クイーンのデビュー盤がデラックス盤で発売。バンド初の新ミックス&当時出したかった形で発売

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クイーン史における重要な第一章を飾った1973年のデビュー・アルバム『Queen』改め『Queen I』(戦慄の王女(クイーンI))が、発表から半世紀以上を経て、この度ジャスティン・シャーリー=スミス、ジョシュア・J・マクレー、クリス・フレドリクソンの手によりリミックス及び修復を施され、バンド自身が長年望んでいたサウンドに生まれ変わった。

さらに、新たなトラックリストや、別テイク、デモ、ライヴ・トラック等が追加され、この重要作品の究極の完全版が完成。クイーンのアルバムが新たにステレオ・ミックスし直されるのは、本作が初となっている。

日本では、輸入国内仕様のコレクターズ・エディション(6SHM-CD+LP)、デラックス・エディション(2SHM-CD)、通常盤(1SHM-CD)の3形態で発売される。予約はこちら

また、この発売に先行して、9月13日22時から「The Night Comes Down」のミュージック・ビデオがYouTubeで公開されることも決定した。

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デビュー・アルバム全体を再構築した、全く新しい2024年版

6CD + 1LPから成るボックス・セットには、43曲の新ミックスが追加され、全63曲を収録。アルバム本編では、発表当時に元々予定されていたトラックリストが復元されている。また、スタジオ内でのメンバー達の親密な様子をありのままに捉えた音源や、デモ、レアなライヴ音源、さらに1970年8月にロンドンで行われたクイーン初のライヴ・パフォーマンスの未発表音源も収録。1973年のリリース時にはオリジナル・アルバムに収録されていなかった「Mad The Swine」が、本来予定されていた曲順通りに復活を果たした。また、手書きの歌詞や本作に関わる貴重な資料が収められた、全108ページのブックが付属している。

コレクターズ・エディションに封入されたライナーノーツでブライアン・メイはこう記している。

「本作は単なるリマスターではない。これは、クイーンのデビュー・アルバム全体を再構築した、全く新しい2024年版だ。そして後知恵のご利益として、今回これを『Queen I』と改名することにした」

「演奏と歌は全て1973年の発表当初と全く同じままだけれども、全楽器で、当時僕らが目指していた“ライヴ”感のあるアンビエントなサウンドを再現するため、再検討を行った。その結果、本来そうあるべきだったサウンドを放つ『Queen I』が、現代の知識と技術を駆使して – 初めて – 誕生したというわけだ」

「2024年版『Queen I』こそ、僕らがずっと皆さんにお届けしたいと夢見ていたデビュー・アルバムなんだ」

6CD + 1LPから成るボックス・セットには、43曲の新ミックスが追加され、全63曲を収録。アルバム本編では、発表当時に元々予定されていたトラックリストが復元されている。また、スタジオ内でのメンバー達の親密な様子をありのままに捉えた音源や、デモ、レアなライヴ音源、さらに1970年8月にロンドンで行われたクイーン初のライヴ・パフォーマンスの未発表音源も収録。1973年のリリース時にはオリジナル・アルバムに収録されていなかった「Mad The Swine」が、本来予定されていた曲順通りに復活を果たした。また、手書きの歌詞や本作に関わる貴重な資料が収められた、全108ページのブックが付属している。

コレクターズ・エディションに封入されたライナーノーツでブライアン・メイはこう記している。

「本作は単なるリマスターではない。これは、クイーンのデビュー・アルバム全体を再構築した、全く新しい2024年版だ。そして後知恵のご利益として、今回これを『Queen I』と改名することにした」

「演奏と歌は全て1973年の発表当初と全く同じままだけれども、全楽器で、当時僕らが目指していた“ライヴ”感のあるアンビエントなサウンドを再現するため、再検討を行った。その結果、本来そうあるべきだったサウンドを放つ『Queen I』が、現代の知識と技術を駆使して – 初めて – 誕生したというわけだ」

「2024年版『Queen I』こそ、僕らがずっと皆さんにお届けしたいと夢見ていたデビュー・アルバムなんだ」

 

