スティーヴ・アルビニ、カート・コバーンとの出会いやニルヴァーナ『In Utero』の制作を語る
伝説的プロデューサーのスティーヴ・アルビニ(Steve Albini)が、シカゴにある彼のスタジオ“Electrical Audio”でNMEの取材に応じ、ニルヴァーナ(Nirvana)が1993年に発表したラスト・アルバム『In Utero』でのバンドとの仕事を振り返っている。
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彼は、ニルヴァーナの後世に語り継がれる革新的アルバム『Nevermind』に続く作品となった『In Utero』のレコーディングについてこう語っている。
「セッションについて、普通でないことは何もなかったよ。つまり、彼らが非常に有名になっていたことを除けば、だ。ファンで溢れかえらないようにするために、できる限りのことをしなければならなかったし、無意味なこともあった。それが唯一、いつもとは違うことだったね」
どうやってスタジオを予約したのか?
さらに、彼とバンドは、『Nevermind』の成功を受けて、“人々が搾取的にならないような場所で”アルバムの制作に取り組むために、ミネアポリスから50マイル(約80キロ)ほど離れたスタジオでアルバムがレコーディングされたことを明かした。
「バンドを社会的に知っている人たちからは十分に離れていたし、毎日テレビ局のクルーが表をうろついていたり、麻薬の売人が商売をしようとしたりすることもない。ただ我々は、噂が広まらないようにしなければならなかったんだ。そのスタジオは独立系のスタジオで、働いている人も少人数だった。彼らに秘密を託したくなかったので、私の名義で“サイモン・リッチー・バンド”という偽のバンド名でスタジオを予約したんだ。(サイモン・リッチーは)もちろん、シド・ヴィシャスの本名なんだけどね。レコーディング開始前日に運送会社から機材を詰んだラック・ケースが届き始めるまでは、誰もそのことを知らなかった。ケースの側面にはスプレーで“ニルヴァーナ”と描かれていたんだけど、その時まで、スタジオのオーナーでさえ、ニルヴァーナがそこでレコーディングすることを知らなかったんだ」
カートとの初めての出会い
スティーヴ・アルビニはまた、このセッションの数年前にカート・コバーンとの初めて出会った時のエピソードを次のように振り返っている。
「“In Utero”のセッションの数年前に、私のバンド“Big Black”が解散ツアーをやったんだけど、その最終公演の会場がシアトルにある工業用スペースのような場所だった。妙な建物で、そこには仮設ステージがあった。ライヴはすごく盛り上がって、最後は機材を全部壊してしまったんだ。終演後にある少年がステージから壊れたギターの破片をもらっていいかと訊いてきて、私は“どうぞ、今はもうゴミだよ”と言ったのを鮮明に覚えているよ。それから何年も経って、ミネソタのスタジオでバンドと“In Utero”の制作していた時、カートが保管していたそのギターの小さな破片を見せてくれたんだ。彼は長い間それを持っていたんだ。彼がその時の少年だったんだよ」
Written By Sam Armstrong
ニルヴァーナ『In Utero』
1993年9月21日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify
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