ニール・イネス、75歳で死去。モンティ・パイソンで知られ、ザ・ラトルズのメンバーでもあった彼の経歴を辿る
「モンティ・パイソン」俳優であり、ザ・ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドとザ・ラトルズのメイン・メンバーであるニール・イネスが2019年12月29日に亡くなった。75歳でだった。この訃報は彼のエージェントによって伝えられた。
「すべての人の心に触れた音楽と歌、私たちにインスピレーションを与えた知性と真実の探求、我々は、美しく優しい魂を失いました」とニール・イネスの家族は声明で述べた。「彼の死因は自然死で、事前の予兆もなく、そして痛みもなく、安らかに亡くなりました。彼の妻イボンヌと3人の息子のマイルズ、ルークとバーニー、3人の孫のマックス、イッシー、ザックは、彼の人生、音楽、そして彼が私たちに与えた喜びに感謝します」
1944年12月9日に英国エセックスのダンベリーで生まれたニール・イネスは、1960年代にロンドンのゴールドスミスカレッジ在学中に出会った妻イボンヌと結婚。二人の間には、マイルス、ルーク、バーニーの3人の息子と3人の孫がいた。
おそらくモンティ・パイソンでの仕事で最もよく知られているイネスは、映画『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』(1975年公開)や『ライフ・オブ・ブライアン』(1979年公開)との両方に出演。『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』では作曲も担当している。
彼はまた、「モンティ・パイソン」の主要メンバーであったジョン・クリーズが降板した後の最後のテレビシリーズに出演するだけではなくコントも担当し、英国およびカナダでツアーも行った。
イネスは、テリー・ギリアムが監督した映画「ジャバーウォッキー」にも出演し、エリック・アイドルのコント番組の「ラトランド・ウィークエンド・テレビジョン」に参加。この番組はビートルズのパロディ・バンドであるザ・ラトルズを生み出し、ジョン・レノンをベースにしたキャラクター、ロン・ナスティーをイネスが演じていた。
ザ・ラトルズの前、イネスは風刺的で影響力のあるザ・ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドのメンバーだった(彼らは2020年の5月にロンドンのシェパーズブッシュエンパイアで最後のライブをする予定だった)。ザ・ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドは、今は亡き俳優のヴィヴィアン・スタンシャルらによって1962年に結成された。
彼らは1967年から1970年の間に4枚のアルバムをリリースし、イネスはいくつかの楽曲を担当、バンドのちに何度かリユニオンを果たしている。ザ・ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドは、ソングライター・作曲家のための賞である「アイヴァー・ノヴェロ賞」も受賞した1968年英国5位のヒット曲「I’m The Urban Spaceman(邦題:恋のスペースマン)」が有名で、この曲はイネスが作曲してボーカルも担当、ポール・マッカートニーが変名「Apollo C. Vermouth」としてプロデュースをしていた。現存するグループのメンバーたちは最近、別の会社によって商標登録されていたバンド名のフルネームを使用する権利をめぐる訴訟で勝訴したことでも報道されていた。
また、イネスは、オアシスの「Whatever」の共作者としても認められている。この曲のオープニングと主なリフは、イネスのソロ曲「How Sweet To Be An Idiot」から拝借しているためだ。「How Sweet To Be An Idiot」は1973年に書かれたもので、モンティ・パイソンのライブ・ショーでも使用され、。また人気ポッドキャスト番組の「The Brilliant Idiots」のテーマソングとしても使用されている。
ニール・イネスの訃報が報じられて以来、世界中から哀悼の声があがっている。作家であり監督のエドガー・ライトはこう書いています。「偉大なるニール・イネスが悲しくも亡くなったというのが本当なら、私にグラスをあげさせてください。永遠にザ・ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドのファンでありつづける。 RIPニール」
イギリスのコメディアンであり俳優のサンジーヴ・バスカーは次のように語っています。「ニール・イネスの訃報のニュース。最高に才能のあるソングライターとコメディアン。常に熱心で面白いと途方もない友人。ここでは、モンティ・パイソンのステージを共有します。彼に何度も会えてよかった。彼の友人や家族への深い哀悼の意を。 #RIPNeilInnes」
「華麗なコメディアン、ミュージシャン、ラトルズのメンバーであるニール・イネスの訃報を聞くのが悲しい。約40年間私の頭に流れていた、これをハミングします」と、チャールズブルッカーは、ザ・ラトルズの曲「Cheese and Onions」へのリンクを付けてメッセージを投稿していた。
イアン・マクミランは次のようにコメントした。「#RIPNeil Innes –メロディーとハートの強い壁の周りにナンセンスの足場を作り、そこから曲を構築した男」
ザ・ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンドの公式SNSではイネスの写真を共有し、数週間前に夕食のために再会したときの様子を投稿した。
The Bonzos were reunited one last time only a few weeks ago for a victory dinner. Our thoughts and prayers are with Yvonne and the family at this sad time. RIP to the Urban Spaceman himself, the great Neil Innes xxxx pic.twitter.com/zWKmCh4qSW
— The Bonzo Dog Doo-Dah Band (@BonzoDogBanned) December 30, 2019
「ほんの数週間前、勝利の夕食会のためにボンゾーは再会していました。私たちの祈りは、このイヴォンヌと家族に送ります。アーバン宇宙飛行士、偉大なニール・イネスへRIP」
彼は死の直前まで、制作中の次のアルバム『The New Album』をサポートするためのクラウド・ファンディングのキャンペーンを実施していた。
今年初め、彼はプログ・マガジン誌に次のように語っていた。「私は今まで、ファンのデモグラフィックなんて見たことがありませんでした。今回はその視聴者層をターゲットにしようと思う。パロディを行っていたときは別として、私は常に自分の経験から作曲をしてきました。シェークスピアは人間ドラマだけでなくコメディも書いたので、私もそう思うと思います。私はシェークスピアと同じです、より良い歌を除いてね」。
Written by Tim Peacock
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