メンバーが振り返るデビュー前のクイーン

クイーンが結成されたのは、1970年初夏。だが、バンドが初めてスタジオに足を踏み入れ、スタジオでの第一歩を踏み出したのは、ヴォーカルのフレディ・マーキュリー、ギターのブライアン・メイ、ドラムスのロジャー・テイラーの3人に、1971年7月、ベーシストのジョン・ディーコンが参加してからのことであった。ロジャー・テイラーは語る。

「最初の3年間は、まさに信念と情熱とが糧だった。僕らは無一文だったけれど、自分達に対する強い信念と、溢れんばかりのエネルギーがあったんだ」

世間に認められるよう奮闘する一方で、クイーンの音楽とステージ・パフォーマンスは着実に進化を遂げていった。前身のスマイルが1960年代後半のバンドだとすれば、クイーンのサウンドとイメージは、今現在と未来とを表現していたと言える。彼らの曲はこの時点で既に、壮大なリフとコーラス・ハーモニー、そしてクラシック音楽調の華麗な装飾に満ちていた。

ジョン・ディーコンの加入後、クイーンはトライデント・オーディオ・プロダクションズと、レコード制作、楽曲出版、及びマネージメント契約を締結。バンドのデモを聴いた同社のオーナー、ノーマン&バリーのシェフィールド兄弟は、ファースト・アルバムのレコーディング費用をクイーンに提供し、それを見込みのあるレコード会社に売り込むことで合意した。

また、シェフィールド兄弟は、ロンドンのソーホー地区にある最新鋭の設備を誇るトライデント・スタジオも所有していた。そこはエルトン・ジョンやビートルズが使用してきた場所で、無名の若いバンドはめったに利用できないようなスタジオであった。トライデント・スタジオの人気は非常に高く、日中は大抵予約で埋まっていたため、クイーンがレコーディングを行えるのは、スタジオが使われていない稀な“空き時間”、つまりいつも夜間だった。

(C)Queen Productions Ltd.

 

デビュー・アルバムの制作

1972年5月、クイーンはアルバム制作を開始。それからの4ヶ月間は、粉骨砕身しながら夜型の生活を送った。夜は、スタジオが使用可能になるまでソーホー周辺で待機。クイーンはその数時間後、疲れ果てた様子でトライデントから出てきたものだった。ブライアンはこう振り返る。

「僕らはいつも徹夜で作業していたんだ。大抵は、清掃員が出勤してくる朝7時までね。ほんの少しでも時間があれば、とにかくスタジオに入っていたよ」

ロジャーは次のように語る。

「そう、僕らがそこに入ったのは、ちょうどボウイが『Hunky Dory』と『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』の両作を録音した直後のことだった。彼はその2作を立て続けに録音していたんだけど、どちらも素晴らしいアルバムだよ。だから、あそこで過ごせて、すごく嬉しかったんだ。でも、僕らがあのスタジオにいた時は大抵、午前3時に到着しては、その後できる限り何時間もスタジオにこもっていた、という具合でね。本当に辛い作業だった。でも、心が折れるようなことはなかったと言える、というのも僕らはかなり自信があったからね。僕らには、生まれながらの穏やかな傲慢さってやつが備わっていたんだ。自分達は優れているし、他とはかなり違った存在だと思っていたよ」

クイーンは、トライデントの専属プロデューサーであるジョン・アンソニー及びロイ・トーマス・ベイカーと共に、本アルバムのレコーディングを行った。 両者共、信頼のおけるクイーン支持者で、バンドがトライデントと契約した際には手を貸してくれた人物だ。しかしながら、バンドはその後すぐに、スタジオの規則や規定という壁にぶつかることとなった。ブライアンは次のように語っている。

「素晴らしい技術が身近にあったにも拘らず、それを使う自由が僕らには殆どなかったんだ。僕らは何も知らない新人と見做されていて、僕らの望んでいたやり方に耳を傾けてくれる人は誰もいなかったんだよ」

経験は比較的浅かったものの、クイーンには既に明確な音楽的ビジョンがあった。しかし、彼らの頭の中で鳴り響いていた壮大なギターとドラムの爆音を、自分達自身のものではないスタジオのパースペックス(=透明アクリル樹脂)製ドラムキットで午前2時に再現するのは、困難であることが判明したのである。ロジャーは次のように語っている。

