シン・リジィのアルバム・ジャケット解説:デザイナーが振り返る唯一無二のデザイン
カリスマ的存在であるフィル・ライノットがリード・シンガーを務めるシン・リジィ(Thin Lizzy)がそのキャリア初期に単なる写真素材をアルバム・カヴァーに採用していたことは少々不思議に思える。だがセールス面での成功を有望視されるようになると、彼らはジャケットのデザインを自ら監修するようになる(特にフィル・ライノットの意向が強く反映されていた)。
サード・アルバム『Vagabonds of the Western World』からはレコード・レーベル専属のデザイン・スタジオの手を離れ、信頼のおける友人で彼らと同じダブリン出身のイラストレーター、ジム・フィッツパトリックに仕事を任せるようになったのだ。
フィルとジム・フィッツパトリックはどちらも、マーベル・コミックの世界観やケルト神話、アイルランドの文学や詩、SFなどを愛好していた。ふたりはそうした作品への愛を込めて、基本のコンセプトから最終的なデザインまでを練り上げたのである。そして、ジム・フィッツパトリックはそうしたアイデアを見事に形にしてみせた。彼はロック・バンドのイメージを守りつつ、他とはまったく異なる唯一無二のデザインを生み出したのだ。
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1st album『Thin Lizzy』
シン・リジィがデッカ・レコードと契約を交わしたのは1970年12月1日のこと。彼らのデビュー・アルバム『Thin Lizzy』はそれから5ヶ月のうちにリリースされた。魚眼レンズを使用した魅力的なジャケット写真を撮影したのはデヴィッド・ウェッズベリー。彼はデッカに専属写真家として雇われた初めての人物だった。ほどなくしてレーベルのアート・デザインを担当するようになったウェッズベリーはその後、製作スタジオのマネージャーに就任。60年代にはポピュラー・カルチャーに多大な影響を与えたミュージシャンたちをレンズに収めたが、1998年に61歳で突如この世を去っている。
一方、ジャケット裏面の写真はジェニファー・エドワーズの撮影によるものとされている(クレジットはされていないがダブリン出身の写真家、ロイ・エズモンドが撮影した写真も使用されている)。デヴィッド・ウェッズベリーは自身が撮影した写真を集めた『As Years Go By – the 60s Revolution at British Decca (原題) 』の序文にこう綴っている。
「我々の部署による作品は、当時黎明期にあったポップ・フォトグラフィーの手法の確立に多大な影響を与えた」
2nd album『Shades Of A Blue Orphanage』
想像力を喚起されるセピア色の写真に写っているのは、靴も家もない3人の子どもたちだ(もともとはポール・マーティンが撮影した「Street Urchins At Lambeth /ランベスの街の浮浪児」という題名の写真)。
これが暗に表しているのはもちろん、ヴォーカルのフィル・ライノット、ギターのエリック・ベル、ドラムのブライアン・ダウニーという3人のメンバーだ。他方、シン・リジィの同セカンド・アルバムのタイトルは、フィルとOrphanageとエリックのShades of Blueという二人が以前所属していたバンド名を組み合わせたものである。
このアルバム・ジャケットの素朴さは、一部の収録曲の内容にも反映されている。「Sarah」(フィルはその後にも同名の別の楽曲を書いている)は、ライノットがダブリンに住む祖母に捧げた1曲。フィルは少年時代のほとんどを祖母の家で過ごしたという。
それに対し、アルバム表題曲の歌詞にある「the boys posed, standing in St. Stephen’s Green / 男たちはセント・スティーブンス・グリーンで気取った素ぶりを見せた」という一節は、ジャケット裏面の写真をそのまま言い表す。ダブリン出身の写真家であるロイ・エズモンドが撮影したその写真には、その歌詞通りのメンバーたちの姿が映し出されているのだ。
3rd album『Vagabonds Of The Western World (西洋無頼)』
フィル・ライノットがダブリン出身の芸術家、ジム・フィッツパトリックと出会ったのは、ダブリンの中心街にあるニアリーズというパブでのこと。ふたりを引き合わせたのは、ライノットの友人でシン・リジィのツアー・マネージャーを務めていたフランク・マレーだった(彼はのちにポーグスのマネージャーに就任)。フィッツパトリックは次のように回想している。
「フィルと俺はふたりとも、アメリカン・コミックや詩、アイルランドや、この国にまつわるすべてが好きだった。それに、父のいない家庭で育った境遇も同じだったんだ」
フィル・ライノットからバンドのサード・アルバムのジャケット・デザインを依頼されたフィッツパトリックは、シン・リジィのロゴ制作に着手。その際、同じくアイルランド人のイラストレーターで、ドクター・ストレンジリー・ストレンジのメンバーだったティム・ブースの原案を基にしたのだという(フィッツパトリックは「俺は少しツヤを加えただけだよ」と話している)。
