ザ・ファット・ボーイズの創設メンバー、プリンス・マーキー・ディー逝去。その功績を辿る
ヒップホップ初期に活躍したグループ、ザ・ファット・ボーイズ(The Fat Boys)のオリジナル・メンバーであるプリンス・マーキー・ディー(Prince Markie Dee)が2021年2月16日に逝去した。享年52だった。
彼の死因は不明だが、マーキー・ディーは53歳の誕生日を翌日に控えていた先の訃報となった。
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クエストラヴはインスタグラムでザ・ファット・ボーイズがテレビ番組「ソウル・トレイン」に出演していたビデオをシェアし、1984年の彼らがいかに革命的存在だったのかを語っている。
「彼らはドープなルーティーンやダンスステップを披露して、アルバムはゴールドやプラチナになって映画やテレビ、CMにも出演した。彼らは初めての領域を開拓したんです」
ファット・ジョーもインスタグラムにてこうコメントをしている。
「ファット・ボーイズの最後のメンバーであるプリンス・マーキー・D・モラレスが逝ってしまいました。彼は偉大な男であり、レジェンドであり、パイオニアでした。また会える日まで、私の仲間、プエルトリコの兄弟に神の祝福がありますように」
プリンス・マーキー・ディーは1983年にバフ・ラブ、クール・ロックスキーと共にザ・ディスコ3を結成し、コカ・コーラと米ラジオ局WBLSが共催したティン・パン・アップルのヒップホップ・コンテストで優勝。その後、ザ・ファット・ボーイズと改名し、1984年にセルフ・タイトルのデビュー・アルバムをリリースし、そのアルバムはアメリカでゴールド・ディスクを獲得している。
1985年には、Def Jam Recordsの初期を題材にしたカルト映画『クラッシュ・グルーブ』に出演。1986年の『Knights of the City』と1987年の『ファット・ボーイズの突撃ヘルパー(原題:Disorderlies)』にも出演していた。
ファット・ボーイズの出世作となった1987年のアルバム『Crushin’』の発売30周年記念の際、ローリング・ストーン誌はこう評していた。
「スキル、カリスマ性、不断の労働、ユーモアのセンス、そしてパワフルなヒューマンビートボックスといった様々な要素のミックスによって、マーク・”プリンス・マーキー・ディー”・モラレス、デイモン・”クール・ロック・スキー”・ウィンブリー、ダレン・”バフ・ラブ”・ロビンソンによるトリオは、ラップミュージックをメインストリームのオーディエンスに注目させるために不可欠な存在だった」
そしてプリンス・マーキー・ディーは当時ローリング・ストーンにこう語っていた。
「メディアに関して言うと、俺たちは完全に無視されていたと思う。…人々はランD.M.C.やフーディーニをヒップホップアーティストとして見ていて、俺たちをコメディアンとして見ていたと思うんです。俺はそれに怒っているわけじゃないけど、俺たちは、太っているやつ、痩せているやつ、背が高いやつ、背が低いやつ、ゲイのやつ、自分たちのありのままの姿でいる人たちを笑わせて、快適に感じてもらおうとしていた。それが俺たちが世界に残したかった印象なんだ」
プリンス・マーキー・ディーは1992年にアルバム『Free』でソロ・キャリアをスタートさせ、その後メアリー・J・ブライジ、ジェニファー・ロペス、マライア・キャリー、クレイグ・マック、マーク・アンソニーなどに楽曲を提供した。また、マイアミのラジオ局The Beat WMIBとWEDRでもDJを務めていた。
1995年には、ファット・ボーイズのメンバーであるバフ・ラブが28歳で死去。クール・ロック・スキーがグループの生存するメンバーだ。
Written by Jeff Terich
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