テレヴィジョンのトム・ヴァーレインが逝去。その功績を辿る
パンクやポストパンクを語る上で欠かせないバンド、テレヴィジョン(Television)のトム・ヴァーレイン(Tom Verlaine)が、2023年1月28日に逝去した。73歳だった。
トム・ヴァーレインの死は、彼の仲間で元パートナーのパティ・スミスの娘であるジェシー・パリス・スミスによってニューヨーク・タイムズ紙にて公表された。彼女は、彼が短い病気の後に亡くなったことを伝えている。
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テレヴィジョンの結成
トム・ヴァーレインは、1966年にザ・ローリング・ストーンズのヒット曲「19th Nervous Breakdown」を聴いて、初めてギターに夢中になった。その後まもなく、フランスの象徴詩人ポール・ヴェルレーヌに敬意を表して、芸名をトム・ヴェルレーヌとして活動を始めた。
音楽と詩への情熱を共有した高校時代の友人、リチャード・ヘルと別々にニューヨークに移り住み、1972年にギター/ヴォーカルのトム、ベース/ヴォーカルのリチャード、ドラムのビリー・フィッカからなるグループ、ネオン・ボーイズ(The Neon Boys)を結成。このグループは長くは続かず、1973年に解散するも、その1年後にリチャード・ロイドをギタリストに加え、テレヴィジョンとして活動を開始した。最初のライブは1974年3月だった。
詩人でミュージシャンのパティ・スミスと交際していたこともあるトム・ヴァーレインは、パンク・ミュージック発祥の地であるニューヨークのCBGBでシーンの中心人物となった。テレヴィジョンはこの会場で安定した人気バンドとなり、パンクやロックを見事に解釈してステージを照らしていた。
テレヴィジョンは1977年の『Marquee Moon』、1978年の『Adventure』という2枚のアルバムを発表。批評家筋では賞賛されたものの、セールス面では成功は納められなかった。現在では前者『Marquee Moon』は、史上最高のロック・アルバムのひとつと広く認められている。
バンドは1978年に解散。1992年に再結成を果たしてサード・アルバム『Television』をリリースし、翌年再度解散するも、2001年に再々結成して後は散発的にライブを行っていた。
トム・ヴァーレイン自身はソロ活動も行い、1979年から1992年までに7枚のソロアルバムを発表。その後14年間レコーディングから遠ざかっていたが、2006年に久しぶりとなるソロ・アルバム『Songs and Other Things』とインストゥルメンタル・プロジェクト『Around』で復帰。この2作はシカゴのインディーズ・レーベル、Thrill Jockeyから同時リリースされた。
『Marquee Moon』への批評
ピッチフォーク誌の評論家クリス・ダーレンは、バンドの代表作『Marquee Moon』について2003年に書いたレビューにて、このアルバムの見事なギターワークについて次のように考察している。
「しかし、このレコードをクラシックな存在にたらしめているもの、きれいな空気を吸い込むようにあなたの血液を刺激するもの、それはギターだ。このレコードは全体が彼らギタリストへのラブレターだ。この2つの不可欠なリードのコントラストは見事といえる。リチャード・ロイドは激しく音を刻み、トム・ヴァーレインは繊細で鋭く、宇宙を見つめるようなで錯乱させるサウンドを奏でている」
「彼らは重厚でキメ細やかで、鐘の音のようで、発情していて、激流のようなラインを奏でる。あのリフ、あのソロ、稀なパワーコード、そして何よりもあのパワー・ノートだ。“Venus”のリフの2番目の音はバーベルのように着地する。“See No Evil”の最初の小節は、一方の軸が大空を荒らし、他方はその周りにカミソリワイヤーを螺旋状に巻き付けている」
Written By Sam Armstrong
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