「彼らのドラム音は生気に欠けたサウンドで、僕らが望んでいた音では全くなかったんだ。あそこにはドラム・ブースがあって、よく知られていた音がしたんだよ。ちょっとアメリカ的なサウンドだったね。すごくドライで、かなり分厚くて、生気のない死んだような音で、僕が望んでいたサウンドじゃなかった。僕が聞きたかったのは、鳴り響くドラム、ドラムならではサウンドだったんだよ。あそこには、自分のちゃんとしたドラム・セットさえ持ち込めなかったんだ。実際、ちょっと大変だったね。だからこのアルバムは、僕らが望んでいたような音にはならなかったんだ」

ブライアンはこう言う。

「僕らとしては、全てが大胆不敵に、挑戦的に迫ってくるような音にしたかったんだ。僕らは、ドラムをブースの中から運び出してスタジオの真ん中に移動し、部屋中を囲むようにマイクを配置したいと訴えて、激論になった」

だが、それはトライデント式のやり方ではなかった。ブライアンが続ける

「ロイ・トーマス・ベイカーに『これは、僕らが心から求めているサウンドじゃない』と言ったのを憶えているよ。すると彼は、『心配いらない、ミックスで全部修正できるから』と言ったんだ。けれども、それが実現しないだろうことは、皆分かっていたと思う」

そして2024年を迎えた今、それが「ミックスで修正」されたのである。

 

アルバムの内容

クイーン独自の発想と途轍もなく大きな野望とが、既に楽曲自体に表れていたという事実により、彼らのフラストレーションはさらにその度合いを強めていった。「Keep Yourself Alive(炎のロックン・ロール)」は、まるで鬨の声の如く、続く「Doing All Right」「Great King Rat」「Liar」「Modern Times Rock ‘n’ Roll」「Son And Daughter」に出陣の合図を送っているかようである。

一方、聖書からインスピレーションを得た「Jesus」や「My Fairy King」では、フレディの想像力が自由に駆け回っていた。後者「My Fairy King」は、この後間もなく“フレディ・マーキュリー”というステージ・ネームを名乗ることになるフレディが、「鷲の翼を持って生まれた馬」について歌い、「母なるマーキュリーよ、奴らの所業をご覧あれ」と乞い願う曲である。ロジャーはこう言う。

「歌詞の中には、どこから生まれたのか僕には全く分からなかったものもあった。だけど、フレディは実に博識で、多種多様なスタイルを使いこなしていたね。本当にもの凄く頭の切れる奴だったんだ」

極めて重要なことに、この新たな2024年ミックス版『Queen I』には、バンドとプロデューサー陣の一人との意見の食い違いによってオリジナルLPには収録されなかった「Mad The Swine」が収録されている。同曲は今回、1972年にバンドが意図していた通り、アルバム本編の4曲目、つまり「Great King Rat」と「My Fairy King」の間という本来の位置に復活を果たした。

トライデントでは様々な制約を課されていたにも拘らず、バンドは規則を破ることにも成功。ブライアン作曲の(そして“ボックス・セット”からの第一弾シングルの)「The Night Comes Down」は、やがてクイーン印のサウンドの一部となる、アコースティック・ギターとエレキ・ギターによる多層サウンドの青写真を描いていた曲だ。しかしバンドは、トライデントで新たなヴァージョンを録音し直すのではなく、ディ・レーン・リー・スタジオで録音していたデモ音源を使用したいと主張。その曲をアルバム用にミックスするため、彼らは“トライデント”と書いたラベルに貼り替えたケースにデモのマルチトラック・テープを入れ、こっそり持ち込んだのであった。

 

ボックス収録CDの内容

CD2:ディ・レーン・リー・デモ(2024ミックス)では、『Queen I』の辿った魅惑的な歴史を深堀りしており、アルバム制作に先立ってバンドが録音していたデモ音源を、最新の2024ミックスとして新たに提示している。1969年夏、ブライアンとロジャーがクイーン結成前に在籍していたバンド、スマイルが、ロンドンのキングスウェイにあるディ・レーン・リー・スタジオでレコーディングを実施。 それから2年後、同社は新たな複合スタジオ施設をウェンブリーで開業し、複数のミキシング・デスクや異なる部屋の音質をテストするため、手を貸してくれるバンドが必要となった。

