映画『イージー・ライダー』で知られるカウンターカルチャーのアイコン、ピーター・フォンダが逝去。その半生を辿る
映画『イージー・ライダー』で知られる、俳優で文化的英雄でもあったピーター・フォンダが79歳で逝去した。彼の親族からの声明により、米時間2019年8月16日(金)に肺がんによる呼吸不全のため、ロサンゼルスの自宅で亡くなったことが報告された。
彼の妹であるジェーン・フォンダはこうコメントしている。「とても悲しいです。心優しい弟で、家族の盛り上げ役でもありました。最期の数日は彼の元で、かけがえのない時間を過ごすことができました。彼は笑いながらこの世を去っていきました」。
名優ヘンリー・フォンダの一人息子として、ハリウッドの名家に生まれたピーター・フォンダは、反体制派として独自の人生を切り開き、1969年には、自身が主演・脚本・製作を務めるサイケデリックなロード・ムービー『イージー・ライダー』で、第42回アカデミー賞“オリジナル脚本賞”にノミネートされた。そのキャリアにおいて、アカデミー賞の栄冠を手にすることはなかったものの、1997年の映画『木洩れ日の中で』では、ベトナム帰還兵で養蜂業を営む初老のユーリー役を演じ、第70回アカデミー賞“主演男優賞”にノミネートされた。
ピーター・フォンダは1940年ニューヨークで、その後の彼が作り上げていく反体制的なイメージとは真逆の人格を持った両親の元に生まれた。父ヘンリー・フォンダはその頃すでに、ハリウッドきっての名優として、数々の西部劇や戦争映画で活躍していた。母フランシズ・フォード・シーモアはカナダ生まれのアメリカ人名士だった。
マサチューセッツ州とコネチカット州の私立学校に通った青年期を経て、父の故郷にあるネブラスカ大学に入学したピーター・フォンダは、同地で父ヘンリーも籍をおいていた地元の劇団“オマハ・コミュニティ・プレイハウス”に入団し、俳優としてのキャリアをスタートさせる。その後、ニューヨーク州フィッシュキルのセシルウッド・シアターで見習いになるため、同大学を3年目で退学した。
ニューヨークへと拠点を移した一年後、ピーター・フォンダは戯曲『Blood, Sweat, and Stanley Poole』での二等兵役でブロードウェイでのデビューを果たす。これがきっかけとなり、1961年に若手俳優の登竜門でもあるニューヨークドラマ批評家賞を受賞した。
“ネクスト・ディーン・ジョーンズ”と呼ばれたピーター・フォンダは、1963年の映画『Tammy and the Doctor』でサンドラ・ディーの相手役として映画デビューを果たし、その後も同年公開の『勝利者』、そして自殺願望を持った精神病患者役を演じた1964年の『リリース』に立て続けに出演した。1966年には、“B級映画の帝王”と呼ばれたロジャー・コーマン監督の低予算事業に加わり、映画『Heavenly Blues in The Wild Angels』にバイカー役で出演する。
1967年には、再びロジャー・コーマン監督作で、ジャック・ニコルソンが脚本を手掛けた、LSDを服用した青年が体験する“幻想の旅”を描いた『白昼の幻想』で主演を務め、今作では、気の狂った若者役を演じ、彼と同じく若手俳優として奮闘中だったデニス・ポッパーとも共演も果たしている。今作は、当時のカウンター・カルチャー的な思考に合致し、学生たちの間で広く支持された。
ピーター・フォンダはその生涯を通して、父ヘンリーや、姉ジェーンのような輝かしい功績を成し遂げることはなかったが、今年公開50周年を迎える1969年の映画『イージー・ライダー』のインパクトは、大衆文化における彼の地位を確固たるものにするのに十分だった。
ピーター・フォンダとデニス・ポッパーが共に脚本を手掛けた同映画は、大麻とドラッグに溺れながらカリフォルニアからニューオーリンズでのマルディグラ(謝肉祭)を目指して旅に出る二人のバイカーを描いたもの。旅の途中で酔っ払いの若き弁護士ハンセン(ジャック・ニコルソンが演じ、ブレイクのきっかけとなった役)と出会い、意気投合する二人だったが、南部の労働者たちの怒りを買い、故郷へ帰る前に殺害されてしまう。
ピーター・フォンダ演じる若者ワイアットの星条旗柄のヘルメットを被り、“キャプテン・アメリカ”と名付けられたハーレーダビッドソンに乗る姿は、当時の反体制派の若者のアイコンとして人気を博した。
今作はカンヌでヒットを記録し、ピーター・フォンダ、デニス・ポッパー、そしてテリー・サザーンの3人はアカデミー賞“オリジナル脚本賞”にノミネートされ、アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)による“アメリカ映画ベスト100”にも選出されている。
ピーター・フォンダは、ミック・ジャガー、ジミ・ヘンドリックス、モハメド・アリ、そしてジョン・レノンらと共に、当時のカウンターカルチャーの象徴として最も崇められた人物の一人だった。
映画『イージー・ライダー』1998年にはアメリカ国立フィルム登録簿に、「文化的、歴史的、芸術的」に重要な作品としてアメリカ国立フィルム登録簿(National Film Registry)入りを果たしている。
ピーター・フォンダは1969年のAP通信の取材にこう語っていた。「僕たちの時代になって、ようやく若者たちが自らの考えを語り始めました。それまでは‘物言わぬ多数派’の時代が長く続き、ジェネレーション・ギャップの両極端にあったんです」。
ピーター・フォンダは、映画「イージー・ライダー』の公開から50年周年を記念して、9月20日にニューヨークのラジオ・シティ・ミュージック・ホールにて開催される一夜限りのコンサートに出演する予定だった。同コンサートでは、この映画のオリジナル・サウンドトラックに参加するステッペンウルフのジョン・ケイと、バーズのロジャー・マッギンが映画に合わせてライヴ演奏を行い、プロデューサーのT・ボーン・バーネットが指揮を務める予定だ。
映画「イージー・ライダー』のサウンドトラックには、ザ・バンドの「The Weight」やバーズの「Wasn’t Born To Follow」などが収録されているが、なんと言っても作品そのもののを象徴するのは、ステッペンウルフによる永遠のバイカー・アンセム「Born To Be Wild(邦題: ワイルドで行こう)」だろう。元々、1968年8月に全米シングル・チャート2位を記録していたこの楽曲は、その後1969年に同映画のサウンドトラックに起用されたことで、その伝説に拍車がかかった。以降も多くの映画に起用され、グラミーとロックンロールの両殿堂入りを果たしている。
ピーター・フォンダは、1974年の『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』や、ウォーレン・オーツと共に、テキサスで悪魔崇拝者集団を相手に戦う二人の夫役を演じた1975年の『悪魔の追跡』、そして1983年にカナダで製作されたサスペンス映画『スパズムス/蛇霊の恐怖』などにも出演していた。
Written By Tim Peacock
- ステッペンウルフ、反乱のアンセム曲「Born To Be Wild」
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