カルト的人気を誇るファンク・ロックのパイオニア、ベティ・デイヴィスが逝去。その功績を辿る
1970年代に発表した3作のアルバムがソウル、ファンク・ファンの間でカルト的人気を誇る歌手のベティ・デイヴィス(Betty Davis)が2022年2月9日に77歳で逝去した。妥協のないパフォーマーだった彼女は、マイルス・デイヴィスの2人目の妻としても知られている。
ベティ・デイヴィスの音楽キャリアは非常に短いものだったが、1973年から1975年にかけて制作した3作のアルバムを中心に、確固たるレガシーと多くのファンを残している。
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1944年7月26日、ノースカロライナ州ダーラムに生まれた彼女は、10代半ばでニューヨークへと渡り、ファッション工科大学で学びながらグリニッジビレッジの文化に浸し、後にジミ・ヘンドリックスやスライ・ストーンといった有望な同世代の仲間たちと出会うことになる。
1963年、ベティ・デイヴィスは、彼女のキャリアに多大な影響を与えたルー・コートニーによるプロデュースのもと自主制作した最初のシングル「The Cellar」をリリースし、その翌年には、DCPインターナショナルから本名であるベティ・メイブリー名義で「Get Ready for Betty」を発表する。
ソングライターとしての成功
サイケデリック・ソウル・バンド、チェンバース・ブラザーズの大ヒット曲「Time Has Come Today」を収録した1967年のアルバム『The Time Has Come』には、ファンキーにアレンジされた彼女の楽曲「Uptown」も収録され、ソングライターとして一躍脚光を浴びた。1968年には、当時恋愛関係にあったヒュー・マセケラが、コロンビアからリリースしたシングル「It’s My Life /Live, Love, Learn」のアレンジも担当している。
マイルス・デイヴィスとの交際はその直後から始まり、1968年の彼のアルバム『Filles de Kilimanjaro』のジャケットを飾った。 しかし、彼女への虐待疑惑の中、2人の結婚生活は短命に終わり、当時結ぼうとしていたレコード契約も成立には至らなかった。
後年高く評価された3作のアルバム
1973年、彼女は待望のファースト・アルバム『Betty Davis』をジャスト・サンシャイン・レコードから発表。スライ&ザ・ファミリーストーンのドラマー、グレッグ・エリコがプロデュースを手掛けた今作には、元バンドメイトのラリー・グラハムやニール・ショーン(元サンタナのギタリストで、その後ジャーニーを結成)に加え、バック・ヴォーカルとしてポインター・シスターズや無名だった頃のシルヴェスターも参加している。ピッチフォークは、後にこのアルバムを「女性的な視点ではあるが、スライやファンカデリックの絶頂期を思わせるソウル、セックス、ハードロックを融合させた画期的なファンクの名盤」と評している。
後年、高く評価されることになる同アルバムは、リリース当時の米ビルボードR&Bチャートでは54位と振るわず、ソウル・チャートでマイナー・ヒットを記録したシングル「If I’m In Luck I Might Get Picked Up」を生むに留まった。その挑発的すぎるパフォーマンス・スタイルにより、テレビ局の幹部が彼女のブッキングに消極的だったことが、これらの作品やその後のリリースの弊害となったと言われている。
1974年にジャスト・サンシャイン・レコードから発表したセルフ・プロデュースのセカンド・アルバム『They Say I’m Different』も同様の運命を辿ったが、R&Bチャートで54位留まりとなった今作は、後にウェブメディアThe Wireによる“世界を熱狂させた知られざる名盤100枚”に選出されている。
再びセルフ・プロデュースで、1975年にアイランド・レコードから発表し、またもや全米R&Bチャート54位に終わった3作目のアルバム『Nasty Girl』には、偉大なジャズ・オーケストラ奏者、ギル・エヴァンスが指揮とアレンジを担当した「You and I」や全米R&Bチャートで下位に食い込んだ「Shut Off The Light」が収録されている。
1976年にアイランド・レコードからリリース予定だった次なるアルバムは見送られ、2009年に、過去3作のアルバムを再発したLight In The Atticから初めてリリースされた。1979年のレコーディング・セッションは実を結ばず、ベティ・デイヴィスは事実上音楽活動から引退して、ピッツバーグへと移住する。ニューヨーカー誌によると、「“今まで何をしていたか”というインタビュアーからの質問に、彼女は“ただ生きていた”とか“特に何もしていなかった”と答えた」という。
2016年には、マイルス・デイヴィスとベティ・デイヴィスが結婚期間中にスタジオ入りして制作された幻の音源『The Columbia Years』がリリースされ、翌年にはロンドンを拠点に活動するフィル・コックスが監督したドキュメンタリー映画『Betty: They Say I’m Different』が公開。また、2019年には、ダニエル・マッジオによって録音されたベティ・デイヴィスの数十年ぶりの新曲「A Little Bit Hot Tonight」が、Bandcampでリリースされ、現在も入手可能となっている。
2018年、エミリー・ローディはニューヨーカー誌で彼女の功績について次のように記している。
「多くの妥協なきクリエイティヴな女性たちと同様に、ファンク・ロックの歌姫ベティ・デイヴィスはしばしばパイオニアと呼ばれている。この言葉はもちろん、彼女が後のアーティストに道を開いたという意味で、そのレガシーを定義する彼女への賛辞である」
Written By Paul Sexton
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