ザ・バンドを指導したカナダ・ロック界の重要人物、ロニー・ホーキンスが逝去。その功績を辿る
ザ・バンド(The Band)の指導者として知られ、ボブ・ディラン、デュアン・オールマンらと活動を共にした、カナダ・ロック界の重要人物、ロニー・ホーキンス(Ronnie Hawkins)が2022年5月29日、長い闘病生活の末、87歳で逝去した。60年連れ添った妻のワンダはこう述べている。
「彼は安らかに息を引き取り、相変わらずハンサムでした」
ザ・バンドの元メンバー、ロビー・ロバートソンは、こう哀悼の意を表している。
「“ザ・ホーク”が夕陽に向かって飛んで去ったと聞き、私の心は沈んでしまいました。ザ・バンドの物語はロニー・ホーキンスから始まりました。彼は我々の師であり、私たちにツアーのルールを教えてくれました」
「ロンは自分のグループに常に一流のプレイヤーがいることを誇りにしていました。ザ・ホークスで彼のドラマーだったリヴォン・ヘルムと私は、ロンに、ベースとヴォーカルにリック・ダンコ、ピアノとヴォーカルにリチャード・マニュエル、オルガンとサックスにガース・ハドソンを雇うように説得しました。そこにリヴォンと私が加わり、魅力的な組み合わせになったのです。ロニーはゴッドファーザーでした。すべてを実現させた人物です。彼は偉大なアーティストであり、素晴らしいパフォーマー、バンドリーダーであっただけでなく、人並はずれたユーモアの持ち主でもありました」
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その生涯
“ザ・ホーク”の愛称で親しまれたロニー・ホーキンスは、1935年1月10日にアラバマ州ハンツビルで生まれ、10代でロカビリーの歌手、ソングライターとしての地位を確立。1952年にザ・ホークスを結成し、1958年にカナダのオンタリオ州に活動の拠点を移すと、その翌年にルーレット・レコードと契約し、チャック・ベリーの「Thirty Days」をアレンジした「Forty Days」で全米シングル・チャート(Billboard Hot 100)入りを果たす。
その後もザ・ホークスは、全米TOP30入りを果たした「Mary Lou」、1959年の「Oh Sugar」「Ruby Baby」、1963年の「Bo Diddley」、そしてロイ・ブキャナンをフィーチャーした「Who Do You Love」などの楽曲で知られるようになった。彼はまた、有名な“キャメル・ウォーク”(1960年代に人気を博したダンス)など、騒々しいステージングでも知られていた。
一方で、彼がザ・ホークスのメンバーとして、ロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、ガース・ハドソン、リチャード・マニュエル、リヴォン・ヘルムらを一人ずつ採用し、指導したことが、後に彼らがボブ・ディランのエレクトリック・バンドとなるきっかけをつくり、1967年にザ・バンドを結成した彼らは、アメリカーナと呼ばれる音楽界に多大な影響を与える存在となる。
マーティン・スコセッシが監督した映画『ラスト・ワルツ』(原題:The Last Waltz)は、1976年に行われたザ・バンドの有名な解散コンサートを収めた作品でもロニー・ホーキンスは演奏。また、1978年にボブ・ディランが監督・主演を務めた映画『レナルド&クララ』(原題:Renaldo and Clara)ではロニーはボブ・ディラン役を演じている。
その後もロニーは、クロウバー、ベアフット、ロビー・レーン&ザ・ディサイプルズといったカナダ出身のグループや、ジャニス・ジョプリンが亡くなるまで彼女のバックバンド務めたジョン・ティルが率いるザ・フル・ティルト・ブギー・バンドなどをサポート。また、カナダのロック・ギタリスト、パット・トラヴァースを早くから支持していた。
ソロ・アーティストとしても、1970年にコティリオン・レコードからリリースした「Down In The Alley」で再び全米シングル・チャート入りを果たし、1982年には、カナダで最も権威ある音楽賞<ジュノー賞>の“最優秀男性カントリー・アーティスト賞”を受賞するなど数々の名誉に輝いている。
Written By Paul Sexton
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