また、フィッツパトリックはそこにマーベル・コミックやケルト文様の要素 (後者で特に顕著なのは、陸・海・空や過去・現在・未来という3つの領域の象徴である3つの螺旋模様だ)を目立つように織り交ぜた。フィッツパトリックはこう語る。
「シン・リジィのアートワークを作ったのはあれが初めてだったけど、俺がデザインした彼らのジャケットの中で一番奇抜だったと思う」
4th album『Nightlife』
ジム・フィッツパトリックがシン・リジィに提供した2番目のアルバム・ジャケットは、彼曰く「少し変わったもの」だった。同作はグループの代名詞といえるツイン・ギター体制への過渡期にあたるアルバムだが、ジャケットにおいては、タイトルの字体からしてイエスのジャケットを手掛けたロジャー・ディーンの影響が見て取れる。
他方、マーベル・コミックの作画家だったジム・ステランコやジャック・カービーの作品からの影響も受けているという。フィッツパトリックもフィル・ライノットも、ふたりの熱烈なファンだったのである。フィッツパトリックはこう話す。
「フィルの頭の中には彼自身が求める明確なビジョンがあった。つまり、陰鬱なムードが漂う、不吉とも取れるようなジャケットさ」
彼によれば、このジャケットには政治的なメッセージも隠されていたというが、ふたりはそれを他には明かさなかった。ジャケットで一番目立つ臨戦態勢をとる黒豹についてフィッツパトリックこう語っている。
「偉大なアフリカ系アメリカ人たちへの俺たちの無言のトリビュートだった。マーティン・ルーサー・キング、マルコムX、トミー・スミス、ジョン・カーロス、そしてブラック・パワー運動やブラック・パンサー党に関わった人たちに捧げたのさ。これをレコード会社に説明しようとすれば大変だっただろうね!」
6th album『Jailbreak (脱獄)』
シン・リジィのアルバム・ジャケットをジム・フィッツパトリックが手がけたのはこれが3作目。この頃になると彼は、フィル・ライノットがジャケットのデザインに抱く野心的な構想を完璧に理解できるようになっていた。
彼らはそれまで通り緊密に協力して作業を進めたが、同作ではメタリックで機械的なツヤのあるデザインと、マーベル・コミックからの色濃い影響が大きな特徴となった。また、ここにはH・G・ウェルズの『宇宙戦争』からの影響も垣間見える(偶然にもライノットは、1978年のロック・オペラ版『宇宙戦争』に参加している)。フィッツパトリックはこう回想している
「そういった要素を盛り込んでほしいというフィルの要望に合わせて出来たのが、このアートワークだよ」
さらに、ふたりは架空の勇士(The Warrior)の物語を考案。オリジナル盤のインナー・スリーヴにはこのコンセプトの概略が記されたほか、アルバム収録曲「Warriors(勇士)」もこの物語に沿った楽曲であり、曲では「Losers or conquerors, all flash past on my silver screen / 敗者や征服者、そのすべてが俺の脳裏に蘇る」と歌われる。
「このアイデアを盛り込んだ上で全体がうまくまとまるように、素案を検討し直したんだ。ここには、これまた俺たちが大好きだったアメリカ人漫画家のニール・アダムスからの影響が散りばめられている。俺は銀色の使い方が気に入っていたけど、印刷に余計な手間がかかるのでモメる可能性があった。だけどレコード会社も興味を示してくれて、実現することになったんだ」
7th album『Johnny The Fox (サギ師ジョニー)』
ジム・フィッツパトリックが「一番ぶっ飛んだデザイン」と表現するのは、彼にとって4作目となったシン・リジィのスタジオ・アルバムである(バンドにとっては通算7作目)。
想像力の赴くままに周囲を飾りつけたフィッツパトリックは、もともとのデザインでは中心に勇士のような人物が配されていたと明かしている。だが最終的には、アルバムのタイトルを直接的に表現したイラストに変更したのだという。一時はキツネ(Fox)の頭が突き出て絵から切れているデザインを検討していたというが、結局は『Nightlife』の中心に描かれた黒豹に近い構図が採用された。
フィッツパトリックによれば、これは「アウトサイダーのイメージを表現」しており、彼とフィルはそのアイデアを気に入っていたという。手の込んだ縁飾りは、ケルト文様を再解釈したような金属的な質感のデザイン。これを描くのには相当な時間がかかったようだが、フィルは“とてもアイルランドらしく、ケルトらしい”ものを求めていた。それでいて彼は、これ見よがしで気取ったアイルランド的要素が入るのは嫌がったという。フィッツパトリックはこう語る。
「それを形にするためケルトの組紐文様をこれでもかと盛り込んだけど、残りの縁飾りはもはや狂気の沙汰だよ。でもとにかく制作が楽しかった!」
8th album『Bad Reputation (バッド・レピュテイション〜悪名)』
