、始めての本格的なバンド、マッドクラッチに従事した後、1977年にトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズを結成した。1970年代後半には、トム・ペティが描く反逆者、追放者、難民たちのロマンティックな物語がポップ・チャートを上り始め、彼の生き生きとして心のこもった声は、ザ・ハートブレイカーズのぼんやりとしているが輝かしいロックン・ロールを完璧なものにした。
トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズは、1979年の『Damn The Torpedoes』や1991年の『Into The Great Wide Open』などでマルチ・プラチナム・ヒットを達成している。また、後に、トム・ペティは、スーパーグループであるトラヴェリング・ウィルベリーズ(トム・ペティのほかに、ボブ・ディラン、ジョージ・ハリスン、ロイ・オーソン、ジェフ・リンが参加)での成功を楽しみ、そして、1989年にリリースされた初のソロ・アルバム『Full Moon Fever』は「Free Fallin」、「I Won’t Back Down」、「Runnin’ Down A Dream」の連続ヒットを生み出し、全米アルバム・チャート最高位3位を達成した。彼の最新作は2014年に発売した『Hypnotic Eye』であり、全米初登場1位を獲得している。
トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズは、2002年にロックの殿堂入りし、一方、2005年12月にはロサンゼルスのMGMグランド・ガーデン・アリーナで、Billboard Century Award(このショウにおいてクリエイティブな偉業に対する最高賞)を受賞した。
彼の物語はまだ発展の途中だった。
トム・ペティの数々のアルバム発売中