カントリー界のレジェンド、トビー・キースが62歳で逝去。その功績を辿る
カントリー界のレジェンド、トビー・キース(Toby Keith)が2024年2月5日、62歳で逝去した。この訃報は彼の公式サイトを通して伝えられており、ニューヨーク・タイムズ紙によると、彼は、生涯を過ごした故郷オクラホマ州で亡くなったという。
2022年の夏、トビー・キースは胃がんと診断され、化学療法、放射線療法、手術による治療を受けていることを公表していた。
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その生涯
オクラホマ州クリントンで生まれ、中南部周辺で育ったトビー・キースは、幼い頃からホンキートンクへの情熱を持っていたが、家族を支えなければならないという現実が立ちはだかると、ミュージシャンへの夢を後回しにせざると得なかった。
1993年に30代で最初のレコード契約を結ぶまで、彼は若い家族を養うためにカウボーイとして、またオクラホマの油田やセミプロのフットボール選手として働く傍ら、友人たちと共に、イージー・マネー・バンドを結成し、地元のバーやライヴハウスで演奏していた。ナッシュビル中でデモ・テープを売り歩いていたある日、マーキュリー・レコードのハロルド・シェッドがそれを聴いて気に入ったことが転機となり、彼の人生は飛躍的な変化を迎えることになる。
1993年にリリースしたセルフ・タイトルのデビュー・アルバムからの先行シングル「Should’ve Been A Cowboy」は、米ビルボードのカントリー・チャートで1位を獲得しただけでなく、90年代で最もプレイされたカントリー・ソングとなった。この勢いに乗って、後続のシングル「He Ain’t Worth Missing」「A Little Less Talk and a Lot More Action」「Wish I Didn’t Know」もチャートを駆け上がった。
デビュー作での成功に続き、2作目『Boomtown』(1994年)、そしてソニー・ギャリッシュ、レジー・ヤング、ブレント・メイスンといったミュージシャンに支えられ、再びカントリー・チャートで首位を獲得した「Me Too」を収録した3作目『Blue Moon』(1996年)でも彼は見事周囲の期待に応え、商業的な成功を収めていく。
2000年代半ばに入り、自身のルーツであるホンキートンクから離れ始めた彼は、2006年に刺々しく辛辣な『White Trash With Money』を、翌年には『Big Dog Daddy』をリリース。
2009年発表の『American Ride』は、トビー・キースをカントリー界で最も独創的なアーティストのひとりにした、威勢の良さと優しさが絶妙にブレンドされた作品だ。
2015年には、スティール・ドラムのロバート・グリニッジ、シングル「Sailboat For Sale」にヴォーカル・ゲストとして参加したジミー・バフェットをはじめとする素晴らしいサイドメンを迎え、分厚いブラスとストリングスセクションをフィーチャーした『35 MPH Town』を発表。
2021年にリリースされた生前最後のフル・アルバム『Peso in My Pocket』は、ファンからも批評家からも高く評価され、音楽界で最も大きな影響力を持つシンガーのひとりに相応しい締めくくりとなった。
2023年のピープルズ・チョイス・カントリー・アワードで、ブレイク・シェルトンより“カントリー・アイコン賞”を授与された彼は、受賞スピーチの中で「スキニージーンズを履いた僕を見ることはないと思っていたでしょうね」とがん闘病による自身の減量について言及しつつ、「多くの人々が、この30年のような大きなキャリアを築こうと努力をしています。何よりも、自分たちにこの仕事を続けさせてくれているファンの皆さんに感謝したいです」と感謝の言葉を伝え、授賞式のステージで「Don’t Let the Old Man In」のパフォーマンスを披露した。
Written By Sam Armstrong
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