シン・リジィ、ブラック・サバスらのプロデューサー、クリス・タンガリーディス死去
シン・リジィ、ブラック・サバス、ゲイリー・ムーア、サクソン、ジューダス・プリーストなどハードロックやメタル・バンドの仕事で知られる伝説のプロデューサー、クリス・タンガリーディスが2018年1月6日、61歳で亡くなった。
「私たちの愛すべき父、そして私の母の大親友でもあったクリス・タンガリーディスが昨夜、心不全だけでなく肺炎とも勇敢に闘った末、静かに息を引き取ったことをすべて皆様に伝えなければいけないのはあまりにも悲しいことです」と彼の娘、アナスタシアが彼女のフェイスブックに綴った。「愛と優しさがこもった皆様からのメッセージにはとても感謝しています。私たち全員より愛と感謝を込めて。ジェーン、テオ、ルイス、パリス、サマンサ、ケーシー。私たちの生活の日々で、あなたを恋しく思うことでしょう」。
友人らはクリス・タンガリーディスの個人フェイスブックのページに追悼のメッセージを投稿している。ブライアン・メイやホワイトスネイク、ピーター・グリーンと一緒に仕事をしてきた著名ベーシストのニール・マーレイは彼のことをこう思い出していた。「素晴らしい人間で、優れた才能の持ち主。彼を知る人は皆、寂しがるだろう。確実に」。
サクソンのドラマー、ナイジェル・グロックラーはこう述べた。「クリス・タンガリーディスが亡くなったというニュースで目を覚ますのは非常に残念だ。実に素晴らしいプロデューサーで、さらに立派な人でもあった」。
シン・リジィは以下のように声明を出した。「我々のバンドとアルバム『Renegade(邦題: 反逆者)』と『Thunder And Lightning』を一緒に作ったプロデューサーのクリス・タンガリーディスの訃報を聞いて深い悲しみに覆われています。クリスの妻、ジェーンと家族にお悔やみ申し上げます」。
王立音楽アカデミーにてトランペットとピアノを学んだクリス・タンガリーディスはロンドンのモーガン・スタジオにて70年代中盤より働き始め、1976年、ジューダス・プリーストの『Sad Wings of Destiny(邦題: 運命の翼)』にて初めてエンジニアとしてクレジットされた。彼は出世の階段を上り続け、ヒット曲「Parisienne Walkways(邦題: パリの散歩道)」が収録されたゲイリー・ムーアの『Back On The Streets』と共に、プロデューサーとしての地位を高めた。その曲でヴォーカリストとしてフィル・ライノットが関わったことから、クリス・タンガリーディスはシン・リジィの最後の2枚のスタジオ・アルバム『Renegade(邦題: 反逆者)』と『Thunder And Lightning』を共同プロデュースすることになった。
80年代にわたって彼は引っ張りだこのメタル・プロデューサーとなり、アンヴィル、アンセム、Y&T、ハロウィン、キング・ダイアモンドといったバンドたちと一緒に仕事を行った。ブラック・サバスの『Eternal Idol』を担当した3人の男のうちの一人だったクリス・タンガリーディスは、他にもジューダス・プリーストの『Painkiller』やアイアン・メイデンのヴォーカリスト、ブルース・ディッキンソンのソロセット『Tattooed Millionaire』のプロデュースも行った。
しかしクリス・タンガリーディスの仕事はどうこじつけてもヘヴィ・ロックに限られていたわけではない。他にも多数、彼はデペッシュ・モードの1987年のヒット曲「Never Let Me Down Again」のリミックスを行ったり、トラジカリー・ヒップ、トム・ジョーンズ、トップ20のヒット曲となった「Joey」が収録されているゴス色の強いコンクリート・ブロンドの『Bloodletting』など全く異なるアーティストのプロデュースも行ってきた。
数年前、クリス・タンガリーディスはTape Op誌とのインタビュー中に彼の長期に渡る多様な履歴について話してくれた。「僕はスタジオで働いていたとき、良き友人関係を築いてきた。雇われの身ならば、予約に入っていることは何でもこなさなきゃいけない。僕はそれが好きだった。僕がプロデュースの仕事を始めたとき、これも偶然だったのだけど、ゲイリー・ムーアのソロレコード『Back On The Streets』をレコーディングするように依頼されたんだ。彼は僕にこう言った。“ところでさ。これプロデュースできるでしょ?” 僕は彼が冗談を言ってるんだと思ったんだけど、冗談ではないことがわかった。僕は “わかったよ。君が演奏して、僕がレコーディングする” と。基本的に僕らがやったことはそのまんまなんだ。彼と同じぐらい素晴らしいギター・プレイヤーと、そしてサイモン・フィリップスのように素晴らしいドラマーと共にね」。
「そして彼はシン・リジィのフィル・ライノットとブライアン・ダウニーを連れてきたんだ。僕らがレコーディングした‘Parisienne Walkways(邦題: パリの散歩道)’という曲はその後リリースされ、超がつくほどの大ヒット曲になったんだ。そして突然、僕は成功したプロデューサーとなった。僕はいつも通りにやっただけだ。人を笑わせ、レコーディングし、素晴らしい時間を共にした。あの曲がヒットしたことで僕はとてもとても恵まれていたよ。それ以降、人が興味を持ってやってくるようになったよ」
Written by Tim Peacock