こちらはメンバー3人(ブライアン・ダウニー、スコット・ゴーハム、フィル・ライノット)の写真を使用したことで、図らずも1972年の『Shades Of A Blue Orphanage』に似たデザインとなった。
一箇所にだけ色をつけた白黒のジャケットは、ロジャー・クーパーとリンダ・サットンのふたりが設立したデザイン会社のサットン・クーパーが手がけたもの。ロジャー・クーパーは次のように回想する。
「シン・リジィのマネージャーだったクリス・オドネルからは、スコット、ブライアン、フィルの3人の写真だけを使ったジャケットを試してみたいと説明された。最終的なデザインは“必要は発明の母”という言葉が当てはまるような状況から生まれたものだった。3人のバンド・メンバーが一緒に写っている丁度いい写真がなくて、使い古されたライン・リダクションの技法を試すことにしたんだ。今ではフォトショップなんかで簡単にできるだろうけど、70年代にはうまく仕上げるのが難しかった。バンド名とアルバム名には、Stencilというパンチの効いた書体を使用した。機材用のツアー・ケースによく使われているやつさ」
Live album『Live And Dangerous』
『Live And Dangerous』はロック界を代表するライヴ・アルバムとして現在でも大きな評価を得ている。後から一部にスタジオでの加工(プロデューサーのトニー・ヴィスコンティによる様々なオーバーダビングなど)も施されたようだが、リリース以来、アルバムは確固たる地位を保っている。
バンド名とアルバム名のフォントに関してロジャー・クーパーはこう話す。
「ここでもStencilの書体を使ったんだ。『Bad Reputation』との継続性を持たせるためにね」
一方、象徴的なジャケット写真は、サン・アントニオのムニシパル・オーディトリアムで1977年10月11日の公演に行われたシン・リジィのライヴにてチョーキー・デイヴィスが撮影したものだ。デイヴィス本人はこう話す。
「そこにはすごく丁度いいオーケストラ・ピットがあって、普通のものより位置が少し低かった。ザ・フーのピート・タウンゼントがよくやっていたステージ・パフォーマンスがあっただろう。膝をついて前に滑るやつさ。フィルはピットの中にいる俺を見ると、こちらの方に滑ってきた。そこでシャッターを切ったのが、あのジャケット写真だ。彼の膝は本当に目の前まで来ていたよ!」
9th album『Black Rose: A Rock Legend』
複数のパートから成る表題曲然り、『Black Rose: A Rock Legend』のジャケットにはアイルランドの詩 (特に、ジェイムズ・クラレンス・マンガンの“Dark Rosaleen”)に対するライノットの愛がそのまま反映されている。
ゲール語の「Roísín Dubh / 黒いバラ」を訳してタイトルとした同作のジャケットについて、フィッツパトリックはこう話す。
「フィルからの要望は文字通り、黒いバラを描いて欲しいというものだった。俺は単なるバラ以上のものを描きたかったから、制作は決して簡単ではなかった」
そこでヒントになったのが、アイルランド人作家で革命家でもあったジョセフ・メアリー・プランケットの「I See His Blood Upon The Rose」という詩だった。そこから着想を得て、彼はこのジャケットの大きな特徴であ“花びらに滴る血”を付け足したのだ。フィッツパトリックはこう振り返る。
「フィルは完成したデザインを見て興奮していた。彼から電話があったんだ。“なんてこった!ジム、きみは俺のことをよく分かっている!想像を超える出来栄えだよ!”ってね」
10th album『Chinatown』
フィッツパトリックにとって最後となったシン・リジィのアルバム・ジャケットは彼曰く「自分が制作した彼らのジャケットの中でも特に手の込んだものになった」という。そのデザインがアルバム表題曲をイメージしていることは明白だが、そこには一部のメンバーによるドラッグ依存への暗示も読み取れる。フィッツパトリックはこう話す。
「完成したアートワークを持ってロンドンへ飛んで、フィルとスコットに見てもらったときのことは忘れられない。フィルはパワフルなデザインに満足して嬉しそうだった。スコットは細部を隅々までまじまじと眺めて、“おいおい、ジム。龍のウロコまで一枚一枚描いたのかよ”って言ってくれた。彼らの反応が嬉しかったし、俺自身も最終的なデザインに満足していた。レコード会社もかなり尽力してくれたよ」
Written By Tony Clayton-Lea
シン・リジィ『Live And Dangerous』
スーパー・デラックス・エディション
2023年1月20日発売
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シン・リジィ『Life』リマスター版
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