ニルヴァーナらを手掛けた名エンジニアのスティーヴ・アルビニが61歳で逝去。その功績を辿る

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Photo: Mariano Regidor/Redferns

インディ・ロックの名盤の数々を手掛けたエンジニアで、アンダーグラウンドなロック・グループのフロントマンとしても活動していたスティーヴ・アルビニ(Steve Albini)が、心臓発作のため2024年5月7日に61歳で逝去した。彼の死は、彼のスタジオElectric Audioのスタッフによって伝えられた。

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スティーヴ・アルビニは、ニルヴァーナの『In Utero』、ザ・ブリーダーズの『Pod』、ピクシーズの『Surfer Rosa』、PJ ハーヴェイの『Rid of Me』、ロウの『Things We Lost in the Fire』など、驚くほど多くの長く愛されるロックの名盤を手掛けてきた。

彼はまた、1996年のブッシュのアルバム『Razorblade Suitcase』のプロデュースも手掛けており、フロントマンのギャヴィン・ロスデイルは「僕にとって彼はアンダーグラウンドのキングだった」と回想している。

スティーヴ・アルビニはまた、10年ぶりのアルバム『To All Trains』を来週リリースする予定だったロックバンド、シェラックのフロントマンでもあり、彼らはツアーの準備の真っ最中だった。

 

その生涯

カリフォルニア州パサディナで生まれ、少年時代に足の骨折からのリハビリ中にベースを弾き始めたスティーヴ・アルビニは、ラモーンズ、セックス・ピストルズ、ペル・ウブ、ディーヴォといったバンドに影響を受けて育ち、高校時代からバンド活動をスタートさせた。その後、ノースウェスタン大学でジャーナリズムの学位を取得した彼は、地元のジンでシカゴのパンク・ロック・シーンの記事を書くようになる。

時を同じくして、彼は自身のDIYバンド、ビッグ・ブラックの最初のEPをレコーディングし、レコーディング・エンジニアとしてのキャリアをスタートさせた。彼はしばしば、自分の仕事はレコーディングであって、バンドのサウンドを形作ることではないと考えていたため、“プロデューサー”よりも“エンジニア”の肩書を好むと語っていた。

また、アーティストの作品から無期限に利益を得ることは非倫理的だと考えていた彼は、自身がエンジニアを務めたレコードに対して、印税の代わりに一律のギャラを受け取っていた。

スティーヴ・アルビニは音楽界で名声を得るにつれて、挑発的な発言や攻撃的な態度でも知られるようになった。近年、彼は自身の過去について後悔の念を表明し、「自己満足と特権による無知な立場から言ったこと、やったことの多くは明らかにひどいもので、後悔している」と自身のツイッターに書いている。

そんな中でも、スティーヴ・アルビニの音楽への愛は変わらなかった。彼は2023年に行われたWEBメディア“Fevers of the Mind”のインタビューでこう語っていた。

「音楽と私の本質的な関係は、私が音楽のファンであるということだ。それ以外のすべては、それに由来し、音楽に打ちのめされる日々の中でも、私はまだ驚きと喜びを見つけることができ、またバンドでギターを弾きたいと思っているよ」

Written By Hannah Zwick



 

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