クイーンがその役を引き受けるとブライアンとロジャーが志願し、バンドは1971年11月から1972年1月まで、同スタジオで時間を過ごした –「すごく興奮してゾクゾクしたよ」と、ブライアンは振り返る。結果、ディ・レーン・リーのチーフ・エンジニアであるルイ・オースティンが監修した5曲のデモを手にすることで、彼らの労は報われた。そのデモに含まれていたのが、「Keep Yourself Alive」「The Night Comes Down」「Jesus」「Liar」、そして「Great King Rat」である。ブライアンこう説明する。

「ディ・レーン・リー・スタジオで録音したデモは、僕らが夢見ていたものにより近かった。ドラム・サウンドがすごく開放的で、ギターにもアンビエントな雰囲気がある。僕らがこういう風にしたいと思っていたものにずっと近かったんだ」 

ロジャーはこう語る。

「僕らは若かったし、自分達のやっていることは絶対間違いないと、完全に盲信していたんだ」

これらのデモは、レコーディング契約を結ぶための売り込みを目的として制作したものではあったが、ブライアンによれば、最終的なアルバム・ヴァージョンと比べるとより自然なサウンドで、より即興性のある輝きに満ちた演奏になっていると、バンドは常に感じていたそうだ。このデモのミックスで現存する唯一の物理的音源が傷の付いたアセテート盤であることから、セルフ・プロデュースによるこのレコーディング音源は今回初めて、オリジナルのマルチトラックから修復を施した上でリミックスが行われた。

CD3:『Queen I』セッションには、アルバム本編収録曲の完全未発表ヴァージョンを曲順通りに配列。それぞれがオリジナルとは完全に異なっており、ディ・レーン・リーとトライデントの未発表音源を用いて今回新たに制作されたものとなっている。

出だしのミスや、ガイド・ヴォーカル、バッキング・トラックや別テイク等の音源に混じり、メンバー同士がお喋りや冗談(「君だったろ、バルサラ君!」)を交わしたり、時には不満を表したりといった、会話部分も収録。別テイクの大半はアコースティック・ギターを中心に構築されており、エレキ・ギターは後から追加する形となっていて、これらの別ヴァージョンではオリジナルとは違った雰囲気が醸し出されている。

CD4:『Queen I』バッキング・トラックは、アルバム『Queen I』本編から、リード・ヴォーカル抜きのミックスを提供。

クイーンはディ・レーン・リー・デモを幾つかのレコード会社に売り込んだものの、どことも契約に至らず、結果、トライデントと契約を結ぶことになった。アルバム自体は、1972年には殆ど完成していた。だが、クイーンとプロデューサー陣は最終日までミックスについて議論を続けていたため、「Keep Yourself Alive」に関し、バンドは初期ヴァージョンのミックスの中から選ぶのではなく、トライデントでアシスタント・エンジニアを務めるマイク・ストーンが手掛けたミックスを選択。マイクは、クイーンのその後のアルバム5作で、エンジニアを担当することとなる。

トライデントはクイーンのデビュー・アルバムを複数のレーベルに売り込み、最終的に、英国ではEMIと、米国ではエレクトラと契約を結んだ。エレクトラの創設者ジャック・ホルツマンは、1973年4月9日にロンドンの〈マーキー・クラブ〉で行われたクイーンのライヴを鑑賞。今回のボックス・セットに封入されたブックには、その夜のライヴについて記したロジャーの日記が掲載されている。「大盛り上がりだった…。ジャック・ホルツマンが気に入ってくれた!」。ホルツマンは、次のように名言するメモをスタッフ間で回覧させていた。「私はポップ・ミュージックの未来を見た。それはクイーンというバンドだ」

クイーンのデビュー・アルバム『Queen I』は、英国では1973年7月13日、米国では9月4日までリリースを待つこととなり、彼らはフラストレーションを募らせていた。ロジャー・テイラーは「クイーンはもの凄く野心的で、そのことを恥じてはいない」と語っており、それまでの1年間で急速に成長を遂げていたのである。同アルバムのLP盤のライナーノーツにあった文言、つまり「[本作は]クイーンの音楽が、少なくとも過去3年間どのようなものであったかを表している」という簡潔な記述が、それを示唆していた。

アルバムが英国で発売される1週間前に、EMIは「Keep Yourself Alive」をシングルとしてリリース。しかし、ラジオでは中々エアプレイを受けられなかった。だが、耳を傾ける人がいたのは確かだ。

CD5:『Queen I』アット・ザ・BBCは、アルバム・ヴァージョンとは若干異なる「My Fairy King」で幕を開ける。これはLP発売の5ヶ月前、1973年2月に、ラジオDJで初期クイーンの熱烈な支持者だったジョン・ピールが担当するBBCレディオ1の番組『サウンズ・オブ・ザ・セヴンティーズ』で放送するために録音されたものだ、まだ誰も彼らのアルバムを聴いていなかったことから、バンドはバッキング・トラックを持ち込み、新録のヴォーカルやその他のオーバーダブを、この、彼らにとって初となるBBCセッション用に追加。これは、クイーンの音楽が世界で初めて放送に乗った瞬間であった。それに加え今回は、1973年2月から1974年4月にかけてBBCで放送された、『Queen I』全曲の別(新)ヴァージョンを含む、さらに3回分のBBCセッションが収録されている。

CD6:『Queen I』ライヴには、1974年3月に〈ロンドン・レインボー・シアター〉でヘッドライナーを務めた公演のベスト・パフォーマンスを収録し、さらに未発表曲も数曲追加。その中には、フリーの影響を受けた、マーキュリー/メイ/テイラー/ディーコンの作曲による「Hangman」の初公式リリースも含まれている。同曲は、クイーンの初期ライヴの定番曲だったが、スタジオ録音は一度も行われなかった。この「Hangman」の音源は、1976年3月に〈サンディエゴ・スポーツ・アリーナ〉で行われたバンドの全米ツアー最終夜にライヴ録音されたものだ。

『Queen I』ライヴの最後の曲では、クイーンがクイーンとなった歴史的な瞬間が再体験できる。108ページの付属ブックには、これまで一度も公開されてこなかった数多くの品々を掲載。その中には、ロンドンで行われたクイーンにとってのバンド史上初ライヴに際してロジャーが自ら書いた招待状もあり、そこには「[1970年]8月23日(日)午後7時30分、インペリアル・カレッジ…講堂A、5階」と書かれている。

この歴史的なショーのアーカイヴ・カセットからは、「Jesus」と、スペンサー・デイヴィス・グループの1967年のヒット曲「I’m A Man」のカバー、計2曲が発掘された。これらは、ジョン・ディーコンがバンドに加入する前のものとしては、現存するクイーン最古の音源だ。

オリジナル・アルバム『Queen I』の最後のトラックは、切迫感に満ちた1分15秒に渡るインストゥルメンタルの抜粋「Seven Seas of Rhye(輝ける7つの海)」だ。同曲の完成版が発表されるのは『Queen II』で、全英シングル・チャートではトップ10ヒットとなった。

だが、この短縮版の猛烈なリズムや、激しく打ち鳴らされるピアノ、オーケストラのように響き渡るギター・サウンドは、ある意味、クイーンのデビュー作を貫いている精神を巧みに捉えていると言える。それは、次の段階に進みたいと熱望し、休むことなく動き続けている、確固たる意志を持った若きバンドが放つサウンドだ。フレディがかつて語っていた通り、「僕らは皆、頂点を目指していた。それ以下に甘んじるつもりも、それ以下で満足するつもりもなかった」のである。

ブライアンは次のように語っている。

「フレディは必ず成功すると確信していて、疑うことを知らなかった。僕らは皆、早熟な少年だったけれども、彼は別格だったんだ。でも僕ら全員が、そういった情熱を共有していたよ。そして、そのエネルギーはどんどん増大していって、もの凄くパワフルなものへと結実していったんだ」

そして、ロジャー・テイラーが最後にこう結んでいる。

「『Queen I』ボックス・セットでは基本的に、現在ある技術を用いて、このアルバムが僕らの本来望んでいた音になるよう作り直したんだ。ドラム・サウンドも本来こうあるべきだったという音に仕上げて、全体な音質も向上し、ミックスも改善されている。だから、改良を加えることによって僕らが目指していた音に到達することができて、すごく嬉しいよ」

「だけど、このアルバムを何度も繰り返し聴き直していて驚いたのは、歌詞の中に相当宗教的なものがあるってことだった、そう、かなり宗教的なんだ」

Written By uDiscover Team


クイーン『Queen I』
2024年10月25日配信
Box Set / 